- 昭和時代(昭和天皇 岡田啓介内閣)
1936(昭和11)年 〈二・二六事件〉★★★
February 26th Incident; The Imperial Way Faction engineers a coup against the government.
行(い)く寒き道 滲(にじ)むは血。
1936年 斎藤実 北一輝 皇道派 二・二六事件 西田税 渡辺錠太郞
1936年2月26日、北一輝や西田税の思想に影響された陸軍皇道派の青年将校が軍部政権の樹立を目指して反乱。首相官邸・警視庁などを襲って蔵相高橋是清・内大臣斎藤実・教育総監渡辺錠太郞らを殺害した(二・二六事件)。このクーデタは失敗に終わるが、これ以降、軍部の発言力は一段と強まった。
[point]
1.犬養毅内閣のときに海軍青年将校による同首相暗殺の五・一五事件、ついで岡田啓介内閣のときに陸軍青年将校による斎藤実内大臣・高橋是清蔵相暗殺の二・二六事件がおこった。
[解説]
1.五・一五事件(1932)は、海軍青年将校らによるテロ事件。犬養毅首相が首相官邸で銃殺された。海軍青年将校グループが大川周明から資金援助を受け、一部陸軍士官学校生徒らの参加を得て首相官邸・警視庁・立憲政友会本部などを襲撃した。首相殺害以外の被害は軽微だった。
a.軍部は事件を政治的進出に利用。また首相を射殺した海軍青年士官らには、一般から「国家への至誠から行動した」という趣旨の減刑嘆願書が70万通も寄せられていた。この情勢下で、最高でも禁錮15年という軽すぎる判決が下された。三月事件以降、国家改造を唱えれば罪は多くは問われないという認識が横行し、これが二・二六事件を生む土壌になる。
b.軍部の要求で内務省が「犯人の氏名、経歴その他詳細な内容」の報道を禁止。中央の大新聞は、1年後に事件の起訴が決まり、内容が公表されるまで、伏せ字混じりの記事を書き続けた。ただし、西日本新聞の前身、福岡日日新聞の一紙だけは「白昼公然と首相官邸に押し入り、しかも陸海軍将校等隊を組んで凶行に及びたりと云えば、暗殺と云うよりも一種の虐殺」だとして連日激しく批判した。
2.二・二六事件(1936)は、北一輝の影響を受けた陸軍皇道派の青年将校たちによるクーデタ事件。高橋是清蔵相・斎藤実内大臣、渡辺錠太郞教育総監が暗殺され、鈴木貫太郎(のち敗戦=終戦時首相)侍従長が重傷を負ったが、岡田啓介首相は官邸の風呂桶に隠れて奇跡的に助かった。
a.はじめ「決起部隊」とよばれたが、「反乱軍」とされるに及び意気阻喪(いきそそう)し、原隊復帰をうながす天皇奉勅命令で収束。17人の青年将校・民間右翼のみが処刑され、青年将校たち以外にも真崎甚三郎、荒木貞夫など陸軍上層部や皇族が関与したクーデター事件だったが、陸軍の上層部の皇道派要人に対しては、取り調べも甘く、ことごとく無罪とされ多くの謎を残したまま終わる。
b.事件後、皇道派は勢力を失い、統制派は事件の再発をちらつかせる恫喝(どうかつ)的政治手法で、政・財・言論界の反対意見を封殺していった。
〈2017慶大・文
次の文章(ロ)を読んで、空欄(F~G)に該当する適当な語句をそれぞれの語群の中から選べ。語群の中に適当な語句がない場合は0を記入しなさい。
(ロ)軍部の内部では、天皇中心に国家改造を説く( F )と、軍・官僚・財界の結束のもと高度国防国家を目指す( G )とが対立していた。1936年には、『日本改造法案大綱』などを著した( H )の思想的な影響を受けた一部の将校たちが、昭和維新を断行すべく、二・二六事件を引き起こし、( I )内大臣、( J )蔵相らを暗殺したが、反乱軍として鎮圧された。この事件をきっかけに陸軍では( G )が主導権を掌握していった。
1尊王派 2統制派 3石橋湛山
4石原莞爾 5松岡洋右
6斎藤実 7犬養毅
8浜口雄幸 9高橋是清」
(答:F0皇道派、G2統制派、H0北一輝、I6、J9)〉
〈2017中央大・文
問12.空欄K(浜口雄幸内閣の[ K ]蔵相)に入る人物の説明として正しいものを、次のア~オの中から一つ選べ。
ア.秘密結社桜会の将校によって暗殺された。
イ.血盟団員によって暗殺された。
ウ.五・一五事件で海軍青年将校によって射殺された。
エ.東京駅において右翼の青年に狙撃され重傷を負い、翌年に死去した。
オ.二・二六事件で陸軍皇道派の青年将校によって殺害された。
(答:イ ※Kは井上準之助、なお二・二六事件で暗殺されたのは高橋是清)
〈2017東洋大・全学部
(2)1924年、枢密院議長であった清浦奎吾を首班とする内閣が成立すると、護憲三派は普通選挙の実施などを掲げて第二次護憲運動を展開した。清浦内閣は議会を解散したが、総選挙の結果、護憲三派が大勝した。清浦内閣は総辞職し、憲政会総裁[ E ]を首相とする3党の連立内閤が組織された。このように政党の総裁が内閣を組織する慣例は「憲政の常道」と呼ばれ、1932年に[ F ]内閣が五・一五事件で倒れるまで続いた。
問6.空欄[E~F]に入る人物名の組み合わせとして、最も適切なものを、次の中から一つ選べ。
①E:犬養毅 F:加藤高明
②E:犬養毅 F:高橋是清
③E:加藤高明 F:犬養毅
④E:加藤高明 F:高橋是清
⑤E:高橋是清 F:犬養毅
⑥E:高橋是清 F:加藤高明」
(答:③)〉
〈2016明大・政経
1930年代半ば以降、軍部、とくに陸軍の発言力は一段と大きくなっていった。 1936年の(ア)二・二六事件後に成立した広田弘毅内閣のもと、大規模な軍備拡張が進められ、財政は軍事支出を中心に急激に膨張し、軍需物資の輸入増大により、国際収支は悪化した。
問1 下線部(ア)に関して、この事件を起こした青年将校たちに大きな思想的影響を与えた北一輝とともに事件の黒幕とされ、死刑になった人物はだれか。A~Eから一つ選べ。
A荒木貞夫 B永田鉄山
C真崎甚三郎 D西田税
E宇垣一成」
(答:D)〉