胃に置こ新香 定価ごと。
1205年 新古今集・藤原定家藤原家隆(後鳥羽上皇
[ポイント]
1.新古今集(新古今和歌集)は、後鳥羽上皇の命で編纂、撰者は 藤原定家と藤原家隆である。
[解説]
1.『新古今集』は後鳥羽上皇の命で藤原定家・藤原家隆らが編纂し、完成した(1205年にほぼ成立)。定家ら編者の示した歌風は、平安時代の伝統に学んで、技巧的な表現をこらしながらも、観念的な美の境地を生み出そうとしたものだった。こうした作風は後鳥羽上皇を中心とする貴族たちのあいだに広く受け入れられて、多くのすぐれた和歌がよまれ、その影響は大きかった。将軍源実朝も、その影響を受けた一人で、歌に励み万葉調の歌をよんで、『金槐和歌集』を残している。
〈2016上智大・法(地球)済(営)総人(社福)〉
問15 下線部k「延喜・天暦両聖の徳化を訪ひ」は、延喜・天暦年間が「聖代」として理想化されていたことをよく示している。『新古今和歌集』も「延喜」の『古今和歌集』の「徳化を訪ひ」編まれた。つぎの人々のうち、『新古今和歌集』の選者をつとめたのは誰か。2人選びなさい。
1慈円 2藤原家隆
3西行 4式子内親王
5藤原定家 6藤原俊成
7阿仏尼 8橘成季」
(答:2・5)〉
〈2015明治大・国語・全学部(法文など):「
次の中から藤原定家と最も関わりの深いものを一つ選べ。
A十六夜日記 B明月記
C太平記 D海道記」
(答:B※明月記は定家の日記)〉
〈2013明大・文
A 鎌倉幕府が成立した後に院政を開始した[ a ]は、幕府の勢力拡大という状況の中で朝廷政治の立て直しに積極的にとりくんだ。また彼は歌人としても優れ、朝廷に和歌所という組織を再興し、『新古今和歌集』の編纂を命じた。この和歌集は、それまでの作歌の伝統を継承しつつも、新たな技巧を駆使した和歌を収め、その編纂は、政治面での彼の意欲的な姿勢が文芸の面で反映したものと評価することができるだろう。
[ b ]は、(ア)『新古今和歌集』の撰者の一人である藤原定家を和歌の師とした人物である。彼は『万葉集』を学び、私家集『金槐和歌集』に自らの作歌を収めている。また彼は和歌を通じて[ a ]との交流を深めており、鎌倉時代前期の公武関係という政治的問題に和歌文芸が一定の役割をはたしていたことがうかがえる。」
1 空欄aにあてはまる人物として正しいものを、次の1~5のうちから一つ選べ。
1白河上皇 2鳥羽上皇 3後白河上皇
4後鳥羽上皇 5後嵯峨上皇
2 下線部(ア)『新古今和歌集』の撰者の一人に該当する人物として正しいものを、次の1~5のうちから一つ選べ。
1鴨長明 2栄西 3藤原家隆
4慈円 5ト部兼好
(答:a4、ア3)〉