いや群れ寒桜五品万。
(1860年 咸臨丸(かんりんまる)の渡米・桜田門外の変)(五品江戸廻送令・万延貨幣改鋳)
[point]
1.1860年は、咸臨丸の渡米→桜田門外の変→五品江戸廻送令→万延貨幣改鋳と事件が続いた。
[解説]
1.日米修好通商条約の批准のため正使新見正興(しんみまさおき)は米艦に便乗、勝海舟らは咸臨丸で随行渡米に出発(1月)。
2.大老井伊直弼が、江戸城桜田門外の変で水戸浪士らに暗殺される(3月)。
3.江戸市中への物資流入増をねらう五品江戸廻送令がでる(閏3月)。
4.金銀比価が外国で1:15、日本では1:5であっため、10万両以上の金貨が流失した。このため、幕府は対策として重量を軽く小型化した万延貨幣改鋳を行った(4月)。
〈2017関西大・全学部
(C)1858年に調印された日米修好通商条約の批准書を交換するため、1860年に遺外使節がアメリカに渡り、ブキャナン大統領との謁見も行われた。この使節では、米艦ポーハタン号に幕府の木造戦艦である咸臨丸が随行し、咸臨丸の艦長は幕臣の(3){(ア)勝海舟(イ)新見正興(ウ)木村喜毅}がつとめた。
(答:ア ※新見正興は正使「正」)
〈2017早大・商
問J 下線部ヌ嘉永6年(1853)6月にアメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが浦賀沖に現れ、幕府に開国を求めていくを契機に実施された安政の改革について、誤っているものはどれか。
1.阿部正弘が中心となって行われた。
2.徳川斉昭が幕政に参加した。
3.江戸湾に台場が築かれた。
4.五品江戸廻送令が発令された。
5.大船建造の禁が解かれた。
(答:4(1860年発令))