天中紺か 黒ずんだ。
(天理教・中山みき)(金光教(こん5こう9きょう)・川手文治郎(かわてぶんじろう))(黒住教(くろずみきょう)・黒住宗忠(くろずみむねただ))
[point]
1.おもな教派神道には天理教(中山みき)・金光教(川手文治郎)・黒住教(黒住宗忠)がある。
[解説]
1.教派神道は、本来は幕末から明治初期に創始され、それぞれ教祖・教典を持ち、行を重んじ、信者のために病気平癒(へいゆ)など現世利益(げんぜりやく)の祈祷(きとう)をおこなう神道系教団で、それぞれ独立していた。
2.明治政府が上記教団群の中から、出口王仁三郎の大本教など反権力的な教団をはずして13教派を公認し、一括(ひとくく)りに教派神道とよぶ。
3.明治政府が、伊勢神宮を頂点とする天皇が祭神の国家神道(神社神道)を頂上におき、13教派をその下位に従属させ、神道の階層秩序を創ったもの。
4.その見返りに、特権的地位をあたえ保護した。一方、反権力的な出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)の大本教(おおもときょう)は弾圧された。
〈2017早大・教育
史料2は、備中国浅口郡の百姓によって1859年に開かれた、[ B ]教の教義書である。ここでは、『古事記』『日本書紀』に登場する神々も、それに連なる天皇も、百姓もみな同じ人間であるとされ、すべての人々は平等に尊重されるべきであることが説かれている。
(史料2)
伊邪那伎(いざなぎ)、伊邪那美(いざなみ)の命も人間、天照大神も人間なら、そのつづきの天子様も人間じやろうがの。[ C ]の神も同じ事じや。神とは云ふけれども、皆、天地の神から人体を受けて居られるのじや。天地の調(ととの)へた五穀を頂かれねば、命(いのち)がもつまいがな。して見れば、矢張り皆、天が父、地が母じやろうが。
問3 空欄[ B ]に入る語を漢字で答えなさい。
問9 空欄[ C ]は、[ B ]教とは別の民衆宗教を開教した教祖の名前が入る。この空欄[ C ]に入る人名はどれか。
ア 宗忠 イ なお ウ 惣五郎
エ 篤胤 オ 梅岩」
(答:B金光、Cア)〉
〈2016立教大・文
さくがわずか21歳で死去した後の西谷家では、その母へいが「家」を支えたが、へいは宗教に救いを求めることがあった。この時期にはいくつもの民衆宗教が起こり、人々の心をとらえたが、その1つに( ハ )の創始した天理教がある。1867年には、御蔭参りで知られる( ニ )神宮のお札が降ったということで、翌年にかけて民衆の「ええじゃないか」の乱舞が起こった。へいの書き残したものによれば、この時西谷家にもお札が降ったとされている。」
(答:ハ中山みき、ニ伊勢)〉
〈2016早大・教育:「
問6 下線部Cの民衆宗教のうち、幕末に成立したものを3つ選べ。
ア 大本教 イ 黒住教
ウ 金光教 エ 天理教
オ ひとのみち」
(答:イ・ウ・エ)〉
〈2016慶大・文
Ⅲ 次の文章の空欄(E~H)に該当する適当な語句を記入しなさい。
政府の強引な神道国教化は一方で反発を招き、挫折を余儀なくされる。周防国の専照寺出身の真宗僧である( E )のように、ヨーロッパの視察を踏まえて信教の自由の観点から神道国教化を批判する者も現れた。
その後、政府は信教の自由を一応認めたが、神道は宗教でないとして保護を与えた。こうして保護下に置かれた神社神道とは異なり、宗教として公認された( F )神道も存在する。この中には、幕末維新期に勢力を拡大した黒住宗忠の黒住教や中山みきの( G )教、川手文治郎の( H )教などが含まれた。」
(答:E島地黙雷、F教派、G天理、H金光)〉
〈2013立大・文:「
下線部の(幕末におこった)民衆宗教について、このうちに川手文治郎(赤沢文治)を教祖とする民間宗教名を答えよ。」
(答:金光教)