山崎豊子の作品の基本構造はこうだ。
主人公が社会的な悪と闘い始める。
その闘いには葛藤がある。
闘うことにより出世コースから外れる。
家族を犠牲にする。
主人公の前に現れる強大な敵。
現れる主人公の協力者。
信じていた仲間の裏切り。
「沈まぬ太陽」(1)から例を取ってみる。
主人公・恩地元は国民航空の労働組合の委員長に選ばれる。
前委員長の八馬から推薦があったからだ。
労働組合と言っても会社のなれ合い組合。
八馬は彼の性格から、そのなれ合いを引き継いでくれる人材として恩地を推薦した。恩地は八馬から言われる。
「うまくやってくれれば将来は必ず保証される」
現に恩地は予算室で働くバリバリのエリートだった。
しかし、恩地は就任するや問題意識を持ち、組合の主張を会社側にあげるようになる。
国民航空の労働条件があまりにも劣悪だったからだ。
その原因は「組合がありながら、幹部の連中が組合委員のことより、自分たちの出世のために会社と馴れ合っているからだ。どの部門の職場でも不満は鬱積しているのに、言い出す者がいない」
委員長になった恩地は主張する。
「わが国民航空はお客様の事故に繋がるという自覚を持って、日夜、それぞれの職場で努力しておられると思います。しかし現状の賃金、労働条件はあまりに前近代的で、社会的役割と企業の規模からかけ離れているばかりか、公務員並みの水準にも至っておりません」
会社側と対峙してストを決行する。
こうして主人公の闘いが始まる。
しかし、障害が主人公を襲う。
前委員長の八馬は言う。
「今のままでは私の面子まるつぶれ、君を推薦した私の責任まで問われているんだ。組合と言っても会社あっての組合だってことくらいわかっているだろう」
それに対して恩地は言う。
「私は御用組合の委員長になるという約束はいたしておりません」
政治家からも圧力がかかる。彼は労働組合系の政治家であったが。
「団交というのは、ただ押しまくればいいというもんじゃなく、頃合いを見計らって手早く退くところが、委員長の腕の見せ所なんだ。あまりにも素人すぎるよ。何だったら私がパイプ役の労を取ってもいいから一度、議員会館に来ないか?」
恩地は言う。
「ご助言は有り難く思いますが、素人は素人なりにやって行こうと思いますので」
すると議員は急に横柄になって「そうかい、私は親切心で言っているだけだ。相談があればいつでも来たまえ」と言う。
味方も現れる。
運航技術部の志方は、空港で起こった飛行機事故の原因は超過勤務にあったとして恩地と組合の主張を支持する。
一方、敵も強大になる。
堂本はかつて共産党員として戦中、闘っていた人間だったが今は転向している。そんな彼が取締役になり、恩地の敵になる。
この闘いの結果、恩地は左遷され、アフリカでの海外勤務を余儀なくされる。
組合は不当人事だと反対のビラを配るが、相手にされない。
副委員長の行天は恩地と共に闘ってきた人間だったが、懐柔されて組合を抜けた。そして今はエリートコースを歩んでいる。
そして数年後、御巣鷹山の大惨事が起きる。
恩地が組合で主張してきたことが証明されたわけだ。
オーソドックスなドラマながら、人物がそれぞれの立場で的確に描かれているから面白い。
ワンシーンワンシーンがそれぞれに緊張感があるから長編であることを感じない。
敵が巨大な組織で、腐敗している組織だから恩地の闘いが活きてくる。
恩地が抱える葛藤、すなわち「自分が闘ってきたことは正しかったのか?」「自分は空しい闘いをして人生を無駄に過ごしてきたのではないか?」という葛藤が、御巣鷹山の事故にいたる。事故の痛みはあるが、自分の闘いが正しかったことが証明される。
このドラマ構成が見事だ。
★研究ポイント
物語の基本構造のお手本。
人物の登場・退場の仕方も計算されている。
ディティルの描写も見事。
「白い巨塔」と比べてみても構造は同じであることがわかる。
医療ミス。
大学側からの里見への圧力。
医療ミスと判断する者(敵)、しない者(味方)が入り乱れての裁判での証言。
裁判の敗訴。
主人公が社会的な悪と闘い始める。
その闘いには葛藤がある。
闘うことにより出世コースから外れる。
家族を犠牲にする。
主人公の前に現れる強大な敵。
現れる主人公の協力者。
信じていた仲間の裏切り。
「沈まぬ太陽」(1)から例を取ってみる。
主人公・恩地元は国民航空の労働組合の委員長に選ばれる。
前委員長の八馬から推薦があったからだ。
労働組合と言っても会社のなれ合い組合。
八馬は彼の性格から、そのなれ合いを引き継いでくれる人材として恩地を推薦した。恩地は八馬から言われる。
「うまくやってくれれば将来は必ず保証される」
現に恩地は予算室で働くバリバリのエリートだった。
しかし、恩地は就任するや問題意識を持ち、組合の主張を会社側にあげるようになる。
国民航空の労働条件があまりにも劣悪だったからだ。
その原因は「組合がありながら、幹部の連中が組合委員のことより、自分たちの出世のために会社と馴れ合っているからだ。どの部門の職場でも不満は鬱積しているのに、言い出す者がいない」
委員長になった恩地は主張する。
「わが国民航空はお客様の事故に繋がるという自覚を持って、日夜、それぞれの職場で努力しておられると思います。しかし現状の賃金、労働条件はあまりに前近代的で、社会的役割と企業の規模からかけ離れているばかりか、公務員並みの水準にも至っておりません」
会社側と対峙してストを決行する。
こうして主人公の闘いが始まる。
しかし、障害が主人公を襲う。
前委員長の八馬は言う。
「今のままでは私の面子まるつぶれ、君を推薦した私の責任まで問われているんだ。組合と言っても会社あっての組合だってことくらいわかっているだろう」
それに対して恩地は言う。
「私は御用組合の委員長になるという約束はいたしておりません」
政治家からも圧力がかかる。彼は労働組合系の政治家であったが。
「団交というのは、ただ押しまくればいいというもんじゃなく、頃合いを見計らって手早く退くところが、委員長の腕の見せ所なんだ。あまりにも素人すぎるよ。何だったら私がパイプ役の労を取ってもいいから一度、議員会館に来ないか?」
恩地は言う。
「ご助言は有り難く思いますが、素人は素人なりにやって行こうと思いますので」
すると議員は急に横柄になって「そうかい、私は親切心で言っているだけだ。相談があればいつでも来たまえ」と言う。
味方も現れる。
運航技術部の志方は、空港で起こった飛行機事故の原因は超過勤務にあったとして恩地と組合の主張を支持する。
一方、敵も強大になる。
堂本はかつて共産党員として戦中、闘っていた人間だったが今は転向している。そんな彼が取締役になり、恩地の敵になる。
この闘いの結果、恩地は左遷され、アフリカでの海外勤務を余儀なくされる。
組合は不当人事だと反対のビラを配るが、相手にされない。
副委員長の行天は恩地と共に闘ってきた人間だったが、懐柔されて組合を抜けた。そして今はエリートコースを歩んでいる。
そして数年後、御巣鷹山の大惨事が起きる。
恩地が組合で主張してきたことが証明されたわけだ。
オーソドックスなドラマながら、人物がそれぞれの立場で的確に描かれているから面白い。
ワンシーンワンシーンがそれぞれに緊張感があるから長編であることを感じない。
敵が巨大な組織で、腐敗している組織だから恩地の闘いが活きてくる。
恩地が抱える葛藤、すなわち「自分が闘ってきたことは正しかったのか?」「自分は空しい闘いをして人生を無駄に過ごしてきたのではないか?」という葛藤が、御巣鷹山の事故にいたる。事故の痛みはあるが、自分の闘いが正しかったことが証明される。
このドラマ構成が見事だ。
★研究ポイント
物語の基本構造のお手本。
人物の登場・退場の仕方も計算されている。
ディティルの描写も見事。
「白い巨塔」と比べてみても構造は同じであることがわかる。
医療ミス。
大学側からの里見への圧力。
医療ミスと判断する者(敵)、しない者(味方)が入り乱れての裁判での証言。
裁判の敗訴。