平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

山本周五郎 「青竹」

2006年02月24日 | 短編小説
井伊直政の家臣・余吾源七郎。
彼はまっすぐ伸びた「青竹」の様な性格だった。
彼の信念はこうである。
「すべてはわが主君のため」
そこに出世、功名などの私心はない。

彼は関ヶ原の折、敗走する島津惟新義弘を守って戦った亜多豊後惇盛を討ち取った。その論功について源七郎は言わなかったが、1年後、本多忠勝の主張により論功が再びなされる。
論功を主張しなかった源七郎の理由はこうだ。
「わたくしはただひとすじに戦うだけでございます。戦がお味方の勝ちになればよいので、ひとりでも多く敵を討って取るほか余念はございません。さむらい大将をひとり討ったからとて功名とも思いませぬし、雑兵だからとて詰まらぬとも存じません」

すべては主君のため、自分の功名を騒ぎ立てることなど取るに足りないことなのだ。
この点、同じ主君のために働きながら、功名を求め家を盛り立てようとした「功名が辻」の山内一豊とは違う。

源七郎は関ヶ原の折、この亜多豊後を討ち取った功績で500石の加増を主張してほぼ認められそうになる。だが、ひとり反対する者がいた。
竹岡兵庫という老臣だ。

物語はこの兵庫との関係で進んでいく。

兵庫は500石の加増について言う。
「かような事は前例となるものでございます。合戦が終わって年数が経ちましてから、あの功名はおれのものだと、てんでん勝ちな論争が出ました場合、いかがあそばしますか」
これにより、500石の加増はなくなる。
源七郎の顔も曇った。
しかし、源七郎の顔が曇ったのは加増がなくなったからではなかった。
兵庫の言ったことは正しく、一瞬でも加増を喜んだ自分が恥ずかしかったからだ。

ここで恥ずかしいと思うか、兵庫を恨むかで物語の展開は大きく違ってくる。
山本周五郎は「恥ずかしい」と思う源七郎を描いた。
物語は進んで大坂夏の陣。

源七郎は大阪城の天王寺口の攻めを担当する。豊臣側の必死の抵抗に源七郎の部隊は壊滅的な打撃を受ける。
いったん退散するように軍令が出る。
それでも源七郎は引こうとしない。
しかし、この源七郎の抵抗が敵を怯ませた。
源七郎の旗印は「墨絵かぶらに数珠」
これが不退転の象徴、悪鬼羅刹の旗印に見えたのである。
敵の動揺を見てとった前田利常と片桐かつもとは源七郎の確保した攻撃路をひた押しして天王寺口を突破する。

これで大阪城は陥落した。
そして、この源七郎の軍令違反について審問が開かれる。
直孝は「軍令か聞こえなかったのではないか」などと助け船を出すが、源七郎はそれに応えない。
「まったく源七郎の不所存でございます。何卒掟どおりの御処分をお願いします」と言う。
結局、源七郎の処分はこうなる。
「軍令にそむき、二百余騎の兵を喪った罪によって切腹を申し付くべきところ、祥寿院さま(直政)以来の功に免じ、食禄めしあげその身は追放に処す」

これに対してまた、老臣・竹岡兵庫が異論を述べた。
「恐れながら軍令にそむきました点のお咎めは承りました。しかしまだ源七郎の手柄に対しての御恩賞の沙汰はうかがいません。ご失念かと存じます」
源七郎はこれで500石の加増になり、罪も免れる。
源七郎の一途な忠義が認められたのである。

兵庫が源七郎を救った。
物語的に言えば、関ヶ原で落ちて大阪夏の陣で上がった。
このうねり。
これが物語を読む楽しさだ。

山本周五郎は最後に物語をこう落とす。
関ヶ原での加増の件がなくなった後に、兵庫は源七郎に自分の娘と結婚しないかと申し出ていた。源七郎の侍ぶりが気に入ったからである。
しかし、「上役の娘をもらうことは他の家臣の妬みにもなる」と言ってこの無骨で自分の信念に妥協しない男は断る。源七郎は兵庫の娘を一目見て好きになってしまったにも関わらず。
結局、娘は病で死んでしまい、源七郎は自らの旗印に娘への想いを込める。
源七郎の旗印はもともと「墨絵かぶら」であったのだが、その下に「数珠」を付けたのである。
この旗印の所以は、小説のラストで明かされる。
そこに描かれる哀しみ。
源七郎は自分の信念に生きたが、その裏には失ったもの・哀しみがあった。
「無器用な信念の男・源七郎」という作品モチーフに「その信念を貫き通したが故に大切なものを得られなかった哀しみ」が加わって、見事な小説になった。
「無器用な信念の男」を描いただけでは、この様な見事な作品にはならなかっただろう。

★研究ポイント
 小説に「うねり」をつける。
 短編小説の場合は、「うねり」に関わる人物は絞った方が効果的だ。この作品の場合は竹岡兵庫。
 そして「うねり」の他につける「オチ」。
 このオチをつけると作品に深みが加わる。
 今回は「信念に生きる男の清廉さ」を描くと同時に「哀しみ」も描くことで、「信念に生きることの裏表」を表現した。

 ひとつの事象には必ず裏と表がある。栄光の背後には陰がある。
 これを描くことで大人の小説になる。 

★追記
 この作品は小道具の使い方が見事。
 源七郎の旗印もそうだが、「青竹」もそう。 
 関ヶ原で亜多豊後を討った時、源七郎は青竹の槍を使った。
 通常の槍はいったん敵に刺すと引く抜くことが難しく、次の働きができないからである。源七郎は部下に30本以上の竹槍を持たせ、自分の後についてくるように命じた。竹槍を敵に刺して討ち取ると、部下から新しい竹槍を受け取って戦う。
源七郎の合理的な面を描いているが、同時に主人公の「青竹」を割った様な性格も象徴させている。
コメント
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