架空の主人公と歴史上の人物とを絡ませたいという欲求は多くの作家にあるようだ。
「修羅の刻」(川原正敏)もそう。
陸奥出雲は剣を使わない無手の拳法(組み打ち術)・陸奥圓明流を使って、幕末の坂本龍馬や新選組と絡む。
坂本龍馬とはこう。
剣は強いが、優しい龍馬は人を斬れない。
龍馬は迷っている。
このまま剣に生きるべきか、新しい自分の夢(自分の船を持って世界を往く)かで迷っている。
龍馬は陸奥出雲と友だちになり、壮絶な勝負をして負ける。
そして、剣を捨て新しい自分の夢に向かう決心をする。
龍馬暗殺にも出雲は立ち会った。
龍馬の力で大政奉還がなり、「振り上げた拳を降ろせなくなった」薩摩藩。薩摩は幕府を叩き伏せ、自分の実績・力を誇示したかったのである。そのため、西郷隆盛はそうではなかったが、薩摩の連中は動きまわる龍馬が面白くない。
龍馬の友人・陸奥出雲はそんな薩摩の連中、そして幕府を消滅させたことを恨む新選組から龍馬を守ることを決意する。
そして、薩摩の人斬り・中村半次郎と立ち会う。
半次郎は示現流の使い手だ。
出雲は示圧倒的な威力を持つ示現流の初太刀をかわすことなく、踏み込むと剣より速く蹴りを入れて勝つ。
しかし、半次郎と戦っている隙に龍馬は襲われ斬られてしまう。
出雲は新選組がやったと思い、屯所に乗り込むが下手人はそうではなかった。
新選組を抜けた伊東甲子太郎が下手人であった。
伊東は薩摩に取り入るため、龍馬を斬ったのだ。
そんな伊東と出雲は油小路で戦う。
伊東は自分の剣を振るいながら出雲に言う。
「自分の剣の前に龍馬は剣を抜くことすらできなかった」
出雲は答える。
「龍さんの剣はもっと速かったぜ。龍さんは刀を抜けなかったのではない。抜かなかったのだ」
そして、伊東は倒される。
新選組が駆けつけてくる。出雲は去り、歴史上、「油小路の戦い」は新選組がやったことになる。歴史事実のつじつま合わせである。
最後にこの物語の作者のモチーフは以下のことである。
1.坂本龍馬を描きたい。
2.示現流など様々な流派と陸奥圓明流との戦いを描きたい。
3.自分の創り出した主人公を歴史の中で活躍させたい。
★研究ポイント
歴史上の人物と自分の主人公を絡ませるという着想。
格闘マンガと歴史マンガを合わせるという新しいジャンルの作品。
出雲と新選組は次の様に絡む。
沖田総司……病気療養の身。出雲との勝負で最期の命を燃え尽きさせる。
土方歳三……沖田は剣の天才だが、土方は鬼。修羅場をくぐり抜けて来た悪鬼の剣。これに修羅の剣の陸奥出雲が戦う。この沖田と土方、人物対比が面白い。
★追記
家光の時代を舞台にした「寛永御前試合篇」では様々な流派が登場する。
・柳生新陰流(江戸柳生・尾張柳生)
・小野派一刀流
・宝蔵院流槍術
・示現流(蜻蛉、満の構え)
・抜刀田宮流(居合い)
・二天一流(宮本武蔵~伊織)
・新当流(塚原卜伝の流れ)
・富田流(小太刀)
敵となるのは、柳生の剣だ。
同じ柳生でも十兵衛は父を批判する。
「剣禅一如などはただの方便。政治外交剣、出世のための剣。この十兵衛、権力争いなどという俗事に興味はござらぬ。興味があるのはおれより強いかもしれぬ者と仕合うことでござる」
「剣とはしょせん人を斬るものと心得ておりまする。俺はただ強いやつとやりたいだけの大ばかもの」
この十兵衛の考え方が、寛永試合を政治の場に使おうとする柳生、天海、そして真田幸村の遺児で将軍・家光の命を狙う圓、そして陸奥圓明流の天斗らと絡み合う。
最後に政治的な権力争い抜きで、天斗と戦うことを楽しむ十兵衛のせりふがかっこいい。
「野にはさても化け物が多い。お前のような化け物とつきあってくれるやつは俺か武蔵くらいのものだ」
この戦いで十兵衛の片目は偽りであることが明らかにされる。
修練を積むために眼帯をつけ、わざと片目にしていたのだ。
だから、眼帯をとって両目が見えるようになった十兵衛は強い。
この辺はいかにもマンガ的だ。
結局、戦いの最中、十兵衛は指を目に突き入れられて、片目になってしまうけれど。
戦いが終わって十兵衛は言う。
「楽しかったな。退屈になったらまた訪ねて来い」
「修羅の刻」(川原正敏)もそう。
陸奥出雲は剣を使わない無手の拳法(組み打ち術)・陸奥圓明流を使って、幕末の坂本龍馬や新選組と絡む。
坂本龍馬とはこう。
剣は強いが、優しい龍馬は人を斬れない。
龍馬は迷っている。
このまま剣に生きるべきか、新しい自分の夢(自分の船を持って世界を往く)かで迷っている。
龍馬は陸奥出雲と友だちになり、壮絶な勝負をして負ける。
そして、剣を捨て新しい自分の夢に向かう決心をする。
龍馬暗殺にも出雲は立ち会った。
龍馬の力で大政奉還がなり、「振り上げた拳を降ろせなくなった」薩摩藩。薩摩は幕府を叩き伏せ、自分の実績・力を誇示したかったのである。そのため、西郷隆盛はそうではなかったが、薩摩の連中は動きまわる龍馬が面白くない。
龍馬の友人・陸奥出雲はそんな薩摩の連中、そして幕府を消滅させたことを恨む新選組から龍馬を守ることを決意する。
そして、薩摩の人斬り・中村半次郎と立ち会う。
半次郎は示現流の使い手だ。
出雲は示圧倒的な威力を持つ示現流の初太刀をかわすことなく、踏み込むと剣より速く蹴りを入れて勝つ。
しかし、半次郎と戦っている隙に龍馬は襲われ斬られてしまう。
出雲は新選組がやったと思い、屯所に乗り込むが下手人はそうではなかった。
新選組を抜けた伊東甲子太郎が下手人であった。
伊東は薩摩に取り入るため、龍馬を斬ったのだ。
そんな伊東と出雲は油小路で戦う。
伊東は自分の剣を振るいながら出雲に言う。
「自分の剣の前に龍馬は剣を抜くことすらできなかった」
出雲は答える。
「龍さんの剣はもっと速かったぜ。龍さんは刀を抜けなかったのではない。抜かなかったのだ」
そして、伊東は倒される。
新選組が駆けつけてくる。出雲は去り、歴史上、「油小路の戦い」は新選組がやったことになる。歴史事実のつじつま合わせである。
最後にこの物語の作者のモチーフは以下のことである。
1.坂本龍馬を描きたい。
2.示現流など様々な流派と陸奥圓明流との戦いを描きたい。
3.自分の創り出した主人公を歴史の中で活躍させたい。
★研究ポイント
歴史上の人物と自分の主人公を絡ませるという着想。
格闘マンガと歴史マンガを合わせるという新しいジャンルの作品。
出雲と新選組は次の様に絡む。
沖田総司……病気療養の身。出雲との勝負で最期の命を燃え尽きさせる。
土方歳三……沖田は剣の天才だが、土方は鬼。修羅場をくぐり抜けて来た悪鬼の剣。これに修羅の剣の陸奥出雲が戦う。この沖田と土方、人物対比が面白い。
★追記
家光の時代を舞台にした「寛永御前試合篇」では様々な流派が登場する。
・柳生新陰流(江戸柳生・尾張柳生)
・小野派一刀流
・宝蔵院流槍術
・示現流(蜻蛉、満の構え)
・抜刀田宮流(居合い)
・二天一流(宮本武蔵~伊織)
・新当流(塚原卜伝の流れ)
・富田流(小太刀)
敵となるのは、柳生の剣だ。
同じ柳生でも十兵衛は父を批判する。
「剣禅一如などはただの方便。政治外交剣、出世のための剣。この十兵衛、権力争いなどという俗事に興味はござらぬ。興味があるのはおれより強いかもしれぬ者と仕合うことでござる」
「剣とはしょせん人を斬るものと心得ておりまする。俺はただ強いやつとやりたいだけの大ばかもの」
この十兵衛の考え方が、寛永試合を政治の場に使おうとする柳生、天海、そして真田幸村の遺児で将軍・家光の命を狙う圓、そして陸奥圓明流の天斗らと絡み合う。
最後に政治的な権力争い抜きで、天斗と戦うことを楽しむ十兵衛のせりふがかっこいい。
「野にはさても化け物が多い。お前のような化け物とつきあってくれるやつは俺か武蔵くらいのものだ」
この戦いで十兵衛の片目は偽りであることが明らかにされる。
修練を積むために眼帯をつけ、わざと片目にしていたのだ。
だから、眼帯をとって両目が見えるようになった十兵衛は強い。
この辺はいかにもマンガ的だ。
結局、戦いの最中、十兵衛は指を目に突き入れられて、片目になってしまうけれど。
戦いが終わって十兵衛は言う。
「楽しかったな。退屈になったらまた訪ねて来い」