平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

パルプ・フィクション

2009年05月23日 | 洋画
 僕は真面目なのだろうか、タランティーノの良さがわからない。
 まず僕はストーリーや言いたいことがしっかりしてないとダメなんですよね。
 この作品は敢えてその逆をやった作品。

★まずストーリーラインは3つ。
・ギャングのヴィンセント(ジョン・トラボルタ)のストーリー。
・ボクサー、ブッチ(ブルース・ウィリス)の試合での八百長話。
・不良カップルのパンプキン(ティム・ロス)とハニー・バニー(アマンダ・プラマー)のコーヒーショップでの強盗話。

 でもそれぞれのストーリー進行に何の脈絡もない。
 ヴィンセントはギャングのボスの若く美しい妻ミア(ユマ・サーマン)の夕食のお相手役をするが、ミアはクスリを多用しすぎてあわを吹いて心臓発作。
 ここでヴィンセントはボスに追われることになるのかと思いきや、注射針を心臓に刺すとミアは蘇生。それでこの話は終わり。
 ところが今度は別の事件が発生。
 何とヴィンセントの銃が暴発して仲間の頭が吹っ飛び、彼は車の大掃除をすることに。脳味噌の片づけとか……。
 そしてこの話は片づけが済んで終わり。警察に追われるとか、そういうことは全然ない。

 ストーリーの脈絡のなさはボクサー・ブッチの話も同じ。
 八百長のことでギャングのボスに追われるが、逃げ込んだショップの主人が変質者で、ブッチを追ってきたギャングのボスと共にSMの拷問に遭ってしまう。
 なぜここでSM好きの変質者が現れてブッチたちが拷問に遭うのか?
 ストーリー上の必然はないし、意味もない。

★これは一体何なのか?
 まあ、この作品を楽しめない時点で僕の頭は固くなっているのかもしれませんね。
 この作品を見た若者達はそれぞれのシーンで笑い転げているという。
 敢えてこの作品を意味づけすると
 『我々の生きている現実はこの様脈絡のないもの。我々は偶然に支配され行き当たりばったりに生きている』ということでしょうか?
 そしてタランティーノは『この無意味な行き当たりばったりの生を認識して楽しめ』と言っている?
 もっともこういう意味づけ、テーマ探しこそこの作品の精神に反することなのかもしれませんが……。


コメント
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