平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

クレオパトラな女たち~主人公・峯太郎は何に悩んでいるのだろう?

2012年04月19日 | 職業ドラマ
 何だろう、この作品は?
 岸峯太郎(佐藤隆太)が何に悩んでいるのかがわからない。
 だって、『美容整形は患者さんのモチベーションを上げるためのものです』という主張の方が断然正しい。
 短い人生、ウジウジ悩んでいるよりは、モチベーションを上げて前向きに生きた方が絶対にいい。
 そのきっかけが<美容整形>なら、それはそれでいいではないか。
 『健康な体を傷つけるべきではない』なんて価値観を押しつける峯太郎の方がおかしい。

 峯太郎は、親の借金のせいで「何で自分はこんな目に遭うんだろう」と悩んでばかりいるが、要するに自分のことばかりに悩んでいて、他人の痛みがわからないのだ。

 <美容整形>に高額なお金を払うことにも峯太郎は違和感があるようだが、市井睦(稲森いずみ)らの技術はアートなのである。
 これを否定するなら、絵画や宝石、あるいはブランド品にお金を払うことも否定されなければならない。
 お金を払う人は納得しているわけだし、払うことで<安心>を得て、<満足>を感じているのだから。
 一方、高額なお金をいただく市井睦らも、それに見合うプロの技術を提供する。決してぼったくりではない。
 これこそプロフェッショナル。

 整形後の患者の人生に関わるべきでない、という姿勢もプロとして正しい。
 美容整形を受けると決心するのも個人の自由なら、その後、どう生きようと個人の自由なのだ。
 整形の結果、若い愛人ができて離婚することになっても、それは本人が選んだこと。
 その選択は、幸せをもらたすかもしれないし、不幸をもたらすかもしれない。
 だが、その結果は誰も予測することができない。
 第一、何を幸せに思い、不幸せに思うかは、本人次第だし。
 だから医者が関わることでない。
 整形後の患者の人生に関わろうとすること自体が傲慢だ。
 仮に峯太郎が、ホクロ女性の手術をやめさせられたとして、その女性がずっと不幸だったら峯太郎は彼女に対して責任をとれるのか?

 この作品はおそらく峯太郎が変わっていく話なのだろう。
 『37歳で医者になった僕』とは逆のパターンの話。
 『37歳』の祐太(草剛)が周囲の医者たちを変えていくのに対し、この作品では峯太郎が変わっていく。
 美容整形を受けた患者さんがそうであるように、峯太郎自身も世界との調和を取り戻していく。

 最終回にはそんな結末と結論が描かれるのだろうけど、脚本は大石静さんだし、別の結末が用意されているのか?


コメント
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