平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

平清盛 第13回「祇園闘乱事件」~清盛、一世一代の大博打!

2012年04月02日 | 大河ドラマ・時代劇
 「たまたま当たったのではない。俺は狙って射たのじゃ。あんなもの、ただのハコじゃ、神など宿っておらぬ」
 清盛(松山ケンイチ)は合理主義者だ。
 迷信とか呪いとかを信じていない。
 それらは僧侶たちが自分たちを偉く見せ、権威づけるための方便だと思っている。

 迷信とか呪い。
 それは清盛の時代に限ったことではない。
 現代でも「原子力発電所がなくなれば電力不足に陥り、日本経済は崩壊する」と脅している。
 でも本当かな?
 電力会社や原子力推進者の作りだした迷信ではないのか。
 まあ、比叡山の僧侶も電力会社も原子力推進派も、自分たちの主張を信じているんでしょうけどね。

 今回はいくつかの対立図式が生まれた。
・頼長(山本耕史)VS信西(阿部サダヲ)
・清盛VS家盛(清盛の弟)

 平氏と源氏。清盛と義朝(玉木宏)にも対立関係があるが、こちらはあくまで好敵手・ライバル関係でさわやかだ。

 さて、今回の見所は何と言っても、清盛VS鳥羽院(三上博史)。
 緊張感のある見事な芝居だった。
 清盛はひるまない。
 「そちが射たのはわざとか? 手違いか?」と生殺与奪の力を持つ権力者に問われれば、普通は「手違いです」と答えるだろう。
 清盛は自分だけでなく、平家一門も背負っているのだから。自分のひと言が一門の運命を変える。
 しかし清盛は「わざとにござりまする」と答える。
 この時、清盛の手の中にあったのはサイコロ。
 清盛は賭けに出た。
 まさに一世一代の大勝負だ。
 「わざとにござりまする」と振ったサイコロはどう転がるか?

 鳥羽院は矢を射られて、目に涙を溜め、笑いながら(←すごい感情表現!)、清盛たちを許す。
 この許した理由は何だろう。
 鳥羽院は清盛に射られて、<浄化>されたんでしょうね。
 白河院、崇徳、璋子、得子……、彼らをめぐるドロドロした感情から解放された。
 ちょうど璋子が白河院の呪縛から解放され、得子が璋子の死で気が抜けてしまったように。
 その位、清盛の矢はまっすぐだった。
 世の中のあらゆる矛盾を糾弾する鋭い矢だった。

 そのまっすぐで鋭い矢は、まさに清盛の眼そのもの。
 眼で演じることが出来る松山ケンイチさんは、やはり大した役者さんだ。

 最後に時子(深田恭子)。
 蟄居する清盛に届けたのは、すごろく。
 清盛のことを実によく理解しているではありませんか。
 時子自身は意識してやったわけではないのでしょうが、夫・清盛に「こんな状況でも遊べ」「状況を楽しめ」と語っている。
 それがクライマックスの鳥羽院とのサイコロを握りしめた一世一代の大博打にも繋がっている。


コメント (8)
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