野菜に話しかけながら育てているうら(長谷川京子)。
彼女は野菜と同時に、お腹の中の子にも話しかけていたんでしょうね。
お前も大きく育てと。
ところが攘夷派の人間から、夫を守ろうとして流産。
彼女の哀しみと山本家に対する申し訳なさはどれほどのものかと思うが、その後の八重(綾瀬はるか)とのやりとりが興味深い。
後日、八重は、うらと同じように話しかけながら野菜を育てているが、うらの真意(=お腹の子にも「大きく育て」と話しかけていたこと)を理解していない。
自分の子を宿したことのない八重には仕方のないことなのでしょうが、八重はまだ子供なんですね。
だから、この後、うらが大泣きしても「姉様、どうされたのですか?」と戸惑うことしか出来ない。
このふたりの対比が巧みに描かれていた、いいシーンだったと思います。
吉田寅次郎(小栗旬)の死に関しては、覚馬(西島秀俊)のリアクションがドラマになっている。
まずは、過激な攘夷派に対する<怒り>と攘夷を唱える寅次郎に対する<友情>の相克。
尚之助(長谷川博己)が語ったように、覚馬の中では、このふたつの感情が混在して、「大事な人が亡くなったのに悲しむことが出来ない」でいる。
実に複雑な心情だ。
そんな覚馬の気持ちに整理・決着をつけたのが、寅次郎の言葉。
「至誠にして 動かざるものは未だ これあらざるなり」
<誠を尽くす>という愚直な生き方の点で、覚馬と寅次郎はふたたび通じ合うことが出来た。
自分も寅次郎のように、誠を尽くして自分の正しいと思うことを語り、行動していこうと。
だから、西郷頼母(西田敏行)に、『今は内乱をしている時ではなく、会津は水戸と幕府の調整をすべきだ』と建白した。
結果は「分をわきまえろ」と一蹴されてしまったが、寅次郎の<愚直さ>は覚馬の中で生きている。
それは高杉晋作ら幕末の志士たちも同じ。
寅次郎の精神は、こうして受け継がれていったんでしょうね。
彼女は野菜と同時に、お腹の中の子にも話しかけていたんでしょうね。
お前も大きく育てと。
ところが攘夷派の人間から、夫を守ろうとして流産。
彼女の哀しみと山本家に対する申し訳なさはどれほどのものかと思うが、その後の八重(綾瀬はるか)とのやりとりが興味深い。
後日、八重は、うらと同じように話しかけながら野菜を育てているが、うらの真意(=お腹の子にも「大きく育て」と話しかけていたこと)を理解していない。
自分の子を宿したことのない八重には仕方のないことなのでしょうが、八重はまだ子供なんですね。
だから、この後、うらが大泣きしても「姉様、どうされたのですか?」と戸惑うことしか出来ない。
このふたりの対比が巧みに描かれていた、いいシーンだったと思います。
吉田寅次郎(小栗旬)の死に関しては、覚馬(西島秀俊)のリアクションがドラマになっている。
まずは、過激な攘夷派に対する<怒り>と攘夷を唱える寅次郎に対する<友情>の相克。
尚之助(長谷川博己)が語ったように、覚馬の中では、このふたつの感情が混在して、「大事な人が亡くなったのに悲しむことが出来ない」でいる。
実に複雑な心情だ。
そんな覚馬の気持ちに整理・決着をつけたのが、寅次郎の言葉。
「至誠にして 動かざるものは未だ これあらざるなり」
<誠を尽くす>という愚直な生き方の点で、覚馬と寅次郎はふたたび通じ合うことが出来た。
自分も寅次郎のように、誠を尽くして自分の正しいと思うことを語り、行動していこうと。
だから、西郷頼母(西田敏行)に、『今は内乱をしている時ではなく、会津は水戸と幕府の調整をすべきだ』と建白した。
結果は「分をわきまえろ」と一蹴されてしまったが、寅次郎の<愚直さ>は覚馬の中で生きている。
それは高杉晋作ら幕末の志士たちも同じ。
寅次郎の精神は、こうして受け継がれていったんでしょうね。