平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「竜馬がゆく」 司馬遼太郎~幕末の狂信的な流れは昭和になって、昭和維新を信ずる妄想グループにひきつがれ、大東亜戦争をひきおこした

2018年05月17日 | 小説
 坂本龍馬のことを調べるために「竜馬がゆく」(司馬遼太郎著)を読んでいたら、こんな描写があった。

『重太郎は、流行の水戸的な攘夷思想にかぶれている。
 それがおなじく流行の国学者の攘夷思想と入りまじって、きわめて宗教臭のつよいものだ。
 この神国思想は、明治になってからもなお脈々と生きつづけて熊本で神風連の騒ぎをおこし、国定教科書の史観となり、昭和右翼や、陸軍正規将校の精神的支柱となり、おびただしい盲信者を生んだ。
 たしかにこの宗教的攘夷論は幕末を動かしたエネルギーではあったが、しかし、ここに奇妙なことがある。
 攘夷論者のなかには、そういう宗教色をもたない一群があった。
 長州の桂小五郎、薩摩の大久保一蔵(利通)、西郷吉之助、そして坂本龍馬である。
 宗教的攘夷論者は、桜田門外で井伊大老を殺すなど、維新のエネルギーにはなったが、維新政権はついにかれらの手ににぎることはできなかった。
 しかしその狂信的な流れは昭和になって、昭和維新を信ずる妄想グループにひきつがれ、ついに大東亜戦争をひきおこして、国を惨憺たる荒廃におとし入れた。
 余談から余談につづくが、大東亜戦争は世界史最大の怪事件だろう。
 常識で考えても敗北とわかっているこの戦さを、なぜ陸軍軍閥はおこしたのか。
 それは、未開、盲信、土臭のつよい宗教的攘夷思想が、維新の指導的志士にはねのけられたため、昭和になって無智な軍人の頭脳のなかで息をふきかえし、それがおどろくべきことに「革命思想」の皮をかぶって軍部をうごかし、ついに数百万の国民を死に追いやった。
 昭和の政治史は、幕末よりもはるかに愚劣で、蒙昧であったといえる。』(文春文庫・第3巻)


 司馬遼太郎は合理主義者で、非合理なものが大嫌いなんですね。
 その非合理なものの最たるものが、大東亜戦争。

 この非合理は〝宗教的な盲信〟と〝政治〟が結びついた結果だと考えている。

 宗教的な盲信ほど、おそろしいものはない。
 現在も、「日本すごい!」とか、天皇を宗教的な存在に祭り上げようとする動きが垣間見えるのだが、大丈夫だろうか?
 自民党の三原じゅん子なんか、「神武天皇の時代から歴史をとらえ直そう」とか言ってるみたいだし。

 
コメント (2)
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