今回は、天からの視点である。
天から人間の営みを見ていれば、私怨など瑣末なこと。
憎しみにとらわれていては、正しい道など見出せない。
だから過去の経緯を捨てて、薩長同盟。
許すことで前に踏み出せる。
今回のエピソードをまとめると、こんな感じでしょうか。
憎しみ、プライド、主義主張、不安……
人間、生きていると、さまざまなものにとらわれて、なかなか前に進めない。
それが合理的で正しいことだとわかっていても、感情やこだわりが邪魔をする。
天に昇って神様や仏様になってしまえば、そういうことはないのだろうが、美和(井上真央)たちは現実に生きている人間だ。簡単に悟りきることなどできない。
一方、坂本龍馬(伊原剛志)は美和たちとは違う。
龍馬は過去のしがらみに関係ない第三者であり、合理性と利で動く商人の感覚を持ち合わせていた。
だから薩長同盟をプロデュースできた。
「新しく生まれ変わるこの国の根っこになれ! ほれ、腰を据えんかい!」
とらわれのない龍馬の言葉はさわやかだ。
だが、そんな美和に転機が訪れる。
父の死だ。
父の死を知ることによって、彼女は天からの視点を感じ、私怨を乗り越えた。
仏様のような気持ちになって、自分の心を洗濯し、過去の敵を許した。
その象徴的が、興丸の小姓の人選だ。
周布、高杉、そして椋梨の一族からの抜擢……まさに過去にとらわれない人選だ。
今回は<憎しみを捨てて許す>というテーマで上手くまとめられているなぁ、と思いました。
高杉(高良健吾)なんかは、人間的なものを超越した神懸かりな印象さえ受ける。
浮気をとっちめられて困惑する姿は別として、彼は過去をきっちりと清算し、やるべきことが見えている。
でも、この<憎しみを捨てて許す>というテーマでは、『八重の桜』の方がよかった。
戊辰戦争後、京都にやってきた八重は激しい憎しみを心の奥底に抱いていた。
表面には表れなかったが、憎しみの根は深く、簡単に捨て去ることはできなかった。
しかし、転機が訪れる。
新島襄に、弟が戦死した場所に連れて行かれた時だ。
八重は号泣し、すべてを吐き出し、光溢れる場所で、やっと浄化される。
このシーンは実に感動的でした。
天から人間の営みを見ていれば、私怨など瑣末なこと。
憎しみにとらわれていては、正しい道など見出せない。
だから過去の経緯を捨てて、薩長同盟。
許すことで前に踏み出せる。
今回のエピソードをまとめると、こんな感じでしょうか。
憎しみ、プライド、主義主張、不安……
人間、生きていると、さまざまなものにとらわれて、なかなか前に進めない。
それが合理的で正しいことだとわかっていても、感情やこだわりが邪魔をする。
天に昇って神様や仏様になってしまえば、そういうことはないのだろうが、美和(井上真央)たちは現実に生きている人間だ。簡単に悟りきることなどできない。
一方、坂本龍馬(伊原剛志)は美和たちとは違う。
龍馬は過去のしがらみに関係ない第三者であり、合理性と利で動く商人の感覚を持ち合わせていた。
だから薩長同盟をプロデュースできた。
「新しく生まれ変わるこの国の根っこになれ! ほれ、腰を据えんかい!」
とらわれのない龍馬の言葉はさわやかだ。
だが、そんな美和に転機が訪れる。
父の死だ。
父の死を知ることによって、彼女は天からの視点を感じ、私怨を乗り越えた。
仏様のような気持ちになって、自分の心を洗濯し、過去の敵を許した。
その象徴的が、興丸の小姓の人選だ。
周布、高杉、そして椋梨の一族からの抜擢……まさに過去にとらわれない人選だ。
今回は<憎しみを捨てて許す>というテーマで上手くまとめられているなぁ、と思いました。
高杉(高良健吾)なんかは、人間的なものを超越した神懸かりな印象さえ受ける。
浮気をとっちめられて困惑する姿は別として、彼は過去をきっちりと清算し、やるべきことが見えている。
でも、この<憎しみを捨てて許す>というテーマでは、『八重の桜』の方がよかった。
戊辰戦争後、京都にやってきた八重は激しい憎しみを心の奥底に抱いていた。
表面には表れなかったが、憎しみの根は深く、簡単に捨て去ることはできなかった。
しかし、転機が訪れる。
新島襄に、弟が戦死した場所に連れて行かれた時だ。
八重は号泣し、すべてを吐き出し、光溢れる場所で、やっと浄化される。
このシーンは実に感動的でした。
薩長同盟がテーマとなり、美和が主人公でなくなってしまわないかが心配でした。
しかし、宿敵だった薩摩と結ぶことを美和が受け入れられるのかという課題を設定し、椋梨と父の死をいう契機を通して「許し」へとまとめる展開はおっしゃる通り上手いと思いました。
もはや美和も御前様や若殿夫妻から意見を求められるまでに信任されるようになったのか、と思うと百合之助のような感慨も持ちました。
>でも、この<憎しみを捨てて許す>というテーマでは、『八重の桜』の方がよかった。
これもおっしゃる通りなのですが、おそらくそれは美和の「憎しみ」が十分視聴者-少なくとも私-に伝わってこないからではないかと思いました。
さらにその原因をたどるならば、久坂と美和(文)との関係が心の通った夫婦として描かれることがほとんど無かった-それらしい場面はほとんど今回用いた回想シーンで尽きていた-からだと思います。
単発のドラマとしては結構まとまっていたとは思うのですが、大河は連続ですのでこんなところにも合作の弊害がでてしまっていますね。
いつもありがとうございます。
>単発のドラマとしては結構まとまっていたとは思うのですが
まさにこれに尽きますよね。
今回のエピソードは、主人公も上手く絡んでいますし、これだけ見れば、まとまっていて十分に面白い。
でも、連続ものとして見ると……。
夫婦の関係もおっしゃるとおりですし、歴史観や人物像もバラバラ、結果として全体のテーマもぼやけている。
個々のエピソードの積み重ねもできていない。
前回も書きましたが、3人の脚本家体制はよくないですよね。