人と人が心を通わせ合うのに言葉はいらない。
ただ、いっしょに歩いて、相手に見せたいものを指さして、いっしょに楽しめばいい。
そんなことを教えてくれる映画。
物語はこう。
上流階級の一流会計士のチャールズ(マイケル・ジェイスント)は、最近妻ベリンダ(ミア・ファロー)が浮気しているのではないかと疑っている。
ベリンダは仕事一辺倒で自分を顧みない夫のことが寂しくて、気分転換に街を歩いているだけなのだが、チャールズにはそれが理解できない。
探偵(トポル)を雇って、ベリンダの素行を調査する。
だが、ここで探偵とベリンダの不思議な関係が生まれる。
探偵の尾行がばれ、ベリンダは最初は探偵のことを避けるが、自分の後を追ってくる探偵に次第に心を許していくのだ。
いっしょにロンドンの街を歩くふたり。
ベリンダは彼が夫の雇った探偵であることを知らない。言葉も交わさない。
ただ、ひたすら歩き、相手が見るものと同じものを見る。
相手が見せたいと思って指さすものをお互いに見る。
街角の何気ない標識、青く澄んだ空、テムズ川の流れ……。
時にはこの映画はつまらないから、あの映画を見ろと手招きで教える。この時にも言葉はない。
ふたりにはそれだけで十分なのだ。十分に満ち足りて幸せなのだ。
ふたりの間には「愛してる」という言葉も、豪華な食事やプレゼントも、体の関係も要らない。
ただ、相手の見たもの、見せたいものを共有するだけ。
それだけで単調な現実世界が輝いて見える。
そして、これが人と人が心を通わせる本質。
ラストは実に感動的だ。
探偵が夫のチャールズに同じことをするように言うのだ。
仕事一辺倒のチャールズは「ひたすらロンドンの街を歩きまわるなんて、そんなバカなこと出来るか」と否定するが、「あの素敵な女性を失いたくないなら、黙ってそうしなさい」と探偵は勧める。
さてチャールズはどうするか?
心暖まる恋愛映画だ。
ただ、いっしょに歩いて、相手に見せたいものを指さして、いっしょに楽しめばいい。
そんなことを教えてくれる映画。
物語はこう。
上流階級の一流会計士のチャールズ(マイケル・ジェイスント)は、最近妻ベリンダ(ミア・ファロー)が浮気しているのではないかと疑っている。
ベリンダは仕事一辺倒で自分を顧みない夫のことが寂しくて、気分転換に街を歩いているだけなのだが、チャールズにはそれが理解できない。
探偵(トポル)を雇って、ベリンダの素行を調査する。
だが、ここで探偵とベリンダの不思議な関係が生まれる。
探偵の尾行がばれ、ベリンダは最初は探偵のことを避けるが、自分の後を追ってくる探偵に次第に心を許していくのだ。
いっしょにロンドンの街を歩くふたり。
ベリンダは彼が夫の雇った探偵であることを知らない。言葉も交わさない。
ただ、ひたすら歩き、相手が見るものと同じものを見る。
相手が見せたいと思って指さすものをお互いに見る。
街角の何気ない標識、青く澄んだ空、テムズ川の流れ……。
時にはこの映画はつまらないから、あの映画を見ろと手招きで教える。この時にも言葉はない。
ふたりにはそれだけで十分なのだ。十分に満ち足りて幸せなのだ。
ふたりの間には「愛してる」という言葉も、豪華な食事やプレゼントも、体の関係も要らない。
ただ、相手の見たもの、見せたいものを共有するだけ。
それだけで単調な現実世界が輝いて見える。
そして、これが人と人が心を通わせる本質。
ラストは実に感動的だ。
探偵が夫のチャールズに同じことをするように言うのだ。
仕事一辺倒のチャールズは「ひたすらロンドンの街を歩きまわるなんて、そんなバカなこと出来るか」と否定するが、「あの素敵な女性を失いたくないなら、黙ってそうしなさい」と探偵は勧める。
さてチャールズはどうするか?
心暖まる恋愛映画だ。
ぜひ、ご覧下さい!
トポルはそうです、「屋根の上のバイオリン弾き」のトポルです。
現実の実務などより、ロマンや美しいものを負う飄々とした自由人を見事に演じています。
ミア・ファローも若くて、あどけない不思議な感じを出しています。
>LOVEは、名詞じゃなくて動詞である。
名言ですね。
これまで幾多の書物で愛が論じられてきましたが、LOVEは観念でなく、行動ですよね。
話は変わりますが、「勝海舟」第1巻を読みました。
歴史小説というよりは「父子鷹」に似た痛快物という感じですね。
少しずつ読んでいきます。
トポルって、屋根の上のバイオリン弾きの名優トポル??
愛とは何か。
LOVEは、名詞じゃなくて動詞である。って思ってます。