龍馬(福山雅治)の顔が変わった。
これまでにも様々な表情を見せてきた龍馬だったが、その顔からは笑顔がなくなっていた。
その原因は加尾(広末涼子)。
「わしは甘かった」と龍馬は言う。
龍馬は、現実の厳しさを理解し、理想やひたむきな心だけではダメだ。現実的に生きなければならないと思ったのだ。
龍馬の現実との闘いが始まる。
だが、なかなか手強い。
上士と下士の争いを捨て身で収めたが、結局、上士を斬った池田は切腹。
「死んだらおしまいじゃ。どうしてこんな片のつけ方しかできんのじゃ」と自らの無力を嘆く。
上士と下士が争い、土佐がまっぷたつになれば、藩は取りつぶしにされるという半平太(大森南朋)や吉田東洋(田中泯)と同じ洞察力を持っているのだが、現実を自分の理想や考えどおりに突破できない。
そして、この<現実の突破力>という点では半平太の方が先を行っている。
「攘夷」を説く半平太。
龍馬は「東洋様に考えを話して理解してもらえばいいじゃないか」と半平太に話すが、半平太の戦略は違う。
「土佐の下士を糾合して一大勢力を作る」
戦略としては半平太が正しい。
政治は数。
下士がひとりでいくら頑張っても、上士が動くわけがない。みんな自分が可愛いし、持っている特権を手放すわけがない。
だが数があれば、それなりに意見を聞いてもらえる。
龍馬より半平太の方が<戦略家>で<政治家>なのだ。
そして龍馬はまだ発展途上。
今回、龍馬は乙女(寺島しのぶ)に「居場所がない」「息苦しい」と言った。
龍馬は半平太の側にも、東洋の側にも居場所を見出せない。
どちらも違う気がしている。
ここに龍馬のオリジナリティがあり、オンリーワンの片鱗がある。
龍馬はまだまだ長い<自分探しの旅>を続けなければならないようだが、オンリーワンになるとはそういうこと。
今までの龍馬の居場所とは<加尾のいる場所>だったが、それが失われて、新たな<居場所探し>が始まっている。
こう考えると、やはり人生は旅ですね。
※追記
もうひとりの主人公・弥太郎(香川照之)。
彼はやすやすと東洋の側につく。
利に聡く、損得勘定で生きる、まさに<商人>。
半平太のような<政治家>ではない。
僕は弥太郎のそんな軽さを愛するが、弥太郎にとって龍馬は予測不能の動きをする男に見えただろう。
東洋も半平太も弥太郎は理解できる。
理解できるから利用し、否定も出来る。
しかし龍馬は行動が読めない。
それは龍馬が<オンリーワン>だからなのだが、この弥太郎視点が面白い。
弥太郎のナレーションは正解だ。
これまでにも様々な表情を見せてきた龍馬だったが、その顔からは笑顔がなくなっていた。
その原因は加尾(広末涼子)。
「わしは甘かった」と龍馬は言う。
龍馬は、現実の厳しさを理解し、理想やひたむきな心だけではダメだ。現実的に生きなければならないと思ったのだ。
龍馬の現実との闘いが始まる。
だが、なかなか手強い。
上士と下士の争いを捨て身で収めたが、結局、上士を斬った池田は切腹。
「死んだらおしまいじゃ。どうしてこんな片のつけ方しかできんのじゃ」と自らの無力を嘆く。
上士と下士が争い、土佐がまっぷたつになれば、藩は取りつぶしにされるという半平太(大森南朋)や吉田東洋(田中泯)と同じ洞察力を持っているのだが、現実を自分の理想や考えどおりに突破できない。
そして、この<現実の突破力>という点では半平太の方が先を行っている。
「攘夷」を説く半平太。
龍馬は「東洋様に考えを話して理解してもらえばいいじゃないか」と半平太に話すが、半平太の戦略は違う。
「土佐の下士を糾合して一大勢力を作る」
戦略としては半平太が正しい。
政治は数。
下士がひとりでいくら頑張っても、上士が動くわけがない。みんな自分が可愛いし、持っている特権を手放すわけがない。
だが数があれば、それなりに意見を聞いてもらえる。
龍馬より半平太の方が<戦略家>で<政治家>なのだ。
そして龍馬はまだ発展途上。
今回、龍馬は乙女(寺島しのぶ)に「居場所がない」「息苦しい」と言った。
龍馬は半平太の側にも、東洋の側にも居場所を見出せない。
どちらも違う気がしている。
ここに龍馬のオリジナリティがあり、オンリーワンの片鱗がある。
龍馬はまだまだ長い<自分探しの旅>を続けなければならないようだが、オンリーワンになるとはそういうこと。
今までの龍馬の居場所とは<加尾のいる場所>だったが、それが失われて、新たな<居場所探し>が始まっている。
こう考えると、やはり人生は旅ですね。
※追記
もうひとりの主人公・弥太郎(香川照之)。
彼はやすやすと東洋の側につく。
利に聡く、損得勘定で生きる、まさに<商人>。
半平太のような<政治家>ではない。
僕は弥太郎のそんな軽さを愛するが、弥太郎にとって龍馬は予測不能の動きをする男に見えただろう。
東洋も半平太も弥太郎は理解できる。
理解できるから利用し、否定も出来る。
しかし龍馬は行動が読めない。
それは龍馬が<オンリーワン>だからなのだが、この弥太郎視点が面白い。
弥太郎のナレーションは正解だ。
今回はこの吉田東洋の台詞が全てだったように思います。
他ブログでは「女の問題に矮小化してほしくない」など、恋愛話嫌いの方々のご意見も多数あるようですが、本作では恋愛パートがストーリーの骨格-龍馬自身の人間形成-にしっかりと組み込まれているのが感じられました。
龍馬の変貌-それは土佐で北辰一刀流のささやかな道場主として加尾と幸せに暮らすという生活設計を持っていた「凡庸な好青年」が<死んだ>結果だった、というわけでした。
もともとノンポリだったので現実を冷静に見ているし、一度<死んで>いるので平然と単身上士たちのもとに乗り込むこともできる。龍馬は決して「必死」ではない。
><現実の突破力>という点では半平太の方が先を行っている。
御言葉ながら私にはそうは思えません。事後武市自身認めているとおり、「門弟」たちを煽った結果彼らを制御できなくなり、自ら窮地に陥ったのは龍馬の警告どおりです。本作の武市は<戦略家><政治家>としても三流で良いところ無しの愚昧な男にしか見えません。あげくはこの時点ではまだ<戦略家>でも<政治家>でもない龍馬に尻拭いまでしてもらっている。史実の武市はもう少しまともな人物だったのではないかと思いますが。
それにしても東洋の台詞には痺れました。
演じる田中泯さんの迫力も素晴らしいのですが、まずは龍馬の内面的変化を見抜く眼力。また、これまでの人を人とも思わぬ態度との落差から東洋の龍馬に対する「惚れ込み」が並々ならぬものであることが窺われます。百人に増えた下士の徒党の中に「坂本龍馬はいるか」と気にしていましたし。史実には反するのですが、龍馬には東洋を選んで欲しかった、とさえ思えました。
しかし、やはり龍馬は昔馴染みたちを捨てることはできずに「土佐勤王党」に加盟するのでしょう。でも本意も不本意もなくそうするしかないところが「居場所がない」ということなのでしょうね。
龍馬の孤独がしっかり伝わってきます。
武市や下士の仲間が見ているのとは違う視点で世の中をみている龍馬。
おそらく吉田東洋ならば龍馬の考えを理解し、整理し、伸ばしていき、藩政に活かすこともできたのかもしれませんね。けれどいきなり上士になることもできないのが龍馬のいいところでもありますし、上士・下士という身分制度を龍馬はとっくに否定し、そんなものをありがたがる概念もないのかもしれません。
自分の考えとはまったく違う枠組みの中で土佐が動いていることに失望している龍馬に、脱藩ががぜん必然性をもってきました。
来週も楽しみです。
いつもありがとうございます。
>おんし、何かを捨てたろう。
実にインパクトのあるせりふですよね。
このせりふの後に、加尾のシーンが挿入されたのはどうかと思いますが、おそらく龍馬は、加尾だけでなく様々なものを捨てたのでしょう。
それは「凡庸な好青年」であり、「現実に立脚していない坊ちゃんの自分」であり、「無力な自分」であり、様々な想いを福山さんは、あの表情で表現されましたね。
なかなか難しい芝居だったと思います。
「現実の突破力」ということでは、僕の言いたかったことは
>下士がひとりでいくら頑張っても、上士が動くわけがない。だが数があれば、それなりに意見を聞いてもらえる。
ということです。
ただ確かに安易な言葉で、仲間の心に反抗・暴力の火をつけてしまったのは、半平太の未熟ですよね。
もっとも、龍馬に言われてそれを間違いだと理解できるだけ、現在の半平太は<鬼>にはなりきれていないんでしょうね。
半平太の今後が気になります。
いつもありがとうございます。
本人はまだ気づいていないのかもしれませんが、龍馬が無意識に思っているのは
>上士・下士という身分制度を龍馬はとっくに否定し、そんなものをありがたがる概念もない
ということなんでしょうね。
半平太も弥太郎も、上士・下士という枠組みの中で物事を考えている。
龍馬にはそれがないから<居場所がない>んでしょうね。
そして、おっしゃるとおり、それが<脱藩>の理由になっている。
藩の中にいれば、上士・下士の枠組みの中で考え行動しなければなりませんからね。
僕も<脱藩>の理由がどう描かれるのか不安でしたが、すんなりと受け入れることが出来ました。