★なぜ安城瑠里子(研ナオコ)は”WHEN LOVE KILLS YOU”を歌わなかったのか?
ここがポイント。(以下、ネタバレ)
ここで犯人が分かれる。
つまり、もし瑠里子が犯人だとすると、歌わなかった理由は、歌の内容が<人を殺した瑠里子にとって生々しかったから>。
しかし、歌わなかった理由は他にあった。
それは”LOVE KILLS YOU”の演奏の時に使う<ミュート(弱音器)がなかったから><ミュートが犯行現場に残されていたから>。
そして、これが犯人解明につながる。
★それにしても人間の心というのは深く不可解だ。
作品では、瑠里子の動機が、伊丹(川原和久)が推理したはずれの動機も含めて3つ語られる。
まず伊丹が推理した動機。
それは金銭トラブル。
瑠里子のギャラが<不当に低いギャラ>であったため、怒りで殺したという動機。
しかし、右京(水谷豊)はそれで良しとしない。
そこであがったのが、<真犯人である男を守るため>に瑠里子が偽装工作をしたという動機。
<愛ゆえに>という動機だ。
だが、それも違っていた。
ここが「相棒」が他の刑事ドラマと違う所。
普通の刑事ドラマなら、<愛ゆえの偽装工作>ということで終わってしまうだろう。
しかし、「相棒」はさらにひねる、
瑠里子は別に真犯人の男を愛していなかった。
自分しか愛せない自己愛人間だと思っていた。
それでも瑠里子が男を守ったのは、次のような理由からだった。
「でもね、あいつじゃないとダメなのよ。あいつがいなければ、それまでのように歌えない。あの男のアレンジと演奏と、後ろにあいつがいる時だけ、自分の望むように歌えた。ともかく歌いたかった。少しでも長くあの場所に立っていたかった。ただ歌いたかっただけ」
<歌手の業>である。
「ただ歌いたかっただけ」という<歌手の業>が瑠里子に偽装工作をさせた。
先日、亡くなった立川談志師匠は「落語とは人間の業の肯定である」と語ったそうだが、この作品もどうしても抑えることの出来ない<歌手の業>を描いている。
これは普通の人間には理解しがたい動機。
そしてラストの余韻。
瑠里子は客のアンコールに応えようとしない。
なぜなら、自分を最高の歌手にする男が逮捕されてステージにいないからだ。
『その男がいなければ、自分は納得する歌を歌えない』瑠里子はそう考えたのだろう。
それに瑠里子は既に最高のコンサートをしている。
右京が”WHEN LOVE KILLS YOU”をリクエストし、男が逮捕される前に行ったコンサートだ。
『このコンサートが終われば、男は逮捕される。だから、これが自分の最後のコンサート』
こう考えたからこそ、瑠里子は、米澤さんが言う<最高のコンサート>が出来たのだろう。
そして<最高のコンサート>の記憶を胸に、自分の歌手人生を終わらせたかったのだろう。
これも<歌手の業>である。
ここがポイント。(以下、ネタバレ)
ここで犯人が分かれる。
つまり、もし瑠里子が犯人だとすると、歌わなかった理由は、歌の内容が<人を殺した瑠里子にとって生々しかったから>。
しかし、歌わなかった理由は他にあった。
それは”LOVE KILLS YOU”の演奏の時に使う<ミュート(弱音器)がなかったから><ミュートが犯行現場に残されていたから>。
そして、これが犯人解明につながる。
★それにしても人間の心というのは深く不可解だ。
作品では、瑠里子の動機が、伊丹(川原和久)が推理したはずれの動機も含めて3つ語られる。
まず伊丹が推理した動機。
それは金銭トラブル。
瑠里子のギャラが<不当に低いギャラ>であったため、怒りで殺したという動機。
しかし、右京(水谷豊)はそれで良しとしない。
そこであがったのが、<真犯人である男を守るため>に瑠里子が偽装工作をしたという動機。
<愛ゆえに>という動機だ。
だが、それも違っていた。
ここが「相棒」が他の刑事ドラマと違う所。
普通の刑事ドラマなら、<愛ゆえの偽装工作>ということで終わってしまうだろう。
しかし、「相棒」はさらにひねる、
瑠里子は別に真犯人の男を愛していなかった。
自分しか愛せない自己愛人間だと思っていた。
それでも瑠里子が男を守ったのは、次のような理由からだった。
「でもね、あいつじゃないとダメなのよ。あいつがいなければ、それまでのように歌えない。あの男のアレンジと演奏と、後ろにあいつがいる時だけ、自分の望むように歌えた。ともかく歌いたかった。少しでも長くあの場所に立っていたかった。ただ歌いたかっただけ」
<歌手の業>である。
「ただ歌いたかっただけ」という<歌手の業>が瑠里子に偽装工作をさせた。
先日、亡くなった立川談志師匠は「落語とは人間の業の肯定である」と語ったそうだが、この作品もどうしても抑えることの出来ない<歌手の業>を描いている。
これは普通の人間には理解しがたい動機。
そしてラストの余韻。
瑠里子は客のアンコールに応えようとしない。
なぜなら、自分を最高の歌手にする男が逮捕されてステージにいないからだ。
『その男がいなければ、自分は納得する歌を歌えない』瑠里子はそう考えたのだろう。
それに瑠里子は既に最高のコンサートをしている。
右京が”WHEN LOVE KILLS YOU”をリクエストし、男が逮捕される前に行ったコンサートだ。
『このコンサートが終われば、男は逮捕される。だから、これが自分の最後のコンサート』
こう考えたからこそ、瑠里子は、米澤さんが言う<最高のコンサート>が出来たのだろう。
そして<最高のコンサート>の記憶を胸に、自分の歌手人生を終わらせたかったのだろう。
これも<歌手の業>である。
久しぶりの「相棒」らしい「相棒」だったと思いました
先週の「消えた女」よりも共感できました
研ナオコさんが見事に歌手の業を見せてくれました
高所恐怖症の彼女が
非常階段まで死体を運び
さらに落すなんて出来るんかいな?
という疑問は残りましたけれどね
いつもありがとうございます。
携帯電話を使ったアリバイ作りもシンプルですが、よかったですね。
現実で行われていそう。
高所恐怖症の件は、僕も引っ掛かりました。
それに真犯人の男の描写も足りない気が……。
人を殺したんですからもっと焦るはずですし、非常階段から転落死していたら、なぜだと思いますよね。
まさか被害者は頭を打ちつけただけで生きていて、ふらついていた脚で非常階段に出て転落したと考えていたとか?
このあたりがよくわかりませんでした。