毎回書くが、この作品、〝非戦〟である。
戦争反対の〝反戦〟ではない。
主人公たちは戦わない。
危機に際しての選択肢は〝逃げる〟か〝帰順する〟か。
いやあ、ここまで〝非戦〟が徹底されると気持ちがいい。
今、もし北朝鮮とアメリカが戦争を始めたら、安倍さんは後方支援とかでアメリカといっしょに戦うんだろうけど、この〝非戦〟の考え方に従えば、出来る限り、巻き込まれないように逃げまくるっていう手はあるよね。
現に日本は今までそうやってきた。
ベトナム戦争、中東戦争、湾岸戦争──日本は「憲法9条があるから派兵できないんです」と言って逃げてきた。
でも、安倍さんはこれを「情けない」「誇りある国ではない」と考えているんだよな~。
作品は時代を映す鏡である。
脚本の森下佳子さんは、現在の日本の状況をふまえて、どんなメッセージを送ろうとしているのだろう?
………………
家康(阿部サダヲ)も積極的に戦わない。
織田を裏切り、密約で武田に帰順しようとするが、織田から援軍が来て、
「もう戦うしかございませんな~」
と家臣から言われて仕方なく武田と戦う。(笑)
そして、三方原で大敗して脱糞!
でも、この家康、僕は好きだな~。
人間らしいし、戦争の現実とはこんなもの。
で、世の中で迷惑なのは、武田とか織田とか、やたら好戦的な連中だ。
みんなが井伊や家康なら、そんなに戦争は起こらないだろう。
どうしても争いたければ、今川氏真が言っていたように〝蹴鞠〟で争えばいいのにね。
なのに、核だ、ミサイルだ、ステルスだ、潜水艦だ、と強力な武器を追い求める。
蹴鞠で決着をつければ、軍事予算も軍隊も必要ない。
地球温暖化も止まらないし、人間ってほんと愚かだ。
確実に滅びの道を歩んでいる。
………………
毎度書くが、『おんな城主直虎』は〝非戦〟を描いて特異な作品だ。
最後のナレーションで梅雀さんが、
「だが、焼け死んだ者はひとりもいなかった」
と語っていたように、これがこの作品のメインテーマなのだ。
従来の戦国時代の大河ドラマを期待していると、物足りないだろうけど。
戦争反対の〝反戦〟ではない。
主人公たちは戦わない。
危機に際しての選択肢は〝逃げる〟か〝帰順する〟か。
いやあ、ここまで〝非戦〟が徹底されると気持ちがいい。
今、もし北朝鮮とアメリカが戦争を始めたら、安倍さんは後方支援とかでアメリカといっしょに戦うんだろうけど、この〝非戦〟の考え方に従えば、出来る限り、巻き込まれないように逃げまくるっていう手はあるよね。
現に日本は今までそうやってきた。
ベトナム戦争、中東戦争、湾岸戦争──日本は「憲法9条があるから派兵できないんです」と言って逃げてきた。
でも、安倍さんはこれを「情けない」「誇りある国ではない」と考えているんだよな~。
作品は時代を映す鏡である。
脚本の森下佳子さんは、現在の日本の状況をふまえて、どんなメッセージを送ろうとしているのだろう?
………………
家康(阿部サダヲ)も積極的に戦わない。
織田を裏切り、密約で武田に帰順しようとするが、織田から援軍が来て、
「もう戦うしかございませんな~」
と家臣から言われて仕方なく武田と戦う。(笑)
そして、三方原で大敗して脱糞!
でも、この家康、僕は好きだな~。
人間らしいし、戦争の現実とはこんなもの。
で、世の中で迷惑なのは、武田とか織田とか、やたら好戦的な連中だ。
みんなが井伊や家康なら、そんなに戦争は起こらないだろう。
どうしても争いたければ、今川氏真が言っていたように〝蹴鞠〟で争えばいいのにね。
なのに、核だ、ミサイルだ、ステルスだ、潜水艦だ、と強力な武器を追い求める。
蹴鞠で決着をつければ、軍事予算も軍隊も必要ない。
地球温暖化も止まらないし、人間ってほんと愚かだ。
確実に滅びの道を歩んでいる。
………………
毎度書くが、『おんな城主直虎』は〝非戦〟を描いて特異な作品だ。
最後のナレーションで梅雀さんが、
「だが、焼け死んだ者はひとりもいなかった」
と語っていたように、これがこの作品のメインテーマなのだ。
従来の戦国時代の大河ドラマを期待していると、物足りないだろうけど。
おっしゃるとおりですね。また、現政権の危うさについても同感です。
私としては、先週以来「殿様廃業」中のこの時期が本作全体の中でどのような位置づけになるのかが気になります。まあ差し当たりは
>おとわにも夫婦生活の幸せを味合わせてあげたいという作家の思いですかね。(先週のコウジさんmegumiさん宛て)
ということなのでしょう。
方久とあやめについての噂話、焼き餅騒動、祐椿尼の孫願望など、コミカルな雰囲気はそれなりに楽しめますが。
この問題は先週来の話題である龍雲丸の今後と密接に関係します。
来週から菅田将暉さん演ずる成人した虎松(直政?)が登場するようです。
直政の本格的な出世物語は直虎の死後ですが、少し先取りする形で活躍させるのかもしれません。
だとすると、龍雲丸はそれまでの「つなぎ」?
私も龍雲丸の退場は堺の貿易商になって呂宋助左衛門ばりに「船出」という形を希望します。
ところで、還俗して普通の女性の髪型になった直虎(おとわ)は魅力的になりましたね。
質素な「農婦」姿であっても「殿」時代よりずっといい。
やはりあの「おかっぱ頭」は柴咲コウさんの美貌を殺していた(中性化?)ように思います。
やっぱり 気になって視聴いたしました。
非戦に関しては
戦争しても ろくなことにはならないので同じ気持ちです。
今の展開は本格的な直政登場までの繋ぎとは言え
面白いとは 思えませんでした。
皆さんが おっしゃっているように
ドラマの主人公及びタイトルを「井伊直政」にして
直政について描き
直虎を主要な脇役として扱えば良かったのにと思ってしまいます。
1982年には死んでしまう小さな国の「よく分からない人物」を中心に据えたのが
間違いだったような・・・。(今更ですね)
大河ドラマにもフィクション部分は必要ですが
ここまで やられると興醒めします。
直虎の「直政の養母」としての側面も描かれず
かと言って死んでいった者たちの菩提を弔うこともなく4年間(おとわが劇中で言いました)も過ごしています。
尼のままで寺に残っていて欲しかったです。
(おかっぱ頭はいただけませんが 頭巾を被った尼装束は好きでした)
野性的な龍雲丸との夫婦姿、妙に生々しくて 好きになれません。
老女の感想として書きました。
いつもありがとうございます。
直虎の「殿様廃業」。
作家としては、直虎の殿様家業から離れた普通の日常を描きたかったんでしょうね。
今まで他人のために生きてきた〝竜宮小僧〟の直虎でしたから、今度は自分のためだけに生きてほしかった。
しかし、人はなかなか変われるものではなく、直虎の堺行きの背中を押したのは、「孫を抱きたい母のために堺に行ってほしい」という母の言葉。
還俗おとわがきれいになったのは、おっしゃるとおり中性的なものがなくなったからなんでしょうね。
男性でも女性でもなかった、おとわは〝女性〟になった。
あとは〝母〟にもならなくてはならないから、祐椿尼は孫を望んだ。
僕は、おとわに個人の幸せを追求してほしいのですが、果たしてどうなるのか?
おそらく幸せな時代はそんなに続かないんでしょうね。
いつもありがとうございます。
僕も、前回書いたとおり〝井伊家三代〟の物語にすればよかったのかな、と思っています。
その方が、直虎の〝非戦〟が伝わったと思いますし。
たとえば、大坂冬の陣の時、豊臣家を強引に滅ぼそうとすることを、直虎の薫陶を受けた直政はどう考えたのか?
それだけでテーマは深まったと思います。
>1982年には死んでしまう小さな国の「よく分からない人物」を中心に据えたのが間違いだったような・・・。
僕は、脚本の森下佳子さんって「JIN」にしろ、「天皇の料理番」にしろ、原作をアレンジするのが上手い作家さんだと思うんですよね。
なので、
小さな国の「よく分からない人物」を主人公にしてフリーハンドにしてしまったことは、逆にきつかったのかな、と思っています。
まだ、最終回になっていないので、こう決めつけてしまうのは早計なのですが。
>脚本の森下佳子さんって「JIN」にしろ、「天皇の料理番」にしろ
原作をアレンジするのが上手い作家さんだと思うんですよね。
そうですよね!
私もそう思います。
彼女が書き下ろした朝ドラの「ごちそうさん」の評価は高かったですが
私には良さが全く分かりませんでした。
同じ料理を扱うドラマなのに「天皇の料理番」とは
クオリティが違っていました。
食い意地が張っているだけで
料理に対する愛着すら感じられない!
朝ドラや大河は長丁場ですから 大変なのは分かりますが
力量と言う点では疑問です。
みんなが知っている人物ならば 書き易かったかもしれませんね。
それにしても武田信玄の描かれ方が酷過ぎません?
違う側面から見たら
実の親は追放 子は自刃に追い込む・・・ろくでもない人物だったのでしょうか。
>それにしても武田信玄の描かれ方が酷過ぎません?
megumiさんは、信玄ファンですしね!
おっしゃるとおり、井伊の側から見れば、非道の怖ろしい人物に見えるのは自然なのですが、すごく一面的な描き方。
でも、両者の距離を考えると、これが正解なのかな~。
森下脚本の評価についてはラストまで見てみないとわかりませんが、映画を揶揄したサブタイトルやキャスティングが引っ掛かりますよね。
あやめの刺繍の件だって、演じている光浦靖子さんが手芸やアクセサリー作りに凝っているから、ああなった?
こういう遊びは、ちょっと興ざめです。
テーマや目指している所はいいと思うんですけどね。