父親となった清盛(松山ケンイチ)。
父親になると、さすがに地に足をつけた落ちついた感じになるようですね。今までのような放蕩無頼ではいられない。
あふれるエネルギーを子供と明子(加藤あい)と平家一門に注いでいる感じ。
エネルギーは方向性を見出した。
このように父親の自覚を持つことになった清盛。
この父親の目で王家を見ると、それは実に奇異に見えたのだろう。
清盛はこうつぶやく。
「これが皇子様のお誕生を祝う宴か? 誰も彼も生まれてきた子をおのれの欲得のための道具としか思わぬ」
父親ならではの発言だ。
本来なら、その誕生を祝福されるべき皇子が実は誰にも愛されていない。
誰も愛情の目を注いでいない。
それって子供にとってはすごく哀しい。
皆で酒を飲み、大喜びする清盛の所とは大違いだ。
この対比が見事。
対比と言えば、雅仁親王(松田翔太)との対比もそう。
清盛と雅仁親王は、オモテと裏だ。
ふたりとも<王家に渦巻く積年の鬱屈より流れ出た膿。すべての歪みを抱え込んだ毒の巣>。
だが、清盛は克服した。
膿と毒を浄化した。
浄化したのは、父・忠盛や平家一門、仲間たち、そして明子と子・清太。
そんな清盛だから、雅仁親王のことは、かつての自分を見るようで、よくわかる。
清盛は雅仁親王の振る舞いをこう評する。
「母を求めてわめき散らす赤子の泣き声じゃ」
こんなことも語る。
「生まれは変えられぬが、生きる道は変えられる」
清盛~、何かマトモになってしまったね~。
はみだし者ではなくなってしまった。
個人的にはちょっとつまらない。
しかし、雅仁に次のように返した所は、さすが<無頼の平太>
「この先、清太に害をなそうとされることあらば、雅仁様のお命、頂戴つかまつる」
一方、雅仁。
「生まれは変えられぬが、生きる道は変えられる」と正論を吐く清盛にこう返す。
「そなたにも流れておろう。王家の血が。白河院の血が。きっといずれ疼こうぞ。うつつに生けるもののけ怪の血が」
これは後の清盛を描く上での<伏線のせりふ>であろう。
この作品、いたる所に伏線が張り巡らされているので、一瞬たりとも気が抜けない。
流して見ていると、面白さが半減する。
最後はまとめせりふ。
今回、ラストのナレーションはこうまとめた。
「これはふたりの長いすごろく遊びの始まりであった」
上手いまとめ方だと思います。
父親になると、さすがに地に足をつけた落ちついた感じになるようですね。今までのような放蕩無頼ではいられない。
あふれるエネルギーを子供と明子(加藤あい)と平家一門に注いでいる感じ。
エネルギーは方向性を見出した。
このように父親の自覚を持つことになった清盛。
この父親の目で王家を見ると、それは実に奇異に見えたのだろう。
清盛はこうつぶやく。
「これが皇子様のお誕生を祝う宴か? 誰も彼も生まれてきた子をおのれの欲得のための道具としか思わぬ」
父親ならではの発言だ。
本来なら、その誕生を祝福されるべき皇子が実は誰にも愛されていない。
誰も愛情の目を注いでいない。
それって子供にとってはすごく哀しい。
皆で酒を飲み、大喜びする清盛の所とは大違いだ。
この対比が見事。
対比と言えば、雅仁親王(松田翔太)との対比もそう。
清盛と雅仁親王は、オモテと裏だ。
ふたりとも<王家に渦巻く積年の鬱屈より流れ出た膿。すべての歪みを抱え込んだ毒の巣>。
だが、清盛は克服した。
膿と毒を浄化した。
浄化したのは、父・忠盛や平家一門、仲間たち、そして明子と子・清太。
そんな清盛だから、雅仁親王のことは、かつての自分を見るようで、よくわかる。
清盛は雅仁親王の振る舞いをこう評する。
「母を求めてわめき散らす赤子の泣き声じゃ」
こんなことも語る。
「生まれは変えられぬが、生きる道は変えられる」
清盛~、何かマトモになってしまったね~。
はみだし者ではなくなってしまった。
個人的にはちょっとつまらない。
しかし、雅仁に次のように返した所は、さすが<無頼の平太>
「この先、清太に害をなそうとされることあらば、雅仁様のお命、頂戴つかまつる」
一方、雅仁。
「生まれは変えられぬが、生きる道は変えられる」と正論を吐く清盛にこう返す。
「そなたにも流れておろう。王家の血が。白河院の血が。きっといずれ疼こうぞ。うつつに生けるもののけ怪の血が」
これは後の清盛を描く上での<伏線のせりふ>であろう。
この作品、いたる所に伏線が張り巡らされているので、一瞬たりとも気が抜けない。
流して見ていると、面白さが半減する。
最後はまとめせりふ。
今回、ラストのナレーションはこうまとめた。
「これはふたりの長いすごろく遊びの始まりであった」
上手いまとめ方だと思います。
>この作品、いたる所に伏線が張り巡らされているので、一瞬たりとも気が抜けない。
流して見ていると、面白さが半減する。
そうですね
確かに ハマって見ないといけない類のドラマです
ようやく
清盛が落ち着きを分別をもってくれたので
私としては 見やすくなりましたよ
家庭を持つって こういうことなのかなぁと
「遊ぶ遺伝子」に囲まれている人間としては
心配が頭をもたげます(笑)
悪名高き後白河院の若き日を演じる松田翔太さんですが
時々 松田優作さんにソックリな表情になりますね
永井路子さんに「教育」されているので
私の後白河院像は 老獪な怪物です
もののけです
佐藤義清は待賢門院と なにやらでしたが
年齢差17才ですよ!!!
今でも こういうカップルっていますから驚くことではないでしょうが
私は 驚きました
しかも 高貴なお方と下々の距離が近過ぎます
そのことにも 驚きました
堀河局となら まだしも・・・
(それにしても義清は守備範囲の広い人間ですね)
今回の清盛は徹頭徹尾「常識人」でしたが、私にはそれがとても新鮮に感じられました。
なぜなら、清盛の「常識人」としての言動の一つ一つが彼自身の血の滲むような苦闘の歴史に支えられているからです。例えば
>「これが皇子様のお誕生を祝う宴か? 誰も彼も生まれてきた子をおのれの欲得のための道具としか思わぬ」
この台詞がそれだけで出てくるならば、「天地人」や「江」を連想させるような綺麗事にもなりかねません。
もちろんそれは仰るとおり
>父親ならではの発言
なのですが、第5話での忠正との会話などが清盛の言葉に重みを与えているように思います。
清盛が「私は武士となってよかったと思うておりまする」と言えば「途方もない負け惜しみじゃ」と嗤い、清盛が身をもって清太をかばえば「脆いものぞ、親子の絆など」と応じる。
無頼のお株はすべて雅仁親王にさらわれていますが、清盛の「常識的な」言動には雅仁親王に一歩もひけを取らない重みがあります。
>そんな清盛だから、雅仁親王のことは、かつての自分を見るようで、よくわかる。
>清盛は克服した。膿と毒を浄化した。
>浄化したのは、父・忠盛や平家一門、仲間たち、そして明子と子・清太。
コウジさんはシンクロし、megumiさんや私は辛抱して見ていた清盛無頼時代の描写は、すべて今回の「常識人清盛」の土台だったのではないかと納得しました。
ところで今回私にとって最も印象的だったのは、祝宴の場で崇徳帝の歌を披露する義清を見た清盛の「義清!」というつぶやきです。
清盛が義清の身を案じている!
「人物紹介」では「親友」となっているものの、これまでは大人と子どもでとても同じ年の友人とは思えなかった二人の関係が逆転しています。
義清の行動は宮中のドロドロを一挙に最高潮にまでもたらした引き金となっており、さらにその後の璋子へのアプローチと併せてまさに「暴走」と言ってよいものです。次回義清は出家までゆくのでしょう。
おそらく義清の運命を狂わせたのは崇徳帝に愛されてしまったこと。
文武両道、特に歌に秀でていた義清の才能が禍となってしまったようです。
人生の禍福とは不可思議なもの、ということでしょうか。
いつもありがとうございます。
>ハマって見ないといけない類のドラマです
おっしゃるとおり、たとえば今回から見た視聴者の方は、人間関係などがよくわからず、この作品世界に入っていけないでしょうね。
逆に昨年の『江』などは、話や人間関係が単純なので、途中から見ても理解出来る。
でも、深いドラマを描くには、この『平清盛』の描き方しかないんでしょうね。
それから「遊ぶ遺伝子」。
女性にとってもそうでしょうが、男性が父親になるっていうのは大きいんでしょうね。
おそらく「遊ぶ遺伝子」が組み替えられる。
遺伝子が、新しく誕生した自分の分身の遺伝子を大事にしろと命じているのでしょうか。
逆に分身を持たない遺伝子は「遊ぶ遺伝子」となってフラフラしている。
私も含めて。
最近、思考が福岡先生になっています。
女性の方は永井路子さんを結構読まれているんですよね。
私も本は結構読んでいる方だと思いますが、永井さんはノーチェック。
この作品「平清盛」のお陰で、永井さんの作品なども読んでみようかと思いました。
それから私、三年連用の日記をつけているのですが、昨年のこの時期の日記にmegumiのお名前が。
何だかんだで一年になるんですね。
これからもよろしくお願いします。
いつもありがとうございます。
おっしゃるとおり、清盛の発言は、その発言を裏づける背景がこれまでに描かれているから、説得力があるんですよね。
清盛は、<武士>となり、<平家の人間>になり、<夫>になり、<父親>になりと、一歩一歩階段を昇って成長してきた。
だから発言に重みがあるし、何者にもなっていない世をすねているだけの雅仁にもしっかり物を言える。
一方、清盛の発言に対して、ご指摘の「脆いものぞ、親子の絆など」と切り返せた雅仁も見事。
これは雅仁の体験したことだから説得力がある。
しかし、清盛はこれを上回る返事をした。
「王家と平家は違う」。
これなんかも、海賊退治のエピソードが描かれていなければ言えないせりふですよね。
大河ドラマは、このような煉瓦を積むようなエピソードの積み重ねが大切だと思うんですけど、「江」や「天地人」などはそれがあまりありませんでしたよね。
>「義清!」というつぶやき
は気づきませんでした。
おっしゃるとおり、こういうせりふで、<ふたりは親友>だということがわかりますよね。
それと同時に清盛にも、「この発言はまずい」と感じる分別がついたんですね。
空気を読めるようになった(笑)
逆に空気を読まずに宴をぶち壊したのが、雅仁親王。
これも上手いふたりの対比ですね。
megumiのお邪魔虫歴も
早いもので 1年になるんですね
megumiを名乗り始めたのが昨年の2月ですからかなり初期からコウジさんのブログを発見したわけですね♪
永井路子さんを読んだのは
大河ドラマの「草燃ゆる」の後からですよ
「炎環」と「つわものの譜」の2冊だけを読みました
井上靖さんの「後白河院」も読みたいなと思いながら そのままです ^^;
卒論に「金槐和歌集」を選びましたが
実朝の歌は万葉ぶりよりも本歌取りなど新古今集の技法のものが多いことを
教官から指摘されて 取りやめました
(山川登美子に変更⇒資料が少なくて苦労)
そんなわけで源平から鎌倉初期には
非常に興味津々なんですよ
私の好きな実朝の歌は
『もの言はぬ四方のけだものすらだにも
あはれなるかな親の子をおもふ』
megumiさんは国文学をご専攻でしたか。
私はどうも古文というのが苦手で、このジャンルは敬遠してきました。
井原西鶴くらいは、と思って読み始めましたが途中で挫折。
ならば現代語訳でということで、瀬戸内寂聴さんの「源氏物語」などにもチャレンジしましたが、これも挫折。
こんな調子なので、今回ご紹介いただいたmegumiさんのお好きな実朝の歌も、5回くらい読み返して、やっと意味がわかったという感じです。
私は 国文科とは名ばかりで
古典文学のなかで
何1つとして読破したものはありません
読むことを強制された部分・・・教材に出てきたくだりだけです
国文科も好きで専攻したわけではなく史学科に落ちたので しぶしぶですよ
4年間で得るものは全くありませんでした
(親にとっては 学費と仕送りの無駄遣いでした)
ダンナが言うに
「古文とは 平仮名で書かれた外国語」だそうです
大河ドラマの時代的には「風と雲と虹と」と「炎立つ」が最も古いですが
もっと古い時代も見たいですね