「公共の福祉」についての、とあるXの投稿が物議を醸している。
個人の権利を認めていたら、集団の秩序を維持することはできません。
だから個人は全体のために犠牲になる義務があるんです。
これに対するコミュニティノートの回答。
・公共の福祉は全体のための犠牲という概念ではなく個人同士の人権衝突の調整役を担います。
ポスト主は高校教師を自称していますが、高校どころか中学校公民で習う範囲です。
その他のXユーザーの回答。
・いやもう、それだと全体主義国家の論理じゃないですかね。
お聞きしたいのですが、あなたは自分自身の権利を放棄してるんですか?
・公共の福祉と集団の秩序は別物である。
公共の福祉はあなたがお嫌いな個人の権利が充分に保全されるために、ある個人の権利濫用に対し、
個人を信頼し、個人の権利濫用を制限していく個人の尊重に立った民主主義思想であるのに対し、
集団の秩序は、国などが上から権威主義的に個人を抑圧する思想である。
・個人は全体のために犠牲になる義務がある→誤
個人はそれぞれを尊重し合って全体(集団)を構成する→正
・「公共の福祉」とは「自分の人権を行使するときには他人の人権にも配慮するよう気をつけようね」という当たり前の原則を言ってるだけで、決して「個人は全体のために犠牲になれ」なんてことを言っているのではありません。
国民は「個人として」尊重されます(第十三条)
・社会契約論を勉強し直しなさい。教師失格。
・個人の尊重を定めた日本国憲法に反した思想の持ち主なのですね。
しかも"公共の福祉"を外在制約だと勘違いする初歩的ミスを犯しておられます。
勉強が足りませんね。
・これは、自民党の憲法草案の公益および公の秩序です。
・自民党が大喜びする「自称教師」だな。
・北朝鮮の考えですよそれ笑笑
…………………………………………………………
以上のような反論の回答があって、ホッとする。
まだまだ日本の民主主義は大丈夫なようだ。
「公共の福祉」とは──
・初めに人権ありき。
・基本的人権は何よりも優先される。
・個々の人権の主張がぶつかり合った時、判断の材料として「公共の福祉」が適用される。
基本的人権>公共の福祉→正
公共の福祉>基本的人権→誤
最近、「言葉」がおかしくなっている。
曲解されて、社会があらぬ方向に向かいつつあるような気がする。
言葉は簡単に崩壊する。
言葉が変われば社会も変容する。
だから、こうしてひとつひとつ糺して行く必要がある。
個人の権利を認めていたら、集団の秩序を維持することはできません。
だから個人は全体のために犠牲になる義務があるんです。
これに対するコミュニティノートの回答。
・公共の福祉は全体のための犠牲という概念ではなく個人同士の人権衝突の調整役を担います。
ポスト主は高校教師を自称していますが、高校どころか中学校公民で習う範囲です。
その他のXユーザーの回答。
・いやもう、それだと全体主義国家の論理じゃないですかね。
お聞きしたいのですが、あなたは自分自身の権利を放棄してるんですか?
・公共の福祉と集団の秩序は別物である。
公共の福祉はあなたがお嫌いな個人の権利が充分に保全されるために、ある個人の権利濫用に対し、
個人を信頼し、個人の権利濫用を制限していく個人の尊重に立った民主主義思想であるのに対し、
集団の秩序は、国などが上から権威主義的に個人を抑圧する思想である。
・個人は全体のために犠牲になる義務がある→誤
個人はそれぞれを尊重し合って全体(集団)を構成する→正
・「公共の福祉」とは「自分の人権を行使するときには他人の人権にも配慮するよう気をつけようね」という当たり前の原則を言ってるだけで、決して「個人は全体のために犠牲になれ」なんてことを言っているのではありません。
国民は「個人として」尊重されます(第十三条)
・社会契約論を勉強し直しなさい。教師失格。
・個人の尊重を定めた日本国憲法に反した思想の持ち主なのですね。
しかも"公共の福祉"を外在制約だと勘違いする初歩的ミスを犯しておられます。
勉強が足りませんね。
・これは、自民党の憲法草案の公益および公の秩序です。
・自民党が大喜びする「自称教師」だな。
・北朝鮮の考えですよそれ笑笑
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以上のような反論の回答があって、ホッとする。
まだまだ日本の民主主義は大丈夫なようだ。
「公共の福祉」とは──
・初めに人権ありき。
・基本的人権は何よりも優先される。
・個々の人権の主張がぶつかり合った時、判断の材料として「公共の福祉」が適用される。
基本的人権>公共の福祉→正
公共の福祉>基本的人権→誤
最近、「言葉」がおかしくなっている。
曲解されて、社会があらぬ方向に向かいつつあるような気がする。
言葉は簡単に崩壊する。
言葉が変われば社会も変容する。
だから、こうしてひとつひとつ糺して行く必要がある。
なぜ「公共の福祉のために個人は犠牲になれ」なんて議論が出てくるのか?
それなんですね。
ズバリ、高尚な理念なんてありません、そもそもが土木や建築なんです、再開発とか建設をスムーズに進めるためなんです。
土木建築屋さん、それに絡んでひと儲けしたい政治家センセイさんに立ちはだかるのは、いわゆる「人権」です。
政治経済の中枢部にいるエラい人たちにとっては、庶民が人権を言い始めると調整が面倒で儲からないわけです。そのため、人権を使わせないように教育するわけです。人権を主張するのはいけないこと、という刷り込みが行われます。まあ、いろいろな方法があります。一番効果的なのは「道徳教育」でしょう。
曰く、西洋の人権は理論に走り日本の美徳に反するのでよろしくない、夏目漱石も「智に働けば角が立つ」と言っていたではないか…といったことを繰り返し庶民に言っておけばいいわけです。
別の方面にも「公共の福祉」があります。
地方の中小企業の小さな組合ではなかなかワンマン社長に対抗出来ず、何か力になってくれるかと思って上部団体に入っても、メーデー動員や選挙の投票といった「ノルマ」ばかり押しつけられ、上納金を吸い取られるだけだったりします。助けてほしいともの申しても、上部団体はナゾのイデオロギー理論を振り回して煙に巻くだけです。
つまり、上部団体にとっての「公共の福祉」が、現場労組の「人権」よりも上位に立っているような、そんな状況なわけです(ため息)。
そんなのはおかしいと考えても、声は上げられません。何しろ「智に働けば角が立つと夏目漱石も言っていたことだし、まあ、穏便に」というのが、スゴい日本の美徳ですから。
ちなみに、わたしが労組系の政党、たとえばRケンM主党にいまひとつ共感出来ないのは、そのあたりの事情を見聞きしているせいもあったりします。
いわゆる「与党やゆ党の勢力」にとっても「野党の勢力」にとっても、公共の福祉は大切なんでしょう(皮肉)。
いつもありがとうございます。
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される」
人の生きづらさを表現した言葉だと思います。
ここは変に限定するよりも、人間の一般的なあり様と解釈した方がいいと思います。
ちなみに、いろいろな所に頭をぶつけて苦労している僕はこの漱石の文章を痛感しています。
…………………………………………
要求を聞いてくれない上部組織というのは、立民の名前をあげているようですが、『連合』ですか?
>上部団体はナゾのイデオロギー理論を振り回して煙に巻くだけです。
どのような要求に対して、どのようなイデオロギーを振りまわしたのか、具体的に教えて下さい。
>「野党の勢力」にとっても、公共の福祉は大切なんでしょう(皮肉)。
という結論にも違和感が。
立民も共産党も社民党もれいわも人権を大切にする政党だと考えているので。
あるいは「労働組合の上部組織」と「政党」は必ずしも一致していません。
都知事選でも連合が応援したのは小池百合子でしたし、立民は連合・芳野会長を持てあましている印象。
権力側や一部企業が「人権」を邪魔だと考えていることには同意します。
賃上げのための交渉というか、そういう部分で参考になる話を聞きたかったのに、その上部団体の人たちは、まずオルグありきだったようで、どうにも話がかみ合わなかったようです。
コウジさんがおっしゃるように、わたしも世の中は左右ではなく上下と考えています。
その上部団体は、やはりわたしたちのような一般労組やその組合員が「下位の存在」であり、命令したり教宣したりする対象として認識していたんだと思います。
野党系の労組がメーデーで組合員に動員をかけるのと、与党の候補者が選挙演説で党員に動員をかけるのと、どちらも似たようなもんかもしれません。
左右は関係なく、やはり上の人たちが言うことが「公共の福祉」であって、しもじもの都合が「人権」であり、おろそかにされがち、ということだと思ってます。
もっとも、上部団体の人たちも、おそらく組合のプロ的な専従の人たちなんでしょう。中小企業はそもそも専従なんていませんし、そういった小規模な会社に対応するようなノウハウは持っていなかったのかもしれません。
昔の話なんですね。
推測するに、組合活動が強くて社会主義革命が本気で信じられていた60年代の話。
なので、今を見ましょう。
再三申し上げているように、思考をアップデートしましょう。
今の「連合」なんて完全に親与党じゃないですか。
で2024年の話。
>どちらも似たようなもんかもしれません。
与党の演説会に参加するのは仕事や補助金をもらえるから。
だから今、政治資金パーティが問題になっているんです。
メーデーに参加する人たちはほとんどが高齢の方で、今までの慣習で参加しているという感じでしょう。
中には強い意思で参加されている方もいらっしゃるでしょうが、組合活動が昔のように強ければ、共産党や社民党はもっと議席を取っています。
この与党と野党の違いを理解しないと現状認識を間違えます。
とはいえ「個人を圧迫するような権力を嫌う」という点では、2020さんも同じ考えの様子。
こうした動きがある時はNOと言いましょう。
そうですね、おっしゃるとおりです。
委員長のY野さんはA倍元総理の大ファンで、A倍総理と会う機会があるとキャーキャー喜んでいましたっけ。
現況、ごく一部のゴリゴリ左翼的な組合のほかは、現与党とべったりなわけで、労使協調ならばまだいいのですが、労働者の方をまるで向いていないんでしょう。オルグの時代とは別の意味で当てにならないと見ています。
このあたり、うまく文章化出来ず、前回のコメントでキチンと書かなかったのはちょっと申し訳ないです。
>組合活動が昔のように強ければ、共産党や社民党はもっと議席を取っています。
おっしゃるとおり、今の労組首脳は相当与党寄りになっているわけです。
世の中庶民が圧倒的なのに、労働界に労働者の味方をする人たちがいない状態になっているわけです。昔は上部団体のエラい人たちを「労働貴族」と揶揄することがありましたが、今は聞きません。労働貴族が常態化したので、そういう言葉すらなくなったんでしょう。
また、けっこう腹立たしいのは、新NISAなど政府の投資促進策に関して、既存労組があまり反応していないことです。会社が儲かっても株主への配当や優待に回って、給料が上がらない仕組みが構築されつつあるわけで、組合はもっと怒ってもいいはずです。
それでも、庶民がお小遣いで投資信託を買って、儲けが出るならいいかもしれません。しかし、ネットでもリアルでも多くの人が(政府系の人ですかね?)、なぜかアメリカ系投資信託を勧めています。
しかしこれだと中長期的には円安につながります。日本からカネが流出して、庶民の生活は苦しく、日本の経済力が細ることになりかねません。外国の投信を買ったら、儲かるためには円安を願うことになるので、白楽天の売炭翁にある
「可憐身上衣正単 心憂炭賎願天寒」
(ひとえの薄い着物で寒さに震えながら、炭が売れるためにもっと寒くなれと祈る)
と同じことになります。円安の物価高にあえぎながら、外国投資が儲かるためにもっと円安になれと祈ることになるわけです。
往年の不思議ちゃんアイドルの小倉ゆうこりん氏が、新NISAへの疑問をコメントしていたようで、投資促進を唱えるネット民に盛大に叩かれていたのですが、こういった問題提起がなぜ労組あたりから出てこないのか、やりきれないです。
また、マイナンバーカードの強引な普及策にも、原発に対しても、はっきりとしたNoを言いません。コンピュータ業界の労組とか電力労連とか、いろいろあるんでしょうか。
どこかの裁判官が「非常時に周辺住民が避難して、決死隊を突入させなくてはいけない発電方法って、そもそも何なのか?」という至極当たり前のことをおっしゃったそうですが、今の労組はそういったことも言えてないわけです。
企業別労組の問題点が、だんだん大きくなっているのかもしれません。
かといって、与党も野党も同じというつもりもありません。
現野党の皆さんは「政治家の裏金は悪いこと」という建前がある分まだマトモです。
誰だったか忘れましたが、裏金問題に際して、与党の政治家の誰かが「政治家の納税は、政治家の自由意思に任される」といった趣旨の発言をしていましたが、それでは法治国家ですらありません。西側諸国とかG7の一員を名乗るなんてとんでもないレベルで、むしろ専制国家に近いわけです。現与党の皆さんはそれすら分からないほど感覚がマヒしているんでしょう。
わたしに言わせれば、これは世襲の害でしょう。政治家も生まれながらの貴族ですからね。
現在、労働組合ってどれくらい機能しているんでしょうね。
山崎豊子さんの「沈まぬ太陽」では労組は完全に経営側と対立路線。
労組側が切り崩されていく様が見事に描かれていました。
以前、話題にしたNHKドラマ「松川事件」も総裁が拉致され殺害された原因は国鉄労組が力を持ちすぎたことでした。
ところが現在の労働組合は協調路線。
だから連合・芳野友子氏は対立路線の共産党が嫌い。
電力会社の労働組合(=電力総連)は原発ゼロだと会社の不利益になるので反対しない。
TOTOYAの労組も円安の方が利益が大きいので反対しない。
新NISAなどの金融投資も、おっしゃるとおり円安の原因になっているんですよね。
一方、日銀は過度の円安は困るので5兆円→9兆円を投入して円買い。
まったく何をやっているんでしょうね。
野党に関しては、仮に立民が取ってもそんなに政策は変わらないでしょうね。
ただ、おっしゃるとおり「裏金問題」は改善されそう。
森友事件の黒塗り文書が完全開示されたり、官房機密費の不正使用が公開されるかもしれません。
長期政権は必ず腐敗するんですよね。
だから定期的な政権交代が必要。
仮に立民が長期政権になって腐敗政治をおこなうようなら僕はもちろん批判します。
ただし「儲かっているときは賃上げする」ことが前提条件なんです。それがない場合、労使協調はただの言いなりで、意味がないわけです。
今の日本社会ですが、会社の業績がよくても賃上げではなく株主に配当する西洋型のシステムに変換しつつわけで、それでは労使協調の前提が崩れます。
西洋社会が労使協調路線ではなく、デモやストを盛んにやっているのは、賃上げではなく株主に儲けを回すような社会システムになっているからこそ、経営者の皆さんと対立しないと賃上げできないという、至極当たり前のリクツですね。別に対立のために対立しているわけではないんで。
こういったことも、マスコミあたりがきちんと言わないと気がつかない人ってけっこういるので、定期的に言わないとダメなんですよね。
ところがマスコミさんもこういう大事なことをあまり言わないんですよね。
江田憲司さんの所でも書きましたが、すべては「グローバル化」のひずみなんですよね。
・企業は社員ではなく株主のためにある。
・安い労働力のために外国人労働者を入れろ。
・格差拡大、スーパーリッチは当たり前。
西洋社会では、グローバル化への反発が「デモ」になったり、「トランプ現象」になったり、「極右政党の台頭」になったりという形で現われていますが、日本はまだおとなしい。
それどころかグローバル化を推進する自民党を支持しています。
さすがに「クルド人問題」などで、自民党批判が出て来ましたが。
「労使協調」は日本的ですよね。
とはいえ、70年代までの昭和の時代は「対立路線」。
社会党の勢いがあって、ストは頻繁におこなわれていました。
僕が若い頃は取引先に「労働組合」の腕章をつけて働いている人がいました。
では、いつから、どのように牙を抜かれていったのか?
山崎豊子さんの『沈まぬ太陽』は参考になる作品です。
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前コメント訂正
「松川事件」→「下山事件」