3・11で傷ついた百音(清原伽耶)。
そんな百音が自分を見つめ、人と出会い、新しい自分を見出して歩み始める物語だった。
百音の歩みはゆっくりだ。
いつもじっくり考えている。
これって現代人が忘れてしまっていることだよなあ。
忙しさにかまけ、自分を見つめることをしない。
次から次へとやって来る新しい刺激・情報におぼれ、物事を深く考えない。
3・11も単なる事件・情報で処理されてしまっている。
過去を見つめること……。
百音もそうだったが、僕は自分の過去を見つめることから逃げてる。
思い出すと、うわっ! と穴に入りたくなるようなことばかりで、恥ずかしがることで終わっている。
父のこと、母のこと、自分の前を通り過ぎていった人たちのこと、いろいろ考えてみたい。
「いってらっしゃい」
「おかえりなさい」
人生の基本ってこれなんだろうな。
海の水が雲となって山に行って、山の水が川となって海に戻って来る。
この循環と同じ。
「いってらっしゃい」
人は何かをするために出かけていく。
「おかえりなさい」
こう言って出迎えてくれる「家族」や「ふるさと」があることは幸せだ。
そうでない人は旅人か?
過去→現在
時間の流れは普通こうなんだけど、
百音の場合は、絶えず、過去→現在→過去→現在→過去→現在、という循環をしている。
現代人は、過去→現在で終わっちゃってるよな。
循環が自然の摂理だとしたら、過去→現在→過去→現在→過去→現在を取り戻さなくてはならない。
歴史も、戦争の悲惨や狂った日本を認識して、現在や未来を考えなくてはならないのに
最近はそれらから目を背けたり、忘れようとしている。
『おかえりモネ』を見て、僕はこんなことを考えた。
もっと突っ込んで考えれば、まだ他にもあるような気がして、もやもやしている。
でも来週『カムカムエヴリバディ』が始まれば、考えるのを止めてしまうんだよなあ……。
そんな百音が自分を見つめ、人と出会い、新しい自分を見出して歩み始める物語だった。
百音の歩みはゆっくりだ。
いつもじっくり考えている。
これって現代人が忘れてしまっていることだよなあ。
忙しさにかまけ、自分を見つめることをしない。
次から次へとやって来る新しい刺激・情報におぼれ、物事を深く考えない。
3・11も単なる事件・情報で処理されてしまっている。
過去を見つめること……。
百音もそうだったが、僕は自分の過去を見つめることから逃げてる。
思い出すと、うわっ! と穴に入りたくなるようなことばかりで、恥ずかしがることで終わっている。
父のこと、母のこと、自分の前を通り過ぎていった人たちのこと、いろいろ考えてみたい。
「いってらっしゃい」
「おかえりなさい」
人生の基本ってこれなんだろうな。
海の水が雲となって山に行って、山の水が川となって海に戻って来る。
この循環と同じ。
「いってらっしゃい」
人は何かをするために出かけていく。
「おかえりなさい」
こう言って出迎えてくれる「家族」や「ふるさと」があることは幸せだ。
そうでない人は旅人か?
過去→現在
時間の流れは普通こうなんだけど、
百音の場合は、絶えず、過去→現在→過去→現在→過去→現在、という循環をしている。
現代人は、過去→現在で終わっちゃってるよな。
循環が自然の摂理だとしたら、過去→現在→過去→現在→過去→現在を取り戻さなくてはならない。
歴史も、戦争の悲惨や狂った日本を認識して、現在や未来を考えなくてはならないのに
最近はそれらから目を背けたり、忘れようとしている。
『おかえりモネ』を見て、僕はこんなことを考えた。
もっと突っ込んで考えれば、まだ他にもあるような気がして、もやもやしている。
でも来週『カムカムエヴリバディ』が始まれば、考えるのを止めてしまうんだよなあ……。
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