平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「夜明け前」② 島崎藤村~明治維新に裏切られた半蔵は次第に頭がおかしくなっていく。半蔵は純粋すぎたのだ。

2023年03月24日 | 小説
 神武の創造──戊辰戦争も終わり、ついに明治の世がやって来た。
「俺もこうしちゃいられない」
 半蔵は希望で燃えていた。

 しかし、馬籠宿の人たちは醒めていた。
 新政府の財政状況は厳しく、発行する紙幣は信用がなかった。
 外国との貿易と相次ぐ国内での戦争で物価も上がっていた。
 徳川慶喜が恭順を示したのに討伐令が出たことで、
 庶民は「俺は葵の紋を見ると涙が出る」と徳川に心を寄せた。
 半蔵は「新政府の信用はそんなに薄いのか」とがく然とする。

 半蔵も新政府に裏切られた。
 新政府は、木曽五木(ごぼく)と呼ばれる「ひのき」「さわら」「あすひ」「高野まき」「ねずこ」といった高級木材のある山を官有林にした。
 徳川の世では、許可された山であれば、落ちた枝などを炭や薪にすることは許されていたが、民はそれが出来なくなった。
 半蔵は馬籠の「戸長」として抗議し、結果「戸長」を免職されてしまう。

 東京でも裏切られた。
 半蔵は教部省の役人として東京で働くことになった。
 そこで見た東京の風景は西洋文明が入り込んだものだった。
 神道、仏教を管理する教部省の役人はあろうことか、国学の大家の本居宣長をからかい、貶めていた。

 たまりかねた半蔵は驚くべき行動に出る。
「訴人だ! 訴人だ!」
 神田橋で帝の行幸があると聞いた半蔵は、自分の思いを書いた扇子を持って帝の馬車の前に飛び出した。
 扇子には西洋文明の侵入を憂うこんな歌が書かれていた。
『蟹の穴防ぎ止めずば高堤(たかづつみ) やがて悔ゆべき時なからめや』

 半蔵の行動は、憂国の行動として贖罪金を支払うことで許されたが、
 周囲の反応は冷たかった。
 妻は泣き崩れ、馬籠の住人は「気が触れた」と噂し合った。

 半蔵の精神がおかしくなったのは、この頃からだった。
 半蔵は息子に家督を譲り、神社の宮司として信州に赴任したが、
 狂信的に神道の教義を説いたので、村人たちは半蔵をあざ笑った。
 半蔵は教育で日本を美しい国にしようと思ったのだが、またしても裏切られた。

 馬籠に戻ってきた半蔵はますますおかしくなる。
「庭に変な奴がいる。俺を狙っている。誰か俺を呼ぶような声がする」
 半蔵は幻覚を見るようになった。
「さあ、攻めるなら攻めて来い」
 と幻影と戦うようになった。

 そして、秋祭りの時、村の万福寺に火をつけてしまう。
 半蔵にとって、国の根本は神道であり、仏教は枝葉であり、寺は本来なら御一新で取り壊されるべき物だったのである。
 息子の宗太は急いで座敷牢を作り、頭のおかしくなった父親を閉じ込めた。
 半蔵の狂気は続き、意識はますます混濁していった。
「や、また敵が襲って来るそうな。楠木正成の屎(くそ)合戦だ」
 半蔵は楠木正成にならって、見舞いに来る客に自分の大便を投げつけた。
 幻影はますます半蔵を苦しめていった。
 ……………………………………………………………

 いやはや、壮絶な小説である。

 半蔵のモデルは島崎藤村の父親だったので、
 藤村は自分も頭がおかしくなるのではないか、と恐怖したらしい。

 結局、半蔵は五十六歳で亡くなる。
 半蔵の国学の弟子たちは墓を掘りながら、こんなことを語る。
「お師匠さまのような清い人はめったにいない」

 そう、半蔵は純粋すぎたのだ。
 自分の理想にこだわりすぎたのだ。
 純粋で、こだわりすぎたから裏切られた時の反動も大きかった。

 現実は理想を駆逐していく。
 普通の人は裏切られて、少しずつ現実と折り合いをつけていくのだが、
 半蔵にはそれができなかった。

 僕はこの作品を大河ドラマ『蒼天を衝け』が放送されている時に読んだ。
 水戸天狗党の事件など、いろいろリンクすることがあって面白かったが、
 こんなことも思った。
 渋沢栄一は明治維新で飛躍した人物だが、半蔵は裏切られて挫折した。

 明治維新の裏には、こんな物語もあったのである。


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14 コメント

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イデオロギー的純粋人の危うさ (TEPO)
2023-03-24 16:48:35
>半蔵は純粋すぎたのだ。

『夜明け前』は藤村の古典的作品ですが、恥ずかしながら未読でした。

コウジさんによる紹介を拝読することにより、改めて「イデオロギー的純粋人」の危うさを実感しました。
その「イデオロギー」の内実は本居宣長、平田篤胤直系の国学に根ざした「尊王攘夷」、すなわち今日的に言えば「極右」のそれでした。
現代人の視点だからこそ言えることなのかとも思いますが、私個人にとっては最も共感しにくいタイプの人物像と言えます。
私から見て数年前の「龍馬伝」が不満だったのは、龍馬そっちのけで、イデオロギー的純粋人である武市半平太に不必要(と私には思われた)なほどにスポットを当てていた点でした。

>半蔵は、幕末の若者が皆そうであったように『尊皇攘夷』思想の持ち主なのだ。
>普通の人は裏切られて、少しずつ現実と折り合いをつけていく

幕末の若者であったなら「皆そうであったように」尊皇攘夷に走ったのでしょう。
しかし、幕末から明治にかけての「成功者」たちは結局これを捨てて転向しています。
渋沢栄一然り(『蒼天を衝け』について私はこちらで一切コメントしませんでしたが、見てはいました)。
薩摩藩は薩英戦争により、長州藩は四カ国連合艦隊の砲撃により「攘夷」を捨てました。

おそらく、今日の学校教育レベルでも「尊皇」については解説しても「攘夷」―有り体に言えば「右派テロリズム」に他ならない―については口を濁しているのではないでしょうか。
しかし、同じイデオロギー的純粋人であっても、吉田松陰は長州系の「元勲」たちの師匠だったという理由で「神様」とされたりしています。

このあたり、現代ではどうなのでしょうね。
「半蔵」のモデルが実父だったとするならば、藤村も大変だったことでしょう。
島崎文学の現代的意味もそのあたりにあるのかもしれませんね。
返信する
「幕末大河の育て方」が嫌いです (2020-08-15 21:07:49)
2023-03-24 20:26:09
>おそらく、今日の学校教育レベルでも「尊皇」については解説しても「攘夷」―有り体に言えば「右派テロリズム」に他ならない―については口を濁しているのではないでしょうか。

TEPOさまのこのご指摘は、大切だと思います。

ただ「攘夷」を現代的なテロリストと等しく扱って糾弾していいのかどうか、時代背景を考えると、そのあたりは、個人的にはフラットに考えて、しばらく保留にしておきたいです…

ともかく、尊皇だから帝をお守りするために攘夷しなくてはならないという思想は筋道が通っているでしょう。
それまでセットになっていたわけですが、薩長は、いつの間にか、尊皇であっても攘夷ではなくなっています。この「尊皇と攘夷の分離」がいつどこで行われたんでしょう。

原因は、いちおう薩英戦争ということになっていますが、もっとキッチリ掘り下げてもいいテーマだと思います。
個人的には、薩英戦争だけで1年の大河にしてもいいのではないかと、そうも思います。
なのに、大河ドラマでは「幕府方の人物が主人公の年」でも「薩長方の人物が主人公の年」でも、薩英戦争はいまひとつ曖昧なままにサラッと流す扱いなので、わたしは幕末もの大河が嫌いなんです。
また、史実を見ると、幕府も「おフランス」から援助を受けて西洋式軍隊の装備を整えるようになっています。
こうなると、薩長VS幕府は「英仏代理戦争」の様相も見せるわけですが、これが西洋の代理戦争だとはっきり言う幕末大河ドラマって今までありましたっけ? なかったと思います。
英仏代理戦争は、歴史の大きな流れであり枠組みだと思います。その枠組みについてあいまいにして「英雄たちのスゴい活躍によって歴史が動いた」という史観なので、わたしは幕末ものの大河が嫌いなんです。

そして、この英仏代理戦争のウラで、ドイツが北海道を植民地化するために暗躍していたという話が出てきました、正直ビックリです。
この年末年始の教育テレビの番組で触れていました。どうも今まで未確認だった新資料がでたようです。ETV特集か、Nスペか、そういった類いの番組だったと思います。
(タイトル覚えていなくて済みません)
返信する
島崎文学の現代的意味 (コウジ)
2023-03-24 20:29:00
TEPOさん

いつもありがとうございます。

>イデオロギー的純粋人の危うさ
イデオロギー的純粋人はゼロか100なんですよね。
半蔵の場合は「神道」しか頭になくて、仏教や儒教は日本に根ざしているのに否定してしまう。
西洋文明にもいい所があるのに、ことごとくNGにしてしまう。

漱石なども日本の近代化に居心地悪さを感じていたようですが、最終的には折り合いをつけて生きていきました。

おっしゃるとおり、半蔵は完全な右翼なんですよね。
ただ、外国との不平等貿易で物価が高騰して庶民が苦しんだり、アメリカの粗悪なドルと日本の金銀多く含んだ貨幣を交換して、日本の金銀が失われていくのを憂う所などは理解できます。

というのは、2023年の日本はまさに半蔵の生きた時代と同じ。
円安で物価は高騰、日本国民の預貯金や日銀が刷ったお金はどんどん外国人投資家に持っていかれています。

こんな現状を日本の右派は半蔵のように憂えて怒るべきなのですが、まったくそんなことがありません。
あるいは日本の国土に米軍基地があったら、半蔵は激怒することでしょう。

>島崎文学の現代的意味
島崎藤村文学は現代こそ意味があるような気がしています。
返信する
政治・経済史を描いた「蒼天を衝け」 (コウジ)
2023-03-24 20:52:32
2020-08-15 21:07:49さん

いつもありがとうございます。

薩長の尊皇攘夷はまさにテロリズムですよね。
大老・井伊直弼を殺害し、英国領事館を焼こうとしたり、ロシアの皇帝ニコライに斬りつけましたし。
その理論的役割を果たしたのが、今作の水戸天狗党に繋がる水戸斉昭と藤田東湖。

一方で、島津斉彬などは西洋文明を取り入れていかなくては諸外国と渡りあえないと考えて近代化を進めていました。

>これが西洋の代理戦争だとはっきり言う幕末大河ドラマって今までありましたっけ?
一昨年の『蒼天を衝け』はまさにそれでした。
パリ万博ではフランスは英国を敵視していましたし、幕府が北海道を担保にしてフランスからお金を借りていたことも描かれていました。

>「英雄たちのスゴい活躍によって歴史が動いた」という史観は昔の大河ならそうかもしれませんが、最近はそうではありません。
明治の元勲たちの汚職や理不尽な行為など、功罪もしっかり描いています。
返信する
保留にしたいんです (2020-08-15 21:07:49)
2023-03-25 05:08:23
>薩長の尊皇攘夷はまさにテロリズムですよね。

うやむやのうちに攘夷を捨てて、そのくせキープし続けたはずの「尊皇」もかなりウソくさくて、「帝などお飾り」と陰で言っていたとされる、明治の元勲系の方々はあまり好きではありません。
ただ、近年ネットで見る「倒幕や尊皇攘夷」を「テロリズム」という見方も「いや、ちょっと待てよ、それはとりあえず保留」といいたいんです。
ひとつめは、現在の視点で昔を見下すような傲慢さが感じられること。
ふたつめは、結局は「官軍」が組織されて、幕府軍と交戦したわけで、単なるテロの応酬ではなく、シビルウォーとも言えること。
三つ目は、薩長の動きを「単なるテロ」と矮小化すると、ウラにいたかもしれないイギリスの影響も矮小化されてしまうかもしれない、ということです。

>幕府が北海道を担保にしてフランスからお金を借りていたことも描かれていました。
>明治の元勲たちの汚職や理不尽な行為など、功罪もしっかり描いています。

そうなんですね…
幕末男子の育て方、と滑りまくった年もあったので、相も変わらず、英雄たちが「うむ」と重々しくうなずくと、英雄たちの意図に従って歴史の枠組みがひっくり返るあのパターンかと思っていました。
返信する
前半のことです (コウジ)
2023-03-25 08:21:41
2020-08-15 21:07:49さん

テロと言ったのは尊皇攘夷運動の「前半」のことです。
井伊直弼殺害、ニコライ襲撃など、暴力で物事を解決することは、どう見てもテロかと……。
その頃は英国の影などありませんし、英国領事館も焼討ちされようとしましたし。
返信する
テロって何? (2020-08-15 21:07:49)
2023-03-25 11:00:44
>テロと言ったのは尊皇攘夷運動の「前半」のことです。

おっしゃりたいことは分かります。
またかみ合わなくなるのかもしれませんが、申し上げたいのは、現代社会の視点で、昔を考えることの限界があるのではないか、ということなんです。
同時代の当時の人間が、これをテロという概念で考えていたかというと、疑問があるんです。
もちろん犯罪とは認識していたでしょうし、そして反幕府とも認識していたと思います。ただ、現代社会でいうテロリズムという概念で考えていたかというと、多分違うと思います。
今ネットで散見される「明治維新はテロから始まった」という考えですが、何となく違和感があります。
…という考えになったきっかけは、昔の中国(改革開放以前)の小学生向けらしい歴史本(おそらく教科書)でした。
農民反乱であっても暴動であっても何であっても、起こした発端が農民であれば、「正義のプロレタリアート革命だ!」といった風に書かれていました。
陳勝呉広の乱も黄巾の乱も水滸伝も、どれもこれも20世紀のプロレタリア革命につながる先駆という、そういう物語の中にはめ込もうとしていたわけです。さすがに無理があるだろうと思いました。


>その頃は英国の影などありませんし、英国領事館も焼討ちされようとしましたし。

おっしゃることは分かります。
ただ、当時のヨーロッパ植民地支配ですが、すでにこの時点で数百年のノウハウを積み上げていました。その中で、相手の民族を数十年かけて分断して支配するやり方は確立していたので、薩長など外様雄藩を味方につけるべく、リサーチしていた可能性はあると思っています。

なので、この薩英戦争は、独立したテーマとして、大河で取り上げる価値があると思うんです。
この薩長戦争って、太平洋戦争そっくりと言えなくもないわけです。
尊皇思想と八紘一宇があり、攘夷と米英撃滅があり、憎きカタキと思っていた敵国と、戦後組むことになったことまでも、そっくりです。
でも、大河ドラマでは20秒くらいのナレーションでサラッと済まされることが多かったような気がします。
薩英戦争と太平洋戦争は、何が似ていて何が違っていたのか、それを大河でやったら、面白いと思うんですけど。
まあ、個人の感想です。
返信する
岩波ホールの話です (2020-08-15 21:07:49)
2023-03-25 18:29:00
コウジさま

わたしがこう考えた、もうひとつのきっかけを申し上げるならば…

わたしは昭和のオッサン世代です。
そして、若い頃に、東京の岩波ホール(独立系の映画館で、今は閉館しているはずです)で上映された中国映画「阿片戦争」を見たことがあります。

当時の雑誌の書評欄などでは、好意的に取り上げられていたこともあって、行きました。

ですが、そこには、醜い日本人が半分くらいはいました…
圧倒的な武力差、経済力の差、抵抗できない巨大な歴史の流れ…
そういったもろもろがあるのに、何としても国内に麻薬を入れてはならないとする中国官僚や軍人の必死の抵抗が描かれていました。ですが、彼らは力及ばず、次々に死んでいったんですね。
それは「栄光の記録」ではありません。屈辱だったはずです。しかし、当時の中国の映画人は「中国スゴい」のごまかしをしなかったわけです。これは、逆の意味でスゴいことです。

それを見て、当時の日本人の観客の半分は「ゲラゲラ笑って」いました。
あとの半分は「ゲラゲラ渡っている人たちを見て、気まずい感じ」でした。

ゲラゲラ笑っていた人たちは「後進国の中国が、無謀にも世界一の先進国イギリスに戦いを挑んで敗れてひどい目に遭った。これは自業自得の自己責任」と思っていたのかもしれません。自分たち日本人は先進国で、西洋側の国だから、正義の鉄槌は後進国の中国に下って当たり前と思っていたのかもしれません。

でも、この「ゲラゲラな人たち」を見て「気まずい」と思っていた人は、もっと深く深く、別のことを考えていたんでしょう。

そして、今日本は、中国に追い越されるかもしれないわけです…
北朝鮮のミサイル技術はドンドン向上していますが、日本の宇宙ロケットは失敗が続いています…
韓国の個人GDPは、日本を追い越しているそうです…

うまく言えなくて済みません…
返信する
歴史から学ぶということ (コウジ)
2023-03-25 21:05:50
2020-08-15 21:07:49さん

>申し上げたいのは、現代社会の視点で、昔を考えることの限界があるのではないか、ということなんです。
わかっています。
わかった上で、こう書いているんです。
「テロ」よりも的確な言葉があれば、その言葉を使いますが、現状は「テロ」という言葉が一番しっくり来るので使っています。

僕にとって「歴史」とは何か?
「物語」として楽しむこともありますが、「現代を考える視点」として、「歴史」を見ています。
その上で幕末・明治の人たちが外国からの危機に際して何を考え、どう対応したかは学ぶ価値があると考えています。
実際、現在も中国・ロシア・北朝鮮の危機が言われているわけですし。

この姿勢は2020-08-15 21:07:49さんが「薩英戦争」と「太平洋戦争」を比較して何かを学ぼうとしているのと同じです。

中国にはすでに抜かれていますよね。
GDPもそうですが、国際的な発言力もはるかに上。
先日はイランとサウジの国交正常化に貢献しましたし、習近平はウクライナ戦争終結のためにロシアに行っています。
あるいは韓国と台湾。
ひとりあたりのGDPは韓国、台湾に抜かれていますし、今、日本が誇れるのは野球くらい?

こんな日本がどこに行くのか?
これが僕の現代史のテーマです。
だから幕末から太平洋戦争終結までの近代史を学ぶことは重要だと考えています。
返信する
健全な愛国心 (TEPO)
2023-03-26 00:02:25
お二人の熱い議論、拝見しておりました。

鍵となるのは「健全な愛国心」だと思いました。
「愛国心」という語には「右派」(「」を付けていることに注意)の政治的プロパガンダの手垢がまみれているため、そうした手垢を洗い流してもなお残る「愛国心」を指すため、仮に「健全な」という限定句を添えて見ました。
私たちの議論の文脈の中では、日本が置かれた状況に対する危機意識と言い換えてもよいかもしれません。

>2023年の日本はまさに半蔵の生きた時代と同じ。
ここでコウジさんが指摘されている経済問題についての危機意識は、まさに「健全な愛国心」のあらわれであり、もちろん私も共感するところです。

2020-08-15 21:07:49さんが「攘夷」を「テロリズム」と断じることに躊躇されるのは、「攘夷」に走った当時の人々の中にある「健全な愛国心」―当時の文脈では列強による植民地支配の脅威に対する危機感―に思いを馳せておられるからではないかと想像します。
おそらく、当時の人々の背景には「健全な愛国心」があったのだが、現実に対する無知ゆえに、それが「攘夷」(やはり「攘夷」自体は「テロリズム」と言うほかない)という短絡的な形で発露してしまった、というのがより精確な表現かと思います。

薩英戦争と太平洋戦争とをアナロジカルに見るという2020-08-15 21:07:49さんの視点は興味深く拝見しました。
薩英戦争後の薩摩藩と太平洋戦争後の日本とは類比的ということですね。
薩摩藩は「攘夷」は捨てたかもしれませんが、「健全な愛国心」は失わなかったと信じたいところです。
坂本龍馬もグラバーつまり英国のagentだったと思いますが、彼なりの「健全な愛国心」にもとづいて行動していたと信じたいところです。
しかしながら、今日声の大きい「右派」は「健全な愛国心」をもった「真の右派」なのかはたしかに怪しいところですね。
対米追随一本槍で、先にコウジさんが指摘されたような矛盾を示していますから。

ところで、『夜明け前』に戻りますが、
>半蔵の場合は「神道」しか頭になくて、仏教や儒教は日本に根ざしているのに否定してしまう。
>西洋文明にもいい所があるのに、ことごとくNGにしてしまう。

半蔵は学(ただし国学限定の)がありすぎたんですね。
国学では、「仏教や儒教は日本に根ざしている」とは考えません。
本居宣長は仏教や儒教を外来思想(「漢意」:からごころ)として徹底的に排除することを主張した思想家でした。
仏教も儒教も、宣長の時代においてすでに何世紀にもわたり日本に定着してはいたのですが。
国学は、基本的には天皇制イデオロギーの柱を形成していたので、一時期これに沿った形で「廃仏毀釈」のような動きもあったりしました。
しかしながら、「普通の人」や明治社会の現実は、半蔵ほど「純粋な国学精神」によって動いているわけでもないので、やはり彼は浮き上がってしまったのでしょうね。
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