昨年の「サンデーモーニング 年末SP 無縁の時代」では様々な「なるほど!」の言葉が。
★「役割があることで自信が生まれ、誇りが出て来る。他人と繋がれるようになれる」
たとえば昔はおばあちゃんが子守をしていた。
それがおばあちゃんの<役割>となり、<生きる意味>になっていた。
★「便利ということはさぼること。体を使わないこと。エネルギーを使わないこと」
倉本聰さんの言葉だが、確かに。
筋肉だって脳だって使わなければ衰えますからね。
エネルギーは使えば使うほど湧いてくるものだし、逆に使わなければどんどん減っていく。
そして不便は逆に楽しいこと。
スパイスなどにこだわり材料から作った料理とレトルトの料理。
自動車で目的地まで行く旅行と自転車で行く旅行。
スーパーで買った野菜と自分で作った野菜。
どちらが心の豊かさを得られるか?
★「江戸時代では稼ぎとお勤めは違った」
<稼ぎ>とは生活費を稼ぐことだが、<お勤め>とは何か社会の役に立つことだったらしい。
たとえば隠居してお金を稼がなくなっても老人は地域の中で智恵袋や調整事など、様々な役割を持っていた。
★「弱者=敗者は間違い」
★「もっともっとという欲望のいたちごっこはやめよう」
一昨年の年末SPでも語られていたことだが、現在の人間がしている生活は地球のキャパを越えているらしい。キャパを越えずに生活している分には、地球は自然の力で再生していくが、今はそれが追いつかなくなっているという。
★「人間は土を育てる。自分を育てる。社会を育てる」
土を育てるとは自然を育てるということ。
社会を育てるとは社会に貢献すること。
このふたつの中で自分を成長させていくことが自分を育てるということ。
<社会の中での自分>というのは意識しやすいが、<自然の中の自分>というのも意識すべき。
<自然>と<社会>と<自分>の三位一体。
そうすると心が豊かになってくるという。
確かに土をいじっていると癒される。
★「国家の目標、組織の目標、個人の目標、この三つが一致していたのが戦前。それは共同幻想であったかもしれないが、個人があれこれ自分について悩むことはなかった。そして現在は完全な個人主義の時代。昭和三十年代、四十年代にはまだ<経済成長><終身雇用><幸せな核家族>という幻想があり、個人の目標が<家族>であったり<会社>であったりと一致してしまったが、現在、個人はそれらからも切り離されてしまっている。家族は崩壊し、会社は平気で首を切る。個人は目標を持てずに個々に切り離されている。かといって戦前の時代がいいかと言えばそうでもないが」
★「結び合う矛盾を引き受けよ」
他人と関わるのは面倒くさかったりする。というより他人と関わることは面倒なこと。
でも、その他人の面倒を引き受けて生きるのが人間。面倒を掛け合って生きるのが人間。
昭和の時代はこの考え方が当たり前だった。ところが現在の個人主義の時代では、この当たり前がなくなってしまった。
なるほど。
確かに育児放棄してしまう親などはきっと子供が面倒なのだろう。
先程のエネルギーの出し惜しみではないが、面倒だと思って出し惜しみをしていると、どんどん追い込まれていく。
★「日本の現状について<日本は既に衰退している><家族は崩壊している>と、まず認めよ。それを認め、新しい価値観を構築しようとする所から未来は始まる」
確かにかつてのオランダや大英帝国といわれた英国も衰退した。
日本だって例外ではない。
また独居老人、児童虐待、無塩社会など、家族も壊れている。
この状況の中で、一番になろうとしたり、家族を再生したりしようとするのは間違いではないか?
経済が一番でなくても文化的にすぐれているとか、自然が豊かだとか、食べ物が安全で美味しいとか、世界にアピールすることはたくさんある。
家族が壊れてしまったのなら、お年寄りだけのコミュニティなど、他のものを作ればいい。インターネットのコミュニティもそのひとつ。
まず現状を認め、自分は何をすべきかを考えるべきなんでしょうね。
★「役割があることで自信が生まれ、誇りが出て来る。他人と繋がれるようになれる」
たとえば昔はおばあちゃんが子守をしていた。
それがおばあちゃんの<役割>となり、<生きる意味>になっていた。
★「便利ということはさぼること。体を使わないこと。エネルギーを使わないこと」
倉本聰さんの言葉だが、確かに。
筋肉だって脳だって使わなければ衰えますからね。
エネルギーは使えば使うほど湧いてくるものだし、逆に使わなければどんどん減っていく。
そして不便は逆に楽しいこと。
スパイスなどにこだわり材料から作った料理とレトルトの料理。
自動車で目的地まで行く旅行と自転車で行く旅行。
スーパーで買った野菜と自分で作った野菜。
どちらが心の豊かさを得られるか?
★「江戸時代では稼ぎとお勤めは違った」
<稼ぎ>とは生活費を稼ぐことだが、<お勤め>とは何か社会の役に立つことだったらしい。
たとえば隠居してお金を稼がなくなっても老人は地域の中で智恵袋や調整事など、様々な役割を持っていた。
★「弱者=敗者は間違い」
★「もっともっとという欲望のいたちごっこはやめよう」
一昨年の年末SPでも語られていたことだが、現在の人間がしている生活は地球のキャパを越えているらしい。キャパを越えずに生活している分には、地球は自然の力で再生していくが、今はそれが追いつかなくなっているという。
★「人間は土を育てる。自分を育てる。社会を育てる」
土を育てるとは自然を育てるということ。
社会を育てるとは社会に貢献すること。
このふたつの中で自分を成長させていくことが自分を育てるということ。
<社会の中での自分>というのは意識しやすいが、<自然の中の自分>というのも意識すべき。
<自然>と<社会>と<自分>の三位一体。
そうすると心が豊かになってくるという。
確かに土をいじっていると癒される。
★「国家の目標、組織の目標、個人の目標、この三つが一致していたのが戦前。それは共同幻想であったかもしれないが、個人があれこれ自分について悩むことはなかった。そして現在は完全な個人主義の時代。昭和三十年代、四十年代にはまだ<経済成長><終身雇用><幸せな核家族>という幻想があり、個人の目標が<家族>であったり<会社>であったりと一致してしまったが、現在、個人はそれらからも切り離されてしまっている。家族は崩壊し、会社は平気で首を切る。個人は目標を持てずに個々に切り離されている。かといって戦前の時代がいいかと言えばそうでもないが」
★「結び合う矛盾を引き受けよ」
他人と関わるのは面倒くさかったりする。というより他人と関わることは面倒なこと。
でも、その他人の面倒を引き受けて生きるのが人間。面倒を掛け合って生きるのが人間。
昭和の時代はこの考え方が当たり前だった。ところが現在の個人主義の時代では、この当たり前がなくなってしまった。
なるほど。
確かに育児放棄してしまう親などはきっと子供が面倒なのだろう。
先程のエネルギーの出し惜しみではないが、面倒だと思って出し惜しみをしていると、どんどん追い込まれていく。
★「日本の現状について<日本は既に衰退している><家族は崩壊している>と、まず認めよ。それを認め、新しい価値観を構築しようとする所から未来は始まる」
確かにかつてのオランダや大英帝国といわれた英国も衰退した。
日本だって例外ではない。
また独居老人、児童虐待、無塩社会など、家族も壊れている。
この状況の中で、一番になろうとしたり、家族を再生したりしようとするのは間違いではないか?
経済が一番でなくても文化的にすぐれているとか、自然が豊かだとか、食べ物が安全で美味しいとか、世界にアピールすることはたくさんある。
家族が壊れてしまったのなら、お年寄りだけのコミュニティなど、他のものを作ればいい。インターネットのコミュニティもそのひとつ。
まず現状を認め、自分は何をすべきかを考えるべきなんでしょうね。
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