平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

ガリレオ その4

2007年12月18日 | 推理・サスペンスドラマ
 ガリレオ 最終回

★湯川のキャラクター
 湯川(福山雅治)は最後まで理性の人だった。
 東京の半分が吹き飛ぶレッドマーキュリーの解除を少しもうろたえることなく。
 泣きわめく薫(柴咲コウ)とは対照的。
 まあ、この辺が湯川の魅力なんでしょうね。
 爆弾が解除されて薫に抱きつかれて、少しはデレっとするかと思ったらそうでもない。
 最後のせりふまでが「実に面白い」。

 古畑任三郎や「相棒」の右京さん、みんな名探偵は理性的。
 時々、犯人の非道に腹を立てるけれど。
 湯川も木島(久米宏)に「責任を取れない人間は科学者でない。あなたに未来をつくる資格はない」と断言。

 それにしても湯川の犯罪を追う理由とは何だったのだろう?
・特異な現象への科学的興味?
・罪を憎む心?
・薫への想い?

★勘
 今回の爆弾解除には薫の勘が貢献した。
 赤と青のコード、どちらを切るかというアニメ的状況。
「さっきの言葉は撤回しよう。やはりアニメを見ておくべきだった」
 そしてどちらを切るかの選択は薫に任せられた。
「君の好きな色は?」と聞いて薫が答えたのは?
 ニヤリとさせられるシーンだ。
 その後の湯川のコメントもいい。
「君の勘は超常現象だ。常識では考えられない」
 湯川は薫の『勘』を研究テーマにすればいいのに。

★省略の妙
 こんなふたつのシーンがある。

 家に帰る薫に湯川から電話。
「会って話したいことがある」
 次のシーンではパソコンで音声をいじくっている木島。
 やって来る湯川に爆弾を見せ、捕らわれている薫の姿。

 12時が過ぎても何も起こらない。
 木島は窓から平和な東京の街を見る。
 次のシーンでは講義をしている湯川。

 いずれも「薫が捕らえられるシーン」「木島が逮捕された、あるいは自殺したシーン」が省略されている。
 しかし、これらのシーンが描かれなくても視聴者は想像できる。
 これが省略の妙だ。
「薫が捕らえられるシーン」「木島が逮捕された、あるいは自殺したシーン」はいずれもドラマとして面白くできる。
 「薫が捕らえられるシーン」はサスペンスに、木島のシーンは自殺した女性助手への想いや科学者の思い上がりを語らせたりしてドラマに。
 2時間ドラマなら入れていたかもしれないが、今回は省略でOK。
 これで作品にテンポが出た。
 思えば無駄なシーンを入れてつまらなくさせている作品がどれだけあることか。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風林火山 最終回「決戦川中島」 

2007年12月17日 | 大河ドラマ・時代劇
 第50回(最終回)「決戦川中島」

 1年にわたり、ひとりの人間の人生、そして死を見るのには感慨深いものがある。
 勘助(内野聖陽)の人生とは何であったのか?
 番組中のナレーションに拠れば「生きて愛して散っていった男」。
 確かに勘助は愛した人のために生きた。
 信玄(市川亀治郎)とは天下という同じ夢を見、由布姫(柴本幸)を愛して彼女の幸せのために闘った。

 勘助は決して英雄ではない。
 信長などは「新しい時代を切り開き、平和を実現するために戦った男だった」などとナレーションされるが、そんなきれいな言葉より、勘助の「生きて愛して散っていった男」の方が共感が持てる。
 それは「平和を実現するために戦う」などということが嘘であることを我々は知ってしまったからだ。
 例えばイラクへのアメリカの戦争。
 信長の戦いにもきれいごとで済まされない権力欲がある。
 この点で「風林火山」という作品が時代の空気をとらえて出来た作品であることがわかる。
 信玄の戦いは結局『欲』。武田家を繁栄させるためのもの。
 長尾景虎(Gackt)の戦いも天の戦いといいながら、どこか狂気を帯びたうさんくさいものがある。
 勘助の戦いは武田家という枠にとらわれた限界はあるが、『姫への愛』『信玄との夢』という点で純粋である。
 その混じりけのない純粋さゆえ、由布姫(柴本幸)は死ににいこうとする勘助を引き留め、太助たちは勘助の首と胴を奪還し、武田の重臣たちは死んだ勘助を見て涙した。
 勘助にしてみれば大きな喜びであろう。
 リツ(前田亜季)という子として愛する対象も得たことだし。
 それらはすべて勘助が純粋に懸命に生きたから得られたもの。

 『生きた愛した』
 『懸命に生きた』
 これが勘助の生涯であった。
 彼もまた英雄であった。

※追記
 名せりふ、気になったせりふをいくつか。
・信繁、諸角が死にあとは妻女山の援軍を待つばかりになって
 勘助「もはや高ずる策は無し。それがしも前に出ます」
・景虎「この悪しき天地を我が手で解き放つ」(→景虎らしい)
・宇佐美「一国を滅ぼしてまで何のために戦うのか?」
 それに対する勘助の答え
 勘助「生きるため、わが思うお人のため」(←イマイチ説得力がない。一国を滅ぼしてはいかんでしょう)
・甘利「いくさの勝ち負けとは何を守り、何を失うかだ」(→この戦いで明確な勝者はない。甘利の言葉を借りれば、信繁、諸角、勘助を亡くした武田の負けか)
 勘助、由布姫を見て
 勘助「死んではならぬ。それがしをお止め下されたか」(→勘助にとって一番嬉しいこと)
・伝兵衛、勘助の胴体を担いで
 伝兵衛「山本勘助でございまする」
・信玄「勝ち鬨をあげよ」(→軍師・勘助へのはなむけ)
・平蔵「いくさはいいだ。死なないぞ。帰るぞ」(→平蔵が憎しみで戦うことの愚かさを知り、憎しみから解放された瞬間)


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オトコの子育て その3

2007年12月15日 | ホームドラマ
 最終話

★そばにいるだけでいいんだよ。
 自然体という言葉が篤(高橋克典)にはふさわしい。
 悪く言えばちゃらんぽらん。
 6年前、家を出ていった理由とは「パチンコで擦ってクリスマスプレゼントを買うお金がなくなったから」。パチンコをしたのはお金を増やして子供たちに少しでもいいものを買ってあげようと思ったからだが。
 今回、家に帰らなかったのは「帰って来たらとっちめてやる」という言葉を聞いたから。篤は家に帰るために6年前子供たちの欲しがっていたプレゼントを買うが、凛子が何を欲しがっていたか思い出せない。
 何とも情けない。
 嫌なものから逃げる。
 どうしようもないダメ親父だ。
 でも、そんな親父でも子供たちには必要だったのだ。
 次男と次女は篤のためにクリスマスプレゼントを買い、長女の凛子は自分が6年前に書いた絵日記を見てかつての自分の気持ちを思い出す。
 その日記には……。
 どんなダメ親父でもそばにいるだけでいいのだ。
 ダメならダメで子供たちは何とかする。凛子の様に。

 また立派な父親とは何だろうとも考えてしまう。
 隣の父親・正樹(尾美としのり)。
 確かに完璧で自分や家族を管理できているが……。
 でもそんな正樹の様な父親でも子供の竜也(熊谷知博)には必要らしい。
 眼鏡拭きのクリスマスプレゼントを渡す。
 クリスマスを否定していた正樹だが、「たまにはいいんじゃないか」と照れくさそう。
 ここにも心通い合う家族が……。

★肩の力を抜いて
 篤というキャラは肩の力が抜けたキャラだ。
 隣の父親・正樹は肩に力が入っている。
 他のドラマで言えば、金八先生も肩に力が入っている。
 お金のことを説明するのにこんなことを話していた。
 お金を持っていたらスポーツカーを買いたいという生徒に
「スポーツカーを欲しい理由はスポーツカーを『すごい』『かっこいい』と言ってくれる友だちが欲しかったからじゃないのか」と問う。
 ハーレムが欲しいという生徒には「結局は愛情がほしいからではないのか」と問う。
 授業だから仕方がないが、大げさな説明だ。
 一方、篤。
 そんな説明をしなくても、誰かがそばにいることが、『すごい』『かっこいい』と言ってくれる誰かがいることが大切なことだと教えてくれている。

 篤と金八先生、方法論が違っても結論は同じなのだ。(もっとも篤の場合はそのことを教えようとはしていないが)
 ドラマが葛藤である以上、肩の力の抜けたキャラを描くのは難しいが、今後、篤の様なキャラをもっと見てみたい。

※追記
 凛子役の子役、夏居瑠奈さん、絵日記のシーンでは本気で泣いていた。
 こういう作り物でないリアルを見たい。
 一方、正樹役の尾美としのりさん、洋介(小泉孝太郎)に反論された時のコケ方は見事。
 これは芸の技。

※追記
 「あなたっていう人は!?」
 このせりふは「結婚できない男」でも使われていたせりふ。
 尾崎将也ワールドには女性に呆れられる男たちが出てくる。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

医龍2 カルテ10

2007年12月14日 | 職業ドラマ
 カルテ10

 最終回を前に各キャラの見せ場を作った。
 松平幸太朗(佐藤二朗)は生体肝移植を行う雄太を見て
「ドナーが見つかるまで雄太君の肝臓は俺が守る」
 小高七海(大塚寧々)は雄太母子のやりとりを見て
「絶対にうまく行く。行かせてみせます」
 外山誠二(高橋一生)は規定違反、医師免許剥奪の状況にもかかわらず、朝田龍太郎(坂口憲二)に「やろう」。
 ひと言のせりふだが重みがある。
 その前段階では子供嫌いだと言いながら雄太とサッカーの話をし、「思いっきり走ったことのない」雄太に感情移入するシーンもある。
 ひと言のせりふということでは藤吉圭介(佐々木蔵之介)もそう。
「総力戦になる。フォロー頼むぞ」と朝田に言われ、「任せとけ」と言って廊下の角を曲がる。

 この様に各キャラの見せ場をちゃんと描けるのは、その前までにキャラがしっかり描けているから。
 例えば、母子のやりとり(自分の肝臓を提供する母親に「ありがとう」と言う雄太。それに対し母親は「お母さん、強いから全然大丈夫」と言う)の後に小高のカットが入る。
 このワンカットだけで、小高の過去を知っている視聴者は小高が何を思ったかがわかる。
 松平が消化器系の外科医であること、荒瀬と小高、麻酔医がふたりいることなどはすべてこの雄太君の手術をやるための設定だった。

 また今回、朝田も見せ場のせりふがあった。
 自分なんか必要ないとくじけそうになる雄太に
「先生は君のお父さんから諦めない心を学んだ。雄太ももう少しがんばってみないか?」
 信念の男・朝田にも患者を前に諦めてしまう時期があったらしい。
 こういう描写があると朝田も人間っぽく見えてくる。

 唯一、見せ場がなかったのはMEの野村博人(中村靖日)。
 手術シーンで「ME」のテロップで1カットあるだけ。
 最近いろいろなCMに出ていらっしゃるのに。

 物語のカセは次のとおり。
1.野口の妨害
2.トラックの横転事故
3.規定違反・医師免許剥奪

 これらを乗り越えて朝田たちは戦っている。
 見せ場や見栄を切るシーンがあることなど、この作品は東映特撮物を見るような感じだ。

※追記
 朝田と鬼頭笙子(夏木マリ)が廊下で鉢合わせするシーンは、ヤクザもの、ヤンキーものを見ているかの様。
 眼飛ばし合って。
 大人なんだからどちらかが道を開けてあげればいいのに。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロンドンハーツ~格付けしあう女たち

2007年12月13日 | バラエティ・報道
 NG大賞などでもそうだが、テレビでのハプニングは面白い。

 今回は格付けで、にしおかすみこが本音を激白。
 にしおかは泣きながら「事務所がドSでやり通しなさいって言ったらSキャラをやってる。でもドMだからSなんてできないんです!」と激白!
 アドバイスする出演者には「こんな風に一生懸命考えてくれるのに本当は噛み付きたくなんかないんだよ。ロンハーなんてホントは出たくないんだよ!」

 これに対してロンブーの淳。
「もうそんなキャラやめちまえよ!キャラなしでいく?」
 すると番組ディレクターが
「事務所と相談しないと決められない。事務所がNG出したら、(映像が)繋がらなくて番組に出来なくなる」と制止。
 事務所の先輩である青木さやかは真面目に激怒。
 Sキャラなんかやりたくないというにしおかに
「じゃぁ、どうやってTV出るつもりなのよ!」
 先程の事務所確認の件では
「いやいや、そんなの事務所関係ない!あなたの責任でやりなさいよ!」
 実にリアルだ。
 芸能界の舞台裏を見ている様。

 ギャル曽根、スザンヌなど他の格付けメンバーはどう対処してわからない様子だが、柳原可奈子は頭がいい。この前の段階で柳原も泣いたのだが、「これじゃあたしが泣いたの意味ないじゃん。新聞のラテ欄、全部あんたに取られた」と笑いにする。
 杉本(彩)姉さんのコメントも見事。
「Sキャラについては、人を責めることに快感を感じないと本当のSにはなれない」
 と見事なウンチクを述べ、Sキャラを演じて無理をしていたにしおかには「無理しないで自分に素直になった方がいいよ」とアドバイス。
 こういう時のリアクションでその人の人柄がわかる。

 その後、にしおかはドMキャラに変身。
 一般男性ランキングで10位になった安めぐみには「オメデトウ」と素直に祝福し、9位の杉本にも「その通りだと思います。」ととても謙虚。8位の青木には「いつもお世話になってます。」と挨拶を忘れない。
 番組ではこれをギャグにしていたが、見方によっては痛々しい。
 悲劇と喜劇は表裏一体であることを思い出した。

 この様にテレビは作り物でない方が面白い。
 そのためドラマの場合は作り物であることを感じさせないリアルが必要になってくるのだが。
 番組ではもうひとつハプニングがあった。

 青田典子の発言だ。
 HPでは『テレビ界で歴史に残る大珍事件!?』と表現しているが、まさにそのとおり。
 青田はいちゃもんをつけられたことを言い間違えて「イチモツをつけられた」と発言。
 いちゃもん→イチモツ?
 青田典子は偉大だ。
 「イチモツが来年の流行語大賞にあるといいですね」と返した淳も見事。

 それにしても今後のにしおかすみこはどうなっていくのだろう?

※追記
 今回の格付けのテーマは「何かとダメそうな女」
 そのランクと理由を書いておく。(公式HPから流用)

1位 スザンヌ……①やることなすこと全てが迷惑な行為になってそう。②公共料金を払ってなさそう。③すぐに詐欺にひっかかりそう。
2位 にしおかすみこ……①家のトイレがすごく汚そう。②ポストの郵便物とか1ヶ月ぐらいたまってそう。③自分を見失っているので。
3位 青田典子……①ニセモノの絵画を家に飾ってそう。②疲れている時に、自分勝手に迫ってきそう。③KYとか無理して流行語使ってそう。
4位 杉田かおる……①たまに歯を磨くの忘れてそう。②靴下が左右違ってそう。③これから想像を絶するスキャンダルが出てきそうだから。
5位 ギャル曽根……①「ギャル」と呼べない年齢になっても「ギャル」と言ってそう。②待ち合わせに2時間遅れても笑顔でやって来そう。
6位 柳原可奈子……①デブでもモテるのにはワケがある。②デブでも明るくて、男女問わず友達が多そう。③デブだけど、ちゃんと自分に合うファッションをしてる。
7位 山本モナ……①何事もそつなくこなしてしまうスーパーウーマン。②仕事は忙しそうだがきちんと家事もしていそう。
8位 青木さやか……①キャラは強面で、男運がだめそうだが、ちゃっかりうまいところで手を打って、別のキャラ立てを考えてる。②結婚してさらに面白くなっている。
9位 杉本彩……①「ダメ」という言葉が似合わない。②あれだけエロスについて語っておいて、トークも下品な印象を受けないため非難する余地なし。③出来る女の代表。まさに「女帝」。
10位 安めぐみ……①かわいいし、頭もいいし、空気も読めるし、それでいて癒し系ってどんだけいい女なんだ!②この娘はダメな部分もかわいく見える。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人間椅子

2007年12月12日 | 短編小説
 江戸川乱歩の「人間椅子」。
 この作品にはふたつのモチーフがある。

★ひとつは現実の忌避。

「私は世にも醜い容貌の持ち主でございます」
「私は、お化けのような顔をした、その上ごく貧乏な、一職人に過ぎない私の現実を忘れて、身のほど知らぬ、甘美な、贅沢な、様々な「夢」にあこがれていたのでございます」
「私がもし、もっと豊かな家に生まれていましたら、金銭の力によって、いろいろの遊戯にふけり、醜貌のやるせなさをまぎらわすことができたでありましょう。私にもっと芸術的な天分が与えられておりましたなら、例えば美しい詩歌によって、この世の味気なさを忘れることができたでありましょう。しかし、不幸な私は、いずれの恵美にも浴することができず、哀れな、一家具職人の子として、その日その日暮らしを立てていくほかはないのでございました」

 主人公は単調でただ生きているだけの現実を憂えている。
 空想、妄想の世界に遊ぶことが救いだと考えるが、彼には十分な「芸術的才能」もない。
 『現実を忌避し空想世界に逃げる』
 乱歩作品の底流にはすべてこのモチーフが流れている。

 明智小五郎は奇怪な犯罪世界に胸を躍らせ、「パノラマ島奇譚」の主人公はお金の力で彼が空想する理想郷を作り上げる。

 そしてこの「人間椅子」の主人公が「悪魔の囁き」を聞いて味気ない現実から逃げるために行ったことは『革の椅子の中に入ること』。
 彼は椅子の中に入ることにより「怪しくも魅力ある世界」を得る。
「人間というものが、日頃見ている、あの人間とは全然別な生き物であることがわかります。彼らは声と、鼻息と、足音と、衣ずれの音と、そして幾つかの弾力に富むただの肉塊にすぎないのでございます」
「革のうしろから、その豊かな首筋に接吻することもできます。その他、どんなことをしようと自由自在なのであります」

 彼は現実を逃れる理想郷を得たのだ。
 ここに作品の2番目のモチーフが現れる。
 即ち……

★触覚の世界
 普通の世界では人の体に触れることはなかなか出来ない。
 ほとんどが視覚、聴覚で人に関わる。
 しかし主人公は椅子の革一枚を通して人に触れることが出来る。
 触覚の世界。
 そこに人間性の復権を乱歩は見ている。
 テレビ、映画などの映像、音楽。人間は視覚・聴覚に溢れた生活をしているが実は本当に満たされていないのではないか。
 人は視覚の美醜によって他人を判断するが、それだけでは足りないのではないか?もっと様々なコミュニケーションがあるのではないか。
 そんなことを乱歩は問うている様に思える。
 人間性に根ざした文学世界は時代によって様々な読み方がなされる。

※追記
 谷崎潤一郎の「春琴抄」も自分の目を針で刺し、視覚のない世界で真実の愛を見出す話だった。


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悪魔のような女

2007年12月11日 | 洋画
 アンリ・ジョルジュ・クルーゾーの「悪魔のような女」。
 人を非日常の世界に導くのがエンタテインメントとすれば、ここで描かれた世界はまさにそれ。
 殺したはずの夫の死体がなくなってしまうのだ。
 夫を殺害した方法が睡眠薬で眠らせての溺死。水を満たした風呂に沈めた。
 共犯者ニコルは「心臓も止まっていたし確かに死んでいた」と言う。
 まさに現実の理屈では考えられない世界。

 この非日常はさらに続く。
 夫の着ていたスーツがクリーニングされて配達されてくる。
 主人公クリスティーナは夫が泊まっているというホテルを訪ねるが、従業員は誰も夫を見たことがないという。
 主人公は寄宿制の学校を営んでいるが、生徒のひとりが校長(殺された夫)を見たと言う。パチンコで窓を割った罰に「立っていなさい」と言われたのだ。
 生徒のパチンコは校長が取り上げたという。
 そのパチンコは主人公の執務室の上に。
 そして生徒との記念写真。
 そこにも校長が写っている。
 非論理的な恐怖はどんどん大きくなっていく。
 主人公は心臓が悪いらしく次第に弱っていく。
 ある晩、目を覚ますとタイプライターを打つ音。夫のタイプライターだ。
 執務室に行ってみると夫の名が文章に。
 そして風呂場。
 夫の死体が浸かっている。
 主人公が悲鳴をあげると風呂から夫は立ち上がって……。

 この様に描かれた非日常の世界。
 ここで観客が現実に戻ってくるためにはこれらの出来事に論理的説明がなされなければならない。
 事件が解決しなければならない。
 ネタバレになるので書かないが、描かれている前提を疑ってみればすべて論理的な説明がつく。
 犯人の動機を考えてみればすべて説明がつく。

 しかし、ここはさすがクルーゾー。
 これだけでは終わらせない。
 最後にもうひとひねり。
 結局、主人公は夫を見たショックで死んでしまうのだが、後日、『主人公を見た』という生徒が現れる。それはパチンコの生徒と同じ生徒で悪戯をして「主人公に怒られた」と言う。
 このことに関しては何の説明もなされない。
 非日常のままである。
 生徒の見たものは幽霊?
 居心地が悪いまま、観客は日常世界に戻ってくるのだ。

※追記
 前半部も様々なサスペンスが描かれる。
1.夫をいかに殺すか? ためらう主人公。
2.いかに死体を運ぶか? 運ぶ途中で何度か見つかりそうになる。
3.死体が早く発見されてほしい。死体は学校のプールに沈められたのだが、主人公は罪悪感から早く見つかってほしいと思う。
4.そして消えた死体。

※追記
 ヒッチコックはこの作品の殺害シーンのリアルな生々しさに影響を受けて「サイコ」を作ったそうだ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太陽がいっぱい

2007年12月10日 | 洋画
 普通、犯罪者の罪が暴かれて事件が解決するというのは痛快なことだがこの作品は違う。
 何とも言えぬ哀切がある。

 トム・リプリーは貧乏な青年。
 アメリカの金持ち青年フィリップにくっついて便利屋みたいな仕事をしている。
 リプリーはフィリップといい友人でありたいが、フィリップはそう思っていない。蔑みからかい、自分を慰めるおもちゃとして見ている。
 そこでリプリーに芽生えた殺意。
 自分はフィリップなんかより頭が切れる。たまたま何も持っていないだけ。
 だったらフィリップのすべてを奪ってやろう。
 フィリップの婚約者のマルジュも、財産も。そして彼の命も。
 満たされない虐げられた青年の秘めた怒りと野望。

 こうして始まったリプリーの危険な戦い。
 サインの偽造と声色。
 自分がフィリップに入れ替わっていることを友人のフレディに知られそうになるとフレディを殺す。
 そしてフィリップを犯人に仕立て上げ、彼が自殺したように見せかける。
 偽の遺言状を作り婚約者のマルジュに相続させるようにする。
 そのマルジュはリプリーに心を傾かせていて……。

 この作品の圧巻は何と言ってもラストの5分だ。(以下ネタバレ)
 マルジュも手に入れ、財産も手に入れリプリーは地中海のビーチの椅子に横たわり飲み物を注文する。
「この店で一番いい飲み物を」
 そしてつぶやく。
「太陽がいっぱいだ。今までで最高の気分だ」
 それと並行されて描かれるヨットに引きずられて出てくるフィリップの死体。
 マルジュの悲鳴。
 やって来る刑事。「あの男を電話だと言って呼び出してくれ」
 店主に呼び出され、笑みを浮かべながら立ち上がって歩いていくリプリー。
 カットアウト。
 FIN。

 この作品の原作の映画化はヒッチコックも狙っていたらしい。
 しかしヒッチコックが撮っていたらどんな作品になっていただろう?
 サスペンスシーンは迫力のあるものになっていただろうが、これほどの抒情は描けていたかどうか。
 ヒッチコックなら、この作品をさらなる高みにあげたアラン・ドロンもニーノ・ロータ(音楽)も使わなかっただろう。
 地中海のメチャクチャな明るさ(太陽がいっぱいな感じ)も描かれなかっただろう。
 監督ルネ・クレマンだから生まれたこの哀切。
 やはりフランス映画である。
 アメリカ映画は基本的に勧善懲悪。
 リプリーも単なる悪役として描かれたかもしれない。

※追記
 淀川長治先生はリプリーがフィリップの服を着て鏡に話しかけるシーンを見て、リプリーの同性愛を感じたそうである。
 僕にはよくわからなかった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

D坂の殺人事件

2007年12月09日 | 短編小説
 江戸川乱歩の「D坂の殺人事件」。
 D坂とは東京の団子坂のことらしい。
 確かにタイトルが「団子坂の殺人事件」ではかっこ悪い。
 明智小五郎が最初に登場した作品でもある。

 さて古い推理小説を読む楽しみとして当時の風俗を知るという楽しみがある。
 作品が発表されたのが大正十四年ということから、描かれているのは大正風俗。
 まず喫茶店がある。アイスコーヒーのことは冷やしコーヒーと言ったらしい。
 語り部の私と明智小五郎は喫茶店で推理小説などの話題でダベっているが、そんな行動を大正期にしていたことがわかる。
 その他にはアイスクリーム屋なども事件の目撃者として証言しているから、アイスクリームも存在していたらしい。
 現代に近い習俗である。
 またD坂は『菊人形の名所』だと描かれているが、僕は『菊人形』というのを見たことがない。漱石の「三四郎」なんかにも菊人形見物が出てくるが、どんなものなんだろう。

 推理小説としてはひとつの事実を私と明智が推理する方法がとられている。
 オモテに現れている事実は
1.古本屋の女房が殺されたこと。首を絞められた窒息死であること。
2.被害者の体にいくつもの傷があったこと。
3.犯行時に襖の格子越しに男の姿を見たふたりの学生がいること。
4.ひとりの学生は男の来ていた着物は紺だと言い、ひとりは白だと言っていること。
5.その目撃された男はオモテからも裏口からも出た様子がないこと。
6.犯行時に電灯が消えたこと。灯りのスイッチは明智が部屋に踏み込んだ時につけたため、犯人の指紋が消され明智のものだけしか残っていないこと。
7.殺された女は明智の幼なじみであること。

 この事実に基づいて私と明智が推理するわけだが、事実が人物の解釈によりA案、B案ふたつあるという所が面白い。
 黒澤明の「羅生門」よろしく、物事の解釈など見る者の主観によりいくらでもあるということを描いている。

 まずは語り部である私の解釈。
 犯人は明智。
 犯行に明智にアリバイがない。ぶらぶら歩いていたと言っている。
 それに当時、着ていたのは紺と白の着物。
 明智は殺人を終えると隣の蕎麦屋を通って逃げた。
 動機は過去の痴情のもつれか?

 それに対して示される明智の推理。
 ネタバレになるので書かないが、動機としては当時としては驚くべきものであったろう。現代ではわりとポピュラー?
 ヒントは『被害者の体にいくつもの傷があったこと』

 最後に明智の言葉をひとつ。
「物質的な証拠なんてものは、解釈の仕方でどうにでもあるものですよ。一番いい探偵法は人の心の奥底を見抜くことです」


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オトコの子育て その2

2007年12月08日 | ホームドラマ
 第7話

★キャラクターは揺らせ!
 今回は登場人物全員が揺れている。
 
 弥生(国仲涼子)は矢野家の家族になれないことを実感。
 子供たちの面倒をみても母親恭子にはなれない。
 篤(高橋克典)もちゃらんぽらんな父親だが子供たちは最近信頼を寄せている。
 距離をおくことにする弥生。
 洋介(小泉孝太郎)からは、「矢野家の一員になろうと思ってことは、矢野さん(=篤)のことを……」と言われて。
 自分の気持ちがわからなくなる。
 篤には弥生を「奥さんにしてもいい」様なことを言われて「あなたはいい加減な人です!」

 竜也(熊谷知博)は家出。
「人は変われるって隣のおじさんが言っていました。僕も変われるかためしてみます」
 父親の期待に応えようとして苦しい。
 篤の言葉と両親の喧嘩が引き金になって。

 篤は家に帰ってこない。
 6年前に家を出て行った時と同じらしい。
 一体、何があったのか?

 この様に人物が揺れるとドラマになる。
 この3人、それぞれどんな結論を持って来るのか?

★ギャグとシンコクの間
 冴子(鈴木砂羽)と洋介の関係が発展!?
 冴子が洋介のネクタイを直している所を夫正樹(尾美としのり)に見られてしまう。
 そこで喧嘩。
「達也の前では今までどおりでいよう」という正樹に冴子は「じゃあ、今までどおりでいいのね」と返す。
 冴子は夫に不満があったのだろう。それを隠していい夫婦を演じてきた。
 出てくる本音。
 本音が出て来ることはドラマとして面白いのだが、冴子の場合は難しい。
 今まで冴子と洋介の関係はギャグでドラマの味付けだった。
 それが急にシンコクに本音を言い合って。
 このバランスが難しい。
 演じている鈴木砂羽さんも小泉孝太郎さんも戸惑っているのではないか?
 これがドラマの味付けでなかったとしたら、ギャグでなくもっと他の演じ方があったはず。
 このエピソードの決着のつけ方にも注目したい。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする