平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

それでも、生きていく~あなたが誰かと繋いだその手の先で誰かがあなたの手を繋ぎますように

2011年09月16日 | その他ドラマ
★「私が誰かと繋いだ手のその先で、誰かがあなたの手を繋ぎますように」
 「つないだ手に込めた思いが届きますように」

 「朝日を見てまぶしくて遠山さんの今日一日を思います」
 「こうして朝日を見てると、どうしてか深見さんも同じ朝日を見てる気がします。いつもあなたを思っています」

 洋貴(瑛太)と双葉(満島ひかり)はしっかりと繋がっているんですね。
 <加害者の妹であること><被害者の娘・悠里>という現実を前に、いっしょにいることは出来なかったふたり。
 でも、ふたりは繋がっている。
 誰かと手を繋げば、そのことを思い出すし、朝日を見れば、洋貴は双葉を、双葉は洋貴を感じることが出来る。

 もちろん、ずっといっしょにいたいと思っていた人がいない喪失感はある。
 洋貴の母・響子(大竹しのぶ)が時々泣くように、ふたりは時々喪失感を感じるだろう。
 時々悲しくて、時々嬉しくて、時々満たされて、時々寂しくて、そんなことを繰り返しながら、人は生きていく。

 リアルな作品だ。
 ここで予定調和に逃げるのなら、洋貴と双葉のハッピーエンドで終わるだろう。
 だが、この作品はあくまで<生きることの実相>を描く。
 時々悲しくて、時々嬉しくて、時々満たされて、時々寂しい生きることの現実を描く。

 洋貴と双葉が朝日を見て繋がっていると感じるというのは、見方に拠っては感傷であり、ロマンティシズムと言えなくもないが、ふたりが繋がっていることを信じたい。
 ふたりはそれだけ濃密な時間を過ごしてきたのだから。

★「悲しみの向こう側へ進め」
 登場人物たちは、未来に向かって進もうとしている。
 過去の呪縛から解放されたわけではないが、過去を直視し背負いながら生きていこうとしている。
 それは決して、過去から逃げたり、過去を恨んだり憎んだりする生き方ではない。
 背負った荷物は以前よりも重いかもしれないが、力強く着実な歩みだ。
 それを駿輔(時任三郎)が象徴している。

 それは文哉(風間俊介)も同じ。
 母親の写真を見て彼は泣いた。
 <泣く>という感情を持てたことは、文哉が<人間>を取り戻した第一歩でもある。
 これで彼は人の痛みを感じることが出来る。

★最後にもう一度、人の繋がりについて
 洋貴と双葉は朝日を見たり、木に手紙を結びつけたりすることで繋がりを感じることが出来るようですが、人の繋がりってこういうことかもしれませんね。
 たとえば父・駿輔の字と双葉の字が似ていること。真岐(佐藤江梨子)の心臓の音を娘の悠里が聞くこと。
 そんなことで繋がりを確認できる。
 それは「私が誰かと繋いだ手のその先で、誰かがあなたの手を繋いでいる」と信じることでも。
 目を懲らして周囲を見ていけば、人は決して孤独ではないのでしょうね。


※追記
 満島ひかりさんについては以前も書いたが、すごい女優さんである。
 今回は「何かモテてるみたいで嬉しいな」というせりふにドキリとした。
 若手で、これほどひとつのせりふや動作にインパクトがある人はいない。
 おそらく脚本家さんは、五月(倉科カナ)や紗歩(安藤サクラ)も描き込む形で配置したのだろうが、満島さんの双葉が良すぎて、彼女らが入り込む余地がなくなってしまったのだろう。今回の洋貴と五月のやりとりも編集の段階でバッサリ切られた感じが…。

 
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AKB48~新ユニット・キャンプファイヤーをぜひ!

2011年09月15日 | アイドル
 先週の『週刊AKB』(テレビ東京 金曜17:30)で行われた『アドリブ・クイーン決定戦』。
 内容は、AKBメンバーが架空の記者会見で、記者の質問にアドリブで答えるというもの。
 アドリブゆえに珍解答が続出。

 中でも、高橋みなみさん、倉持明日香さん、佐藤亜美菜さん、秦佐和子さんの会見は面白かった。
 会見の課題は『新ユニット結成』。

 記者にグループ名を聞かれて、「新ユニット名はキャンプファイヤーです」

 自己紹介をするように言われて
 「ドラム&ヴォーカルのタカミー(高橋みなみ)です」←アルフィ高見沢さん?
 「タンバリン担当のモチフック(倉持明日香)です」←タンバリン?
 「チャッカマン担当のアミペコ(佐藤亜美菜)です」←チャッカマン?
 「セカンドドラムスのシャミー(秦佐和子)です」←セカンドドラム?

 デビュー曲を歌って下さいと振られて
 「Say yeah ! together ファイアボンバー!」(高橋)
 「心にいつも太陽を」(倉持)
 「ときめき ときめき ささやき」(佐藤)
 「タララ~」(秦)

 と大爆笑のアドリブの歌を披露。
 モチフックのコメントに拠ると、モチフックのタンバリンには火がつく仕掛けになっていて、燃えるタンバリンを叩くという過激なパフォーマンスがなされるらしい(笑)

 そして、このアドリブ会見で一番異彩を放っていたのが、しゃわここと秦佐和子さん。
 以前も書きましたが、秦さんと言えば、目立つことが嫌いで、滅茶苦茶シャイな女の子。声も小さい。
 あの心を閉じた抑圧された感じがgood!
 でも、こういう人こそが爆発するとすごいんですよね。
 曲を実際に演奏して下さいと記者に振られると、秦さん、狂ったようにエアドラムでドラムを叩き始めた。
 このパフォーマンスに一同あ然……そして大爆笑!
 静から動、抑圧から爆発、このギャップが面白いんですよね、秦さんは。
 しかもいずれも作ったキャラクターでなく、地でやっているから嫌みがない。

 おまけに秦さんは頭がいい。
 記者に「中学時代はヤンキーで、珍しいあだ名をつけられていたそうですけど、教えて下さい」とムチャブリな質問されて、30秒ほど考えた末に出てきたあだ名が、『窓ガラス割りのふじえ』(笑)
 これはアドリブでなかなか出てこない。
 『窓ガラス割り』というのは、教育学で<ブロークン・ウインドウ理論(Broken Window)>というのがあるが、そこから来ているのだろうか? では『ふじえ』は一体どこから? 秦さんの名前とは全然関係ないし。
 ともかく計り知れない発想力と頭の良さが、この答えからうかがえる。

 秦佐和子さんは、これまでも『週刊AKB』で数々の伝説を残してきた。
 そして、今回伝説がまたひとつ加わった。
 これで、しゃわこ推しが増えるだろう。

 それから、新ユニット『キャンプファイヤー』。
 ぜひ今後も活動していってほしい。
 こんなユニークなユニットは他にない。
 番組内ユニットでいいので、ぜひ特集を組んで下さい、『週刊AKB』さん。


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DIVE!! 森絵都・著~そこにはあなたにしか見ることのできない風景がある

2011年09月14日 | 小説
 「DIVE!!」(森絵都・著 角川文庫)は見事なスポーツ小説だ。
 主人公は、飛び込みでオリンピックを目指す少年たち。
 着水までのわずか1~2秒の世界に自分の持てるすべてを投入し、一瞬の輝きを作る。
 その<一瞬の輝き>のために、彼らは何年も青春のいろいろなことを犠牲にして練習をする。

 こんなせりふがある。女コーチが知季(ともき)という未知の潜在能力を秘めた少年に語るせりふだ。
 「あなたは確実に伸びる。磨けば磨くほど上達し、苦しめば苦しむほど大きな選手になる。もちろん、それは楽なことじゃない。でもね、あなたはがんばった分だけ確実にその手応えをつかむことができるの。それは今まで味わったことがないほど、リアルで、気持ちがよくて、そしてわかりやすい手応えのはずよ。この生ぬるい国で、ほかにそんなものを感じ取ることができる?」「そこにはあなたにしか見ることのできない風景があるわ」

 そう。スポーツ選手は、普通の人間が感じることができない<手応え>や見ることができない<風景>を見るために日々練習し、闘っているのだ。
 こんな女コーチの言葉に挑発されて、知季はハードな練習をし、次のような<手応え>を感じていく。
 「自分の体が変わりつつあるのを、知季は単純におもしろいと思った。これまで味わったことのない手応えがそこにはあった」
 こんな知季に対して、女コーチはさらに指導を行っていく。
 「回転にスピードが加わった分、入水姿勢を整えるのに余裕ができたのがわかる? ただ漠然と体の変化を感じるだけじゃなく、意識的にそれを活かそうとしてる?」
 「たった一度でもこの技を極めたのなら、あなたはすぐにそのコツを呑みこむ。三回転半の景色を瞳で憶えこむ。だから最初の一回だけ、この壁さえやぶれば、あとは簡単なのよ」
 見事な肉体表現だ。
 肉体の変化やひとつの技術をマスターした時の状態を的確に表現している。
 こういう表現を読むとワクワクする。

 そして、知季が大技・三回転半をマスターした時はこんな表現。
 「一回転目の目印、二回転目の目印、三回転目の目印、そのビジュアルを瞳で憶えこむ。目の前で駆け抜けるすべてが静止画さながらに見てとれる」
 知季は<三回転半>の景色を瞳で憶えこんだのだ。

 これがスポーツをする喜び。
 しかし、作者の森絵都さんは非情だ。
 こんな<風景>が見られるのは、限られた天才たちにしか与えられていないことを描くのを忘れない。
 知季は天才で、類いまれな動体視力と体の柔軟性があった。
 しかし、彼をコーチした女コーチは選手としては天才ではなかった。
 そんな自分を彼女はこう語る。
 「欠点はどこか、どこを直せば、もっとよくなるのかは直感的にわかるのよ。でも頭でわかっていても実行できるとは限らない。違う、こうじゃないんだってわかってるだけに、動かない体が歯がゆいのよ。成長すればするほど、そんないらだちは募っていった。私自身がよくわかっている、自分の限界を」
 こんな詩的な表現もある。
 「水に映える選手がいる。まるで水の粒子がその子にだけスポットライトを浴びせているように、誰もがその選手に注目せずにはいられない。水に愛されているのか」

 このような形でスポーツを描いた「DIVE!!」。
 知季の他にも、様々な<水に愛された少年たち>の物語が描かれて見事な青春小説になっている。


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ゴルゴ13~福島原発事故を予見していたあるエピソード

2011年09月13日 | コミック・アニメ・特撮
 「ゴルゴ13」の「2万5千年の荒野」を読んだ。
 原子力発電所の事故を扱って、現在の東京電力福島原子力発電所の事故を予見している。

 舞台は、ロサンゼルスの北方80キロにあるヤーマス原子力発電所。
 ロサンゼルスオリンピックを前にして、検査を終え再稼働しなければならない。
 しかし点検箇所は山積み、しかもトラブルで万が一の時にベントするための安全弁を傷つけてしまう。
 現場課長は、再点検、再稼働の5日間の延期を主張するが、経営陣は
 「5日で1万ドルも費用がかかるんだぞ」
 「緊急冷却装置があるんだ、心配ない」
 「今後、原子力を推進するためにもオリンピックに間に合わせなければならない」
 と言って拒否する。

 そこへ停電。
 自家発電のディーゼル発電機で電気を起こそうとするが、オイルチェックミスで電気を起こすことが出来ず、緊急冷却装置が稼動しない。
 結果、原子炉内での圧力が上昇。「圧力184に上昇!! 温度396!!」
 このままでは炉心がむき出しになってメルトダウン! あるいは炉心爆発!
 現場課長はベントを指示するが、先日の安全弁の事故でベントが出来ない。
 おまけに放射能が漏れている。
 「圧力上昇中!! 188 190 194!!」
 「原子炉建屋内に放射能!!」
 「排気口から外部放射能漏れ!!」
 「これでヤーマスの町もおしまいだ」
 「風は毎秒5メートル! 炉が吹き飛んだら3時間でロスに放射能が!」
 「わずか3時間でロス600万市民をどうやって避難させるというのだ!?」

 何というリアルな描写だろう。
 原子炉建屋、緊急冷却装置、安全弁……。
 この作品が描かれたのは1884年、1984年だが、ここで描かれていることは2011年の現在でも通用する。
 おそらく福島原子力発電所の現場でもこれと同じような会話がなされたのではないか?

 結局、この事故はゴルゴ13が安全弁の一番弱い所を対戦車銃で撃ち抜いて、ベントすることで解決するのだが、その後のエピソードもリアル。
 電力会社は事故を原発に反対する過激派の拠るものとして、原発の安全をあくまで主張しようとするのだ。

 そして作品はマスコミと原子力規制委員会との間のこんな会話で締めくくられる。
 「いずれ石油や石炭は枯渇するのです。今更、木炭やローソクの生活に戻れますか? 原子力は絶対に必要なのです」
 「すぐにそれだ! 答えになっていない! 太陽熱や風力発電、波力発電もあるじゃないか!」
 「しかし、実用までまだ100年はかかります。(略)……問題は機械ではなく、人間なのです」
 「技術ではなく、それを扱う人間の問題だというんですね」
 「そうです」
 「しかし、人間のやることだ! 必ずまた事故は起こるだろう!」
 「……ないとは言えません」
 「じゃあ、いったいどうすればいいんだ」
 「そう……。我々はどうしたらいいんでしょう? どうしたらいいんでしょうか?」

 この作品で描かれたような人為ミス、今回の震災のような自然災害、これらによってどんな被害が起こるかわからない原子力。
 人間が制御できない力は持つべきではない。


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江~姫たちの戦国~ 第35回「幻の関ヶ原」

2011年09月12日 | 大河ドラマ・時代劇
 今回は初(水川あさみ)の見せ場。

 大津城を明け渡せという三成の使者には「まずは私を斬りなされ!」
 高台院(大竹しのぶ)の使者には「これは夫の定めしこと。たとえ命絶えようと、私は夫に従います!」
 いくさ場では気丈。怖れおののく義姉・龍子(鈴木砂羽)に「城にこもるはこれで三度目にございまする」

 ただし、水川さんのファンの方には申し訳ないが、他の役者さんがやっていたら、今回、初はもっと立っていたはず。
 声量が乏しい、表情が同じ、体が動いていない。

 秀忠(向井理)ついては、私が抱いていた秀忠像を修正をすることになった。
 私のこの作品における<秀忠像>って、斜に構えていて頭脳明晰、やる時は決める男みたいな感じだった。
 向井さんがやるなら格好良くなくちゃ。
 だが、今回描かれたのは完全なへたれ、秀忠自身の言葉を借りれば「無様な大将」。
 実際の、史実の秀忠は、後者の「無様な大将」に近い人物なんだろうが、この「江」という作品では、ひとかどの人物として描いてほしかった気がする。
 それとも、今回のへたれぶり=<いくさに向かぬ者>が、転じて<平和を愛する者><有能な内政者>というイメージに変わっていき、人物として魅力的になるのだろうか?
 この辺の人物像のプランニングがどうもブレているような気がしてならない。
 最初からダメ男として描かれていたのなら、「功名が辻」の一豊のように、夫の足りない部分を妻が支える物語に出来たはず。

 もっとも、この人物像のプランニングのブレは、「江」という作品の登場人物すべてに言えることなのだが。
 まず主人公の江(上野樹里)がそうだし、信長、秀吉なんかにも言えた。極悪非道の悪人かと思えば、ある日いい人に変わっている。家康(北大路欣也)はそれの逆で、最近突然腹黒くなった。

 最後に江。
 この関ヶ原の情勢に「わからぬ。何もわからぬ」というせりふ。
 主人公がこれを言ってはおしまいでしょう。
 本当にいつも右往左往しているだけのキャラだ。
 ラストの薙刀の練習だっておかしい。
 心の中は、秀忠のことを思い、徳川と茶々のいる豊臣との争いに悩み、結構深刻な状況。
 薙刀の練習などしている場合ではない。あるいは、薙刀の練習をしているということは、茶々と豊臣のことなど、どうでもよくなってしまったのか?
 ここは、『周囲が薙刀の練習をしている中、ひとりうつむいて悩んでいる江』という芝居の方がいいのでは……?


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それでも、生きていく~馬乗りになって殴る

2011年09月09日 | その他ドラマ
 心の中の絡まった釣り糸を解いて行こうとする登場人物たち。
 洋貴(瑛太)と双葉(満島ひかり)。
 響子(大竹しのぶ)と隆美(風吹ジュン)。
 途中、釣り針が刺さったりして、つらい想いもしてきた。
 でも彼らは向き合うことで、何とか前に進めそうだ。過去を完全に精算するのは難しいかもしれないが、以前とは違う気持ちで未来に向かって歩めそうだ。
 洋貴と双葉は、何か嬉しいことがあって「やった-!」とふたりで叫ぶんじゃないかな。
 響子と隆美は、韓流ドラマのことで盛り上がるんじゃないかな。
 彼らには、立場は違うが、苦しみの中で15年間生きてきたという共通体験がある。同じ車に乗っていて、降りられないことを知っている。
 そして、その部分で共感し合える。

 怒りや憎しみよりは、笑いを。
 怒りや憎しみで疲れ切った顔よりは笑顔を。

 その方が生きていてずっと豊かだ。
 景色だって違って見える。

 一方、文哉(風間俊介)。
 彼の心は響かない。
 洋貴が朝日の話をして必死に思いを伝えても、「ご飯まだかな…?」
 冷え切って、閉じきった心。
 だから、洋貴は笑うしかない。哀しく笑うしかない。

 双葉も響かない文哉の心に挑む。
 蹴り倒して、馬乗りになって殴る、殴る。
 冷え切った心を響かせるには殴るしかないというように。
 これは「少しはわかれよ! 感じろよ!」という双葉の思いが詰まった愛情のパンチ。
 どんな言葉より、殴ることで伝わることがある。
 これらの行為によって、洋貴と双葉の想いは、今は無理でもジワジワとしみこんで、いずれは文哉の心に届くだろう。

 最後は洋貴の言葉。
 「今朝、朝日を見たんだ。また今日が始まるんだなって。楽しくてもつらくても、幸せでも虚しくても、生きることに価値があってもなくても今日が始まるんだなって」
 朝日のことは、第二話で双葉が文哉に宛てた手紙の中にも書かれていた。
 一日が終わって、その日一日が、つらくて虚しくて、生きている価値がないものだったと感じられたとしても、朝になればリセットされる。力をもらえる。
 もしかしたら、新しい一日は、楽しくて幸せで、生きることに価値があると思える一日になるかもしれない。


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AKB48~推しメン・柏木由紀さんのこと

2011年09月08日 | アイドル
 私の推しメン・柏木由紀さんは結構、不器用である。

 少し前の「なるほどハイスクール」(日本テレビ・木曜19時)で、川越シェフの料理を作るコーナーに出演したゆきりん、料理がまったく出来ない。というより、やったことがないらしい。
 「では柏木さん、お米を研いで下さい」と言われて、どうしていいかわからない様子。
 「お米を洗うんだよ」とピース綾部さんに教えられると、お米を両手のひらでゴシゴシと洗い出し、「それじゃ手を洗ってる!」とツッ込まれる。
 包丁で餃子を切る時は、両手で柄を持って人を刺すような切り方。
 海苔をちぎって入れる作業でも、雑でパラパラとお椀からこぼれ落ちる。

 ゆきりん、お米を研げないなんて、きっと大事に育てられたんでしょうね……。
 ひとりっ子だから、お母さんが全部やってくれた。

 こんなゆきりんに比べて、篠田麻里子さまは立派。
 ゆきりんと共にこのコーナーでアシスタントをしていたのだが、包丁さばきも料理の手際も実に見事。
 ファッションセンスも抜群だし、完全に女子力で、ゆきりんより上。

 しかし、私はこんなゆきりんを応援するのである!
 彼女が決して器用でないことは、さまざまな番組を見て既に知っている。
 麻里子さまくらいの完璧さだと何も言えないが、中途半端な器用さは逆につまらない。
 現にゆきりんは、このコーナーで不器用なダメっぷりを披露して、しっかり目立っていたし。
 コーナーのオチもとっていたし。そのオチはこう。
 出来上がったおいしい料理を試食して「こんな素晴らしい作品に携われて嬉しいです」とコメントしたゆきりんに対して、ロンブー淳さんは「お前じゃなかったらもっとスムーズに行ってたよ」とツッ込まれる。

 この料理のコーナーでは、こんなこともあった。
 「冷蔵庫から何か青い野菜を持って来て下さい」と言われて、冷蔵庫に行くゆきりん。
 しかし冷蔵庫が開かない。両開きの冷蔵庫の扉の隙間に、無理矢理手を入れて開けようとしているからだ。扉の下にある溝の所で引っ張れば、簡単に開くのに。

 このことが示すように、ゆきりんは結構、強情。
 自分がこうと決めたら、突き進む。
 扉の溝に手を入れて何が何でも開けようとする。「どうして開かないんだろう?」「どうすれば開くんだろう?」「自分のやり方は間違っていないか?」などと事態を客観的に見ることをしない。
 あくまで我が道を突き進む。
 ゆきりんは外面ソフトで、おっとりしているが、実は芯が強い。そういえば、徳光和夫さんも同じようなことを言っていた。

 というわけで、様々な場面で、いろいろな顔を見せてくれるAKBのメンバーたち。
 われわれファンは、こうやって彼女たちと物語を共有していく。


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龍~RON~ その2 よぐ見てけろ、これがオラの本当の姿!

2011年09月07日 | コミック・アニメ・特撮
 昨日に引き続き、「龍」(村上もとか・著 小学館・ビックコミック刊)。

 主人公の龍と共に魅力的なのが、ヒロインの田鶴ていである。
 ていは東北の貧農の娘。売られて、龍の押小路家で下女として働いている。
 手は荒れてゴワゴワ、故郷の方言も抜けない。
 だが、聡明で頭がいい。心もまっすぐだ。
 そんなていだから、龍の父親からも認められて、女学校に通わせてもらうことになった。
 そして女学校では成績優秀。素直で人に分け隔てなく接するので、学校でも人気者だ。

 コミックス6巻では、そんなていの所に学校の友達が訪ねてくるエピソードがある。
 突然訪れて、ていを驚かせてやろうと悪戯心でやって来るていの友人たち。
 そこで彼女たちがみたのは、ていが灰を被って、かまどの火を起こしている姿だった。
 学校での姿とは似ても似つかないていの姿に愕然とする女学生たち。
 見てはいけないていの姿を見てしまった気がして「ていちゃん、かんにん」と謝る。
 ここでの、ていのリアクションがいい。

 ていは大きな声で笑い出し、「まーんずはあ、おしよすごとー!(はずかしい)。ススで真っ黒だからよぐわからねかもしれないけど、オラの顔まっ赤だべ? もうちょっとかっこいい仕事をしてるとこ見て見て欲したっげか。んでも、みんな、よぐ見てけろ、これがオラの本当の姿! このくど(かまど)の灰かぶりさ、オラの大事な仕事だべす」と胸を張って言うのだ。

 何というさわやかなキャラクターだろう。
 ていは、自分の灰かぶりのかまど仕事を恥じていない。この仕事のおかげで自分は女学校に通うことが出来ているのだと胸を張る。
 友達の女学生たちもそんなていの姿に感動する。

 このていの姿は昨日書いた龍の姿とオーバーラップする。
 五条大橋で<乞食>をしている龍。
 たまたま通りかかったかつての恋人で幼なじみの小春に、龍は何ら恥じることなく「おめぐみを!」と言い、「ありがとうござい!」と心から言える。
 龍とていは、恋人どうしになるが、そうなるのも、この二人なら当然という気になる。

 龍やていの姿を見ていると、心が晴れやかになる。
 さわやかな風が、暗く心にたちこめた雲を吹き払ってくれるような感じ。
 龍はていは、さわやかで強い生き方の見本である。自分も彼らのように生きたいと思う。

 さて、このてい。
 後の物語では、才能を見出されて人気女優になる。
 龍とはメロドラマのようなすれ違いの恋愛ドラマを展開。

 「龍~RON~」は昭和を舞台にした見事な大河ドラマである。


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龍~RON~ 村上もとか・著 「すべてを捨てて生きれば、何とかいけるもんや」

2011年09月06日 | コミック・アニメ・特撮
 「龍」(村上もとか・著 小学館・ビックコミック刊)を読んでいる。

 主人公の押小路龍は何とさわやかで気持ちのいい青年だろう。
 コミックス6巻ではこんなふうに描かれる。
 使用人・田鶴ていとの恋愛を貫くために押小路家を出て、自活していくことになる龍。

 龍の押小路家は京都の大財閥で、実は龍はお坊ちゃま。
 なかなか職が見つからず、詐欺師にダマされて有り金を全部持っていかれたりする。
 だが、ここからがすごい。
 詐欺師にダマされて龍はこう叫ぶ。
 「やられたあ! あのおっちゃん、たいしたもんやでーー!」
 苦労知らずのお坊ちゃんのリアクションとも言えるが、普通の人間なら落ち込んだり、怒ったりする所、龍は見事にダマした詐欺師を賞賛する。

 そして、さらに次が龍のすごい所。
 龍は、五条大橋で<乞食>になる。
 だが、乞食になっても落ち込まない。
 かつての恋人で幼なじみの小春に出会っても、何ら恥じることなく「おめぐみを!」「ありがとうござい!」と心から言える。
 小春もなかなか粋で、そんな龍に財布をまるごと恵み、「面白いなぁ、龍はんは」とクスリと笑う。

 龍はだんだん乞食が板についてくる。
 乞食仲間の長老格の老人(かつては幕末の志士だったらしい)を「五条のおっちゃん」と言って慕い、橋の上で牛若丸の芸事をして金を稼ぐ。
 そして、こんな心境になる。
 「すべてを捨てて生きれば、何とかいけるもんや」
 龍の叔父も橋の上で乞食をしている龍を見て、「乞食なんかやっていないで俺の仕事をやれ」と言って助け船を出す。
 だが、龍は叔父の申し出を断る。
 「オレ、今この仕事が楽しいんですわ。銭もぼちぼち貯まるし、相棒(五条のおっちゃん)はオレの人生の先生や」
 龍は自分の置かれている現状を嘆いたり、恨んだりしない。
 何も持っていないこと、持っていたものが失われることはつらいが、こだわらない。
 こだわってウジウジするよりは現在を見る。
 現在を積極的に楽しんで、何かを学んでいく。
 人間が大きいと言えば大きいし、アホと言えばアホ。
 こんな龍を叔父はこう評す。
 「アホはアホなりに、少しは根性が座ってきたか」
 先程の元カノ・小春のリアクションもそうだが、この叔父と言い、龍の脇役たちも実に魅力的だ。

 さて、こんなさわやかな青年・龍。
 彼はこれから昭和の怪物・北一輝に出会ったり、様々な形で、戦前の昭和という時代と関わっていく。
 そして、激動・苦境に遭いながらも龍はそのさわやかさを失わない。

 自分が苦境にある時に何度も読みたい作品だ。
 「すべてを捨てて生きれば、何とかいけるもんや」と龍が語ったとおり、お金も地位も持っているものすべてを捨てた方が、実は自由に生きられるということを教えてくれる。
 龍のようにさわやかになれれば、人生を力強く生きていくことが出来るだろう。


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江~姫たちの戦国~ 第33回「姫の十字架」

2011年09月05日 | 大河ドラマ・時代劇
 「そなたを愛おしく思う」
 「それはいけませぬ。かなり気が弱っているご様子でございますね」

 江(上野樹里)と秀忠(向井理)がやっと夫婦、あるいは同志になった感じですね。
 ふたりを結びつけているのは<いくさを嫌う気持ち><覚悟をもって流れに従うという生き方><織田信長>。
 <天下布武>の印は、「指輪物語」などのファンタジーでいう王の印みたいなもの? これを持った者が天下を取れるみたいな。前夫・秀勝はこれを持っていなかったからいくさで死に、天下人にもなれなかった。歴史のIFを考えるのはなかなか楽しいが、秀勝が生きていたら秀吉亡き後の豊臣家を仕切って、豊臣政権は続いていたかもしれない。

 それにしても、三成(萩原聖人)や家康(北大路欣也)のような存在は、平和に普通の生活を送りたいと思っている人間にとっては迷惑ですね。
 今回、三成が枯れ葉の中に熱を持った木切れを入れて、火を起こすシーンがあったが、世の中にはこうやって火を起こさずにはいられない連中がいる。
 関ヶ原。この戦いで三成が正しいか家康が正しいかは二の次。やるなら二人で勝手にやってくれ。他人を巻き込むなと言いたくなる。
 きっと餅を焼いている秀忠も同じ心境だろう。
 こういうキャラクターはいいですね。世間の争いごとを距離をおいて、「やれやれ、困ったものだ」と見ている。「豊臣だ、徳川だ、と争っているがそんなことどうでもいいじゃないか」というスタンス。
 なかなかカッコイイ。
 こういう人間が多数派になれば、争いごとや戦争は起こらないんでしょうけど。
 一方、江のように「いくさは嫌です」とストレートに主張するキャラクターはイマイチ。ストレート過ぎて暑苦しいし、実はそのメッセージが見ている者に伝わりにくい。「そんな感情論ばかり言うな」「戦争は問題解決の手段のひとつなのだから」とも反論したくなってしまう。

 まあ、秀忠や江のような世代が出てきたのは歴史の必然なんでしょうね。
 彼らが出てきて主流派になったから、世の中は平和になった。

 この作品、本当は江と秀忠が、いかにして後の平和な徳川三百年の礎(いしずえ)を作ったかを描くべきだったと思うのですが、それを描くにはどうも残りの枚数が少ないようです。そして、それは「天地人」でも同じだった。
 大河ドラマに<平和な時代を作った内政家の物語>があってもいいと思うのですが、どうでしょう、NHKさん?



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