★「私が誰かと繋いだ手のその先で、誰かがあなたの手を繋ぎますように」
「つないだ手に込めた思いが届きますように」
「朝日を見てまぶしくて遠山さんの今日一日を思います」
「こうして朝日を見てると、どうしてか深見さんも同じ朝日を見てる気がします。いつもあなたを思っています」
洋貴(瑛太)と双葉(満島ひかり)はしっかりと繋がっているんですね。
<加害者の妹であること><被害者の娘・悠里>という現実を前に、いっしょにいることは出来なかったふたり。
でも、ふたりは繋がっている。
誰かと手を繋げば、そのことを思い出すし、朝日を見れば、洋貴は双葉を、双葉は洋貴を感じることが出来る。
もちろん、ずっといっしょにいたいと思っていた人がいない喪失感はある。
洋貴の母・響子(大竹しのぶ)が時々泣くように、ふたりは時々喪失感を感じるだろう。
時々悲しくて、時々嬉しくて、時々満たされて、時々寂しくて、そんなことを繰り返しながら、人は生きていく。
リアルな作品だ。
ここで予定調和に逃げるのなら、洋貴と双葉のハッピーエンドで終わるだろう。
だが、この作品はあくまで<生きることの実相>を描く。
時々悲しくて、時々嬉しくて、時々満たされて、時々寂しい生きることの現実を描く。
洋貴と双葉が朝日を見て繋がっていると感じるというのは、見方に拠っては感傷であり、ロマンティシズムと言えなくもないが、ふたりが繋がっていることを信じたい。
ふたりはそれだけ濃密な時間を過ごしてきたのだから。
★「悲しみの向こう側へ進め」
登場人物たちは、未来に向かって進もうとしている。
過去の呪縛から解放されたわけではないが、過去を直視し背負いながら生きていこうとしている。
それは決して、過去から逃げたり、過去を恨んだり憎んだりする生き方ではない。
背負った荷物は以前よりも重いかもしれないが、力強く着実な歩みだ。
それを駿輔(時任三郎)が象徴している。
それは文哉(風間俊介)も同じ。
母親の写真を見て彼は泣いた。
<泣く>という感情を持てたことは、文哉が<人間>を取り戻した第一歩でもある。
これで彼は人の痛みを感じることが出来る。
★最後にもう一度、人の繋がりについて
洋貴と双葉は朝日を見たり、木に手紙を結びつけたりすることで繋がりを感じることが出来るようですが、人の繋がりってこういうことかもしれませんね。
たとえば父・駿輔の字と双葉の字が似ていること。真岐(佐藤江梨子)の心臓の音を娘の悠里が聞くこと。
そんなことで繋がりを確認できる。
それは「私が誰かと繋いだ手のその先で、誰かがあなたの手を繋いでいる」と信じることでも。
目を懲らして周囲を見ていけば、人は決して孤独ではないのでしょうね。
※追記
満島ひかりさんについては以前も書いたが、すごい女優さんである。
今回は「何かモテてるみたいで嬉しいな」というせりふにドキリとした。
若手で、これほどひとつのせりふや動作にインパクトがある人はいない。
おそらく脚本家さんは、五月(倉科カナ)や紗歩(安藤サクラ)も描き込む形で配置したのだろうが、満島さんの双葉が良すぎて、彼女らが入り込む余地がなくなってしまったのだろう。今回の洋貴と五月のやりとりも編集の段階でバッサリ切られた感じが…。
「つないだ手に込めた思いが届きますように」
「朝日を見てまぶしくて遠山さんの今日一日を思います」
「こうして朝日を見てると、どうしてか深見さんも同じ朝日を見てる気がします。いつもあなたを思っています」
洋貴(瑛太)と双葉(満島ひかり)はしっかりと繋がっているんですね。
<加害者の妹であること><被害者の娘・悠里>という現実を前に、いっしょにいることは出来なかったふたり。
でも、ふたりは繋がっている。
誰かと手を繋げば、そのことを思い出すし、朝日を見れば、洋貴は双葉を、双葉は洋貴を感じることが出来る。
もちろん、ずっといっしょにいたいと思っていた人がいない喪失感はある。
洋貴の母・響子(大竹しのぶ)が時々泣くように、ふたりは時々喪失感を感じるだろう。
時々悲しくて、時々嬉しくて、時々満たされて、時々寂しくて、そんなことを繰り返しながら、人は生きていく。
リアルな作品だ。
ここで予定調和に逃げるのなら、洋貴と双葉のハッピーエンドで終わるだろう。
だが、この作品はあくまで<生きることの実相>を描く。
時々悲しくて、時々嬉しくて、時々満たされて、時々寂しい生きることの現実を描く。
洋貴と双葉が朝日を見て繋がっていると感じるというのは、見方に拠っては感傷であり、ロマンティシズムと言えなくもないが、ふたりが繋がっていることを信じたい。
ふたりはそれだけ濃密な時間を過ごしてきたのだから。
★「悲しみの向こう側へ進め」
登場人物たちは、未来に向かって進もうとしている。
過去の呪縛から解放されたわけではないが、過去を直視し背負いながら生きていこうとしている。
それは決して、過去から逃げたり、過去を恨んだり憎んだりする生き方ではない。
背負った荷物は以前よりも重いかもしれないが、力強く着実な歩みだ。
それを駿輔(時任三郎)が象徴している。
それは文哉(風間俊介)も同じ。
母親の写真を見て彼は泣いた。
<泣く>という感情を持てたことは、文哉が<人間>を取り戻した第一歩でもある。
これで彼は人の痛みを感じることが出来る。
★最後にもう一度、人の繋がりについて
洋貴と双葉は朝日を見たり、木に手紙を結びつけたりすることで繋がりを感じることが出来るようですが、人の繋がりってこういうことかもしれませんね。
たとえば父・駿輔の字と双葉の字が似ていること。真岐(佐藤江梨子)の心臓の音を娘の悠里が聞くこと。
そんなことで繋がりを確認できる。
それは「私が誰かと繋いだ手のその先で、誰かがあなたの手を繋いでいる」と信じることでも。
目を懲らして周囲を見ていけば、人は決して孤独ではないのでしょうね。
※追記
満島ひかりさんについては以前も書いたが、すごい女優さんである。
今回は「何かモテてるみたいで嬉しいな」というせりふにドキリとした。
若手で、これほどひとつのせりふや動作にインパクトがある人はいない。
おそらく脚本家さんは、五月(倉科カナ)や紗歩(安藤サクラ)も描き込む形で配置したのだろうが、満島さんの双葉が良すぎて、彼女らが入り込む余地がなくなってしまったのだろう。今回の洋貴と五月のやりとりも編集の段階でバッサリ切られた感じが…。