11月3日 水曜日 晴れ
今日も良いお天気でした。
朝から洗濯バーさん顔負け、と言われそうに大洗濯をしてしまいました。
汚れているわけでは無いのですが、この良いお天気にベットカバーを洗いたくなったのです。
2階の以前わたしとあるじが使っていましたベットを、今月半ばにやって来られる友人が使います。
シーツの掛け替えをするつもりでしたが、何となくベットカバーも洗いたくなってしまったのです。
それからついでに、ついでにといろいろ引っ張り出して、結果3度も洗濯機を廻してしまいました。
午後から兄たちと妹の家に行くことになっていましたので、ベットメイキングは出来ませんでしたが、
後日、部屋を綺麗にお掃除をしてからの方が良いとも思っていましたので、無理をしないことにしたのです。
弟が迎えに来てくれると言いますので、ギリギリまで家事仕事が出来ました。
妹の家から帰る途中、弟の車の助手席から携帯カメラでパチパチ撮して楽しんでいました。
シャッターが落ちる瞬間に車が入ってきたり、弟の車が揺れてピンぼけになったり、
思い通りの写真はなかなか写せませんでした。その中でまぁまぁの物だけアップしました。
湾岸に浮島から入って走りました。車は空いていましたね。
海の色もですが雲がとても素敵でした。夕方、くれる寸前の景色は本当に素晴らしいですね。
助手席で勝手なことを言いながらシャッターを押しながら、楽しんでいました。
独りで暮れていく空を眺めるのは淋しくて嫌なのですが、勝手ですね。
雲の様子が素晴らしかったです。
飛行機に乗っていればこの黒い雲の上に居るのかと思うと不思議な感じでした。
妹のお姑さんが亡くなり、お骨で帰って来ていますので納骨前に逢いに行ってきたのです。
それに骨折で入院していました妹のご主人も退院してきていますので、お見舞いも兼ねていました。
久しぶりに大阪在住の末の弟を除いて、全員集まれたのです。本当に久しぶりのことです。
もうお互い歳なので、何時どうなるか解らないから、来年早い内に食事会をしましょうと提案しました。
亡くなった父の意向で、兄と2人の弟も全員を父の会社で働く事になったのです。
その為でしょうね、兄弟で食事をしたいとも思わないようなのです。
もしそれぞれが違う職業に就き、全く違う環境で生活していましたら、仲良く楽しめたと思うのです。
これは明らかに父のエゴの為の悲劇、とわたしは以前からそう思っていました。
わたしもその中に入っていました。父が社長を辞め暫くしてからわたしも父の会社を辞めました。
父の会社では、わたしは労務のことから資金繰りまでわたしの仕事になっていました。
営業会議、資金繰り会議はわたしが仕切っているようで、主婦の仕事としてはハードでしたね。
そのお陰で経理が出来るようになりました。そして今、一瓶窯の仕事をしていられるのです。
息子3人、娘2人の5人の子供を、ずっと側に置いていられた両親は本当に幸せだったと思います。
わたしたち兄弟にとって、それが幸せだったかどうか・・・、疑問ですね。
今日も良いお天気でした。
朝から洗濯バーさん顔負け、と言われそうに大洗濯をしてしまいました。
汚れているわけでは無いのですが、この良いお天気にベットカバーを洗いたくなったのです。
2階の以前わたしとあるじが使っていましたベットを、今月半ばにやって来られる友人が使います。
シーツの掛け替えをするつもりでしたが、何となくベットカバーも洗いたくなってしまったのです。
それからついでに、ついでにといろいろ引っ張り出して、結果3度も洗濯機を廻してしまいました。
午後から兄たちと妹の家に行くことになっていましたので、ベットメイキングは出来ませんでしたが、
後日、部屋を綺麗にお掃除をしてからの方が良いとも思っていましたので、無理をしないことにしたのです。
弟が迎えに来てくれると言いますので、ギリギリまで家事仕事が出来ました。
妹の家から帰る途中、弟の車の助手席から携帯カメラでパチパチ撮して楽しんでいました。
シャッターが落ちる瞬間に車が入ってきたり、弟の車が揺れてピンぼけになったり、
思い通りの写真はなかなか写せませんでした。その中でまぁまぁの物だけアップしました。
湾岸に浮島から入って走りました。車は空いていましたね。
海の色もですが雲がとても素敵でした。夕方、くれる寸前の景色は本当に素晴らしいですね。
助手席で勝手なことを言いながらシャッターを押しながら、楽しんでいました。
独りで暮れていく空を眺めるのは淋しくて嫌なのですが、勝手ですね。
雲の様子が素晴らしかったです。
飛行機に乗っていればこの黒い雲の上に居るのかと思うと不思議な感じでした。
妹のお姑さんが亡くなり、お骨で帰って来ていますので納骨前に逢いに行ってきたのです。
それに骨折で入院していました妹のご主人も退院してきていますので、お見舞いも兼ねていました。
久しぶりに大阪在住の末の弟を除いて、全員集まれたのです。本当に久しぶりのことです。
もうお互い歳なので、何時どうなるか解らないから、来年早い内に食事会をしましょうと提案しました。
亡くなった父の意向で、兄と2人の弟も全員を父の会社で働く事になったのです。
その為でしょうね、兄弟で食事をしたいとも思わないようなのです。
もしそれぞれが違う職業に就き、全く違う環境で生活していましたら、仲良く楽しめたと思うのです。
これは明らかに父のエゴの為の悲劇、とわたしは以前からそう思っていました。
わたしもその中に入っていました。父が社長を辞め暫くしてからわたしも父の会社を辞めました。
父の会社では、わたしは労務のことから資金繰りまでわたしの仕事になっていました。
営業会議、資金繰り会議はわたしが仕切っているようで、主婦の仕事としてはハードでしたね。
そのお陰で経理が出来るようになりました。そして今、一瓶窯の仕事をしていられるのです。
息子3人、娘2人の5人の子供を、ずっと側に置いていられた両親は本当に幸せだったと思います。
わたしたち兄弟にとって、それが幸せだったかどうか・・・、疑問ですね。