フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

嬉しい想いで話に感謝です。

2012-01-08 19:07:57 | 日記
1月8日 日曜日 晴れ

急に思い立って、美容院へカットの予約をし行ってきました。
明日が成人式と言うこともあって、当時の成人式とこのごろの違いなど話されていました。
成人式の支度を予約をする人がとても少なくなってしまったそうです。寂しそうでした。

美容院でカットをして頂きながら、美容師さんがフォンテーヌの思い出話をなさったので、
わたしも思いだしてしまいました。フォンテーヌを営業している頃は3連休は嫌でしたね。
お客の流れが全く読めず、特に中日は難しかったです。お天気の影響もかなり有りました。

それでも、20年間も焼き菓子と手作りパンの店「フォンテーヌ」を続けていたのです。
あるじもわたしもパンなど作ったことのない全くの素人でしたし、
のんびり自分のペースで動いていましたあるじには、当初は大変だったと思います。

サラリーマンの時は常に午前様でしたのに、脱サラしてから午前4時には行動開始。
以前の就寝時間に近かったのです。手作りパンの店ですから朝から戦争でした。
あっという間に体重が7,8キロ減になりました。げっそり痩せた状態は誰にも解りましたね。

当時のわたしは病人として生活をするようにと、医師から通告されていました。
でも痛いわけではなく動こうと思えば動けましたから、わたしも自然に店に出ていました。
全く台所仕事が出来ないあるじでは店の仕事すべてをまかないきれなかったのです。

わたしたちが商売の経験が全くなかったので、20年も続けられたのかもしれない・・・。
このごろふとそんな風に思うことが有ります。
わたしたちが店を止めてから、店子さんになって下さった人たちは長くて1年間でした。

パンの職人さんが店を始めても続かなかったのです。
「全くの素人のわたしたちでも20年間頑張ったのに・・・」とよく言ったものです。
体力的にも精神的にもとっても大変でしたが、思い出の中では良いこと楽しい事ばかりです。

父が亡くなり母がたびたび我が家にやって来ました。
もし、そういうことが全くなければもしかしたらずっと店を続けていたかもしれません。
「わたしを店のスタッフから外してほしい」と頼んだことで、クローズすることになったのです。

でもクローズしたお陰であるじは、富士山に登ったり中国のボゴダへトレッキングに行ったり、
たった2年間でしたが思いっきり楽しんでいたような気がします。
「これからは2人で楽しもう」と言っていたのですが、全く実現できずに逝ってしまいました。

カットをして頂きながら、美容師さんの「あのロールケーキやアップルパイが食べたい」とか、
「あのチーズ一杯のチーズクッペを食べたい」などと言いながら涙ぐんでおられました。
新年早々、閉店して7年も経つお店を思い出して下さいました。感謝です。
コメント
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