格差階級社会をなくそう

平和な人権が尊重される社会を目指し、マスゴミに替わって不正、腐敗した社会を追求したい。

現在問題となっている感染症の診断において、PCR法が標準的な検査法として用いられています

2020-08-22 00:44:27 | デマ・詐欺・嘘のコロナ騒動
現在問題となっている感染症の診断において、PCR法が標準的な検査法として用いられています。高感度、かつ高い特異性をもったPCR法は、病原体ウイルス遺伝子を検出する方法として、一見すると問題がないように思えます。しかし、気づきにくいところで大きな問題を抱えているのです。それは、今回のPCR法は、あくまで緊急に中国発表の論文に類似するウイルスの有無を調べる手段として、クルーズ船内の患者を調べる目的で開発されたものであるということです。  感染症における検査の目的は、患者の病原体を特異的に検出することです。一つ目の問題点として、今回のPCRで検出しようとしているウイルスは、本当に病原体なのかという検証が出来ていないことがあります。2つ目の問題点として、健常者におけるウイルスの有無を確認できていないことです。  培養できる病原体については、交差反応性の有無を調べることは比較的容易です。遺伝子配列からチェックしたうえで、交差反応性が出ないようにプライマー遺伝子の配列を選びます。そのうえで、一般的な病原体との交差反応性を確認するわけです。これについては、PCR検査マニュアルにも記載されています。  しかし、ウイルスが本当に病原体であるのかについては、コッホの4原則を満たすことを確認する必要があります。これには、いろいろな問題点があります。ウイルスの純化が出来るかということがあります。人間と同様の感受性のある動物モデルを探すことも必要です。しかし、それ以前の問題として、ウイルス数の顕著な増加と症状の発現が一致して見られるのかという点です。  健常者において、類似するウイルスが存在しないかを調べることは、そう簡単なことではありません。これまでは、健常者の咽頭スワッブを採集する機会はあまりありませんでした。いくつかの地域で、いろいろな年齢層の人について調べる必要があります。また、他の類似した疾患についても、サンプルを集める必要があります。これまで、インフル抗原検査の開発をやっていた会社であれば、類似する疾患の咽頭スワッブの標本を持っている可能性があります。米国のPCRキットで非特異反応の記載があるのは、このような事情がある可能性があります。しかし、健常者については、地域差がある可能性があるので、日本においても、調べる必要があったわけです。しかし、クルーズ船の事件の時は、そのような時間的余裕はありませんでした。  政治的な動きもあり、PCRキットの開発に必要な標準化をすることなく、症状のない人にまでPCR検査を拡大することになりました。その結果、多くの健常者にPCR陽性が見られるようになったわけです。本来、このようなレベルのPCR陽性は、本当は陰性と判定するように、陽性限界値を引くべきだったのです。  抗体検査においても、すべての人に抗体は存在します。病原体の増殖と共に抗体価が上昇するので、既往歴のある人は抗体価が高いのです。微量な抗体まで含めると、すべての人に最初から抗体は存在します。抗体価はあくまで相対的な値なので、陽性限界値をどこに引くかの検討を必要とするわけです。  このような理由で、現在のPCR検査は、一体何を見ているのか、何を目指しているのかわからない状態になっていると考えられるのです。PCR検査の意義を問い直すべきだと思います。



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マスクは奴隷の象徴、目覚めよ日本国民

2020-08-20 18:20:19 | デマ・詐欺・嘘のコロナ騒動
長い間、更新ができなかったのは、新型コロナの茶番があったので、怒り心頭で仲間とともに愛知県庁へ文句を言いに行きました。それをユウチューブで発信したところ仲間が増えて5回目のクラスターデモ・集会に60人が集まり大いに盛り上がり、次は8月30日に街宣と懇親会が行われます。何としてもこの国・自治体・メディアの壮大なデマ・詐欺を暴露して日本を正常な国にするためにネットだけでなくリアルの世界で暗黒の地獄社会に行かないように行動したいと思います。
 今回の騒動は、感染症という近代医学の祖とも言うべき疾患の基本が問われています。科学を取り入れた近代医学のレベルが問われているということと大差がないかもしれません。一体感染症とは何なのか、病原体とは何なのかということを科学的に明らかにしたのは、ドイツのロベルト・コッホです。彼が感染症の病原体同定の基本的な考え方として、コッホの4原則という法則を残しています。これについて、科学とは何かという考え方に当てはめて考えてみます。コッホの4原則の中で、1番目の項目は、自然観察に相当しますl。2-4番目は、実験に相当します。自然観察により仮説を立てて、これが病原体候補であるという仮説を、実証実験により確かめるわけです。コッホの4原則を満たすことを確認することによって、科学とは何かというサイクルが完結するわけです。このように、コッホの4原則は、感染症の考え方に科学の視点を取り入れて、その具体的な手順を示したものと言えるわけです。  コッホの4原則の第一項である「一定の患者に一定の微生物が存在する」というのはウイルスの増殖と関係して症状が現れるということに相当します。これは、自然観察です。2-4番目は、ウイルスを用いた感染実験です。病原体がこのウイルスであるという仮説のもとに、実際に実験によって確かめるわけです。今回の感染症に関しては、コッホの4原則の第一項「一定の患者に一定の微生物が存在する」すなわち、ウイルスの増殖と関係して症状が現れるという事象も、明らかな形で証明した論文が見当たりません。2-4番目に関しては、動物実験で同じウイルスが動物から確認できたというものが見当たりません。このように今回の騒動で問題となっているウイルスは、コッホ原則の4つがすべてを満たすというレベルでなく、第一項ですら満足に満たす科学論文が存在しないのです。  このようなことから、少なくとも現時点では、このウイルスが病原体になるということが明らかにされていないと考えられるのです。無症状者が感染源になるという論文の問題点が、このことからも指摘できるわけです。科学とは何かというスタートラインである自然観察が、症状の発現と病原体の増殖が関連するということに注目するべきです。これが明らかにされない以上、無症状者が感染源になるという話は成立しないのです。

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