「朝まで生テレビ」田原総一郎氏の偏向
10月24日深夜のテレビ朝日番組『朝まで生テレビ』が、「世界金融危機とニッポン」をテーマに設定して放映された。司会の田原総一郎氏は、「こんな時に総選挙をやっている場合ではない」と強引に論議を誘導した。総選挙から逃げ回る麻生政権の意向を受けての対応だと考えられる。
田原氏は小泉・竹中政権のテレビ広報部長とも言える存在だった。世界の流れが変化して、小泉・竹中路線が全面否定され始めている。当然の変化であり、総括が必要である。田原氏も当然、総括の対象になる。
田原氏は番組内で、小泉竹中路線から遠ざかりたいとの意向を鮮明に示していた。風向きの変化を認識し、ポジションを移動しようとの必死の思いが伝わってきたが、かたはらいたい姿だった。世の中はそこまで甘くない。市場原理主義=新自由主義の終焉とともに、田原氏が画面から消える日も遠くないと思う。
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なお、9月下旬以降、これまでに多くの皆様から、本ブログ記事の紹介、ならびにありがたいお言葉を賜っておりますが、紹介できておりません。改めて、紹介させていただきます。
今回の金融危機はこれまでの危機とは属性が異なる。米国の評論家チャールズ・モリス氏は著書『なぜ、アメリカ経済は崩壊に向かうのか』で、米国の金融危機を生み出した原因が、1990年代の日本に見られた「資産バブル」ではなく、「信用バブル」であるとの見解を示している。
日本の金融危機は資産価格がピークから5分の1、10分の1に暴落したことによって発生した。資産取得のために提供された融資資金が資産価格暴落で、不良債権の塊に変質してしまったのだ。200兆円の融資資金のうち、150兆円程度が損失になった。1990年から2005年にかけて、この損失が処理された。問題解決に15年の時間を要した。
これまでも記述してきたように、米国の不動産価格下落は現状では、ピークから2割下落しただけに過ぎない。サブプライムローン残高1.3兆ドル(130兆円)の2割が損失になったとしても、その金額は26兆円にすぎない。
米国政策当局はすでに1兆ドル(100兆円)以上の公的資金投入の方針を表明している。しかし、金融市場の動揺はまったく沈静化していない。その理由は、米国の金融危機が「資産価格下落による損失」によって生じたのではなく、幾何級数的に拡大した「デリバティブ金融バブルの破裂」によって生じているからなのだ。
「カジノ経済」の必然的な帰結が今回の金融危機なのである。サブプライムローンに関係するデリバティブ金融の想定元本は6000兆円存在すると見られている。5%のロスが生じるとしても、損失額は300兆円に達する。現在の各国政府の対応では、問題処理終結が見えてこない。
しかも、根源的な背景である不動産価格下落は、まだ4合目近辺にしか達していない。2010年にかけて、不動産価格下落が進行すると予想されている。不動産金融不況はこれから到来するのだ。安易な見通しが成り立つ状況ではない。
「朝まで生テレビ」で、看過できない問題が三つあった。
第一は、竹中金融行政に対する正確な論評が示されなかったことだ。森永卓郎氏がひとつの正論を懸命に主張していたが、大村秀章氏や伊藤達也氏などが大声を出して森永氏の発言を遮るなどしたため、十分な説明がなされなかった。
第二は、世界金融危機に対する日本政府の資金支援についての論争が不完全だったことだ。
第三は、金融危機と政治との関わりを捉える歴史的視点が欠落するなかで、総選挙選挙先送り論を強引に押し付ける田原氏を一刀両断する発言が示されなかったことだ。
2003年から2006年にかけて、不良債権問題が縮小したのは、資産価格が上昇したからだ。資産価格が下落する局面では、金融機関の損失が必ず表面化する。金融機関は苦境に追い込まれるが、損失を処理してしまえば、その後は楽になる。資産価格が上昇すると利益が発生し、状況は劇的に改善する。
2003年にかけて、日本の資産価格が暴落した。小泉・竹中経済政策が景気悪化推進政策を採用し、大銀行破たんを容認すると受け止められる言動を示したからだ。日本国民にとって「百害あって一利なし」の政策が実行された。
小泉・竹中政権が日本国民にとって「百害あって一利なし」の政策を実行した理由は、その政策が日本国民には「百害あって一利なし」だったが、外国資本にとって「百利あって一害なし」のものだったからだ。
「百害あって一利なし」の第二次大戦後最悪の経済状況がもたらされた。どれだけ多くの罪なき国民が失業・倒産・経済苦自殺の無間(むげん)地獄に送り込まれただろうか。日本経済は2000年にようやく再浮上しかけた。経済成長を持続させれば、金融問題は解決に向かう態勢が整っていた。
小泉・竹中経済政策は回復途上の日本経済を、意図的に大不況に誘導した。その結果、日本経済は金融恐慌の淵に差しかかった。ところが、最終局面で、金融行政における「自己責任原則」が放棄され、りそな銀行が2兆円の公的資金で救済された。「不正と欺瞞」の金融行政が実行された。
税金で大銀行が救済されたことから、資産価格は急激な上昇に転じた。当然の結果である。その後の資産価格上昇に伴って金融機関の不良債権が急減したのも当然だ。1990年から2003年までの13年間に、金融機関は超低金利政策によって、巨大な実質補助金を得ていた。年間7兆円の業務純益が13年蓄積されれば90兆円に達する。預金者である国民の犠牲によって得られた補助金だ。
超低金利政策がもたらした金融機関への補助金と、資産価格上昇によって不良債権問題は急激に縮小した。2000年の景気回復を政府が維持していたなら、金融問題ははるかに軽微で、早期に解決していたはずである。小泉・竹中政権は、日本国民を地獄に突き落とし、「不正と欺瞞」の金融行政に手を染めた。小泉・竹中経済政策は完全に破綻した。この真実・真相・深層が正しく知られなければならない。
2003年から2005年にかけての不良債権縮小は政策の成果によってもたらされたものではない。地獄を見たから、荒れ地が草原のように目に映っただけである。最大の問題は、これらの政策が米国資本への利益供与を目的に実行された疑いが濃厚なことだ。詳細は拙著『知られざる真実-勾留地にて-』をご高覧賜りたいが、「売国政策」の実態が、必ず明らかにされなければならない。
2002年10月から2004年3月にかけて、小泉政権は47兆円のドル買い・円売り介入を実施した。外国資本が日本資産を低いコストで買い占めることを日本政府が支援したと考えられる。また、47兆円の資金が日本資産買占めの資金として提供されたと考えられる。
これが第二の問題だ。今回の金融危機に際して、日本の外貨準備を活用するとの話が浮上している。すでに、中川昭一財務相兼金融相は10月11日のIMFC(国際通貨金融委員会)で、具体的提案を示している。この提案は撤回されなければならない。
この問題を国会は全面的に取り上げなければならない。「売国政策」の核心である。日本が100兆円の外貨準備を保有する理由は皆無だ。野晒しの100兆円外貨準備は、自宅前の路上になけなしの全財産をむき出しで放置するようなものだ。
円ドルレートは1ドル=90円の円高を記録した。自民党の鶴保庸介参議院議員が予算委員会で質問したため、1ドル=99円で外国為替資金特別会計の積立金がゼロになることが明らかにされた。1ドル=90円になれば、9兆円の損失が生まれる。
1.8兆円の補正予算を成立し、さらに5兆円の補正予算が検討されているが、これらの予算規模を吹き飛ばしてしまう損失が生まれつつある。原因は、100兆円もの外貨準備を野晒しにしていたことにある。
野党は政府の責任を徹底的に追及しなければならない。外貨準備を100兆円にまで拡大させた責任、ドルが上昇した局面で外貨準備を減少させなかった責任、そして、2002年から2004年にかけての異常なドル買い介入の本当の理由が明らかにされなければならない。
「朝まで生テレビ」では、自民党の大村秀章氏と伊藤達也氏、さらに公明党の高木陽介氏が、米国への資金提供に賛成意見を述べていた。10月19日付記事「外貨準備を監視する法律を整備せよ」に記述したように、竹中平蔵氏、渡辺喜美氏、小池百合子氏、石破茂氏、高橋洋一氏、中川秀直氏などが、米国への資金提供を推進している。
日本は米国の植民地ではない。対米隷属派を政治の中枢から排除しなければならない。大村秀章氏は2003年から2004年にかけての35兆円のドル買い介入をフリップに示して、米国への資金提供を提案していた。また、執拗に円高回避の必要性を訴えていた。輸出製造業と深い関係があるのだろうか。
民主党の大塚耕平議員は、米国に対して、円建て米国国債発行を要求するべきだと発言したが、当然の提案だ。より重要なことは、100兆円の外貨準備を早急に圧縮することだ。外貨準備は20-30兆円程度保持していれば十分である。
第三は、日本の政治についての論議に、今回の金融危機が「市場原理主義の終焉」、「新自由主義の終焉」を意味しているとの視点が欠落していたことだ。上述したチャールズ・モリス氏は著書のなかで、米国の政治思潮が25-30年周期で転換する傾向があることを指摘した政治学者アーサー・シュレジンジャー氏の主張を紹介している。
1980年代のレーガン政権誕生以来、新自由主義が世界経済を覆っていった。ミルトン・フリードマン氏が『選択の自由』を発表したのも1980年前後である。これから約30年の時間が経過し、ひとつの時代が終焉しつつある。
「市場原理主義」が蔓延し、金融市場の「カジノ化」が際限なく進行した。その必然の帰結が今回の金融危機である。「市場原理主義」がもたらした「弱肉強食社会」において下層に追い込まれた多数の国民は、富と所得を独占し続けた特権富裕層の象徴である「ウォール・ストリート族」を救済するための公的資金投入に、激しく反対するだろう。この「階級対立」が問題解決をより困難にする。
日本の総選挙は、時代の大転換点に位置するなかで、日本国民が新しい時代に対応する政権を選択する選挙である。新しい時代に対応し、根本的な体制転換を含めて、金融危機に対応するためには、総選挙が不可欠なのだ。
米国も11月4日に大統領選挙を実施する。新しい時代に対して、新しい政治体制が構築されることは、望ましいことである。田原総一郎氏が、不自然かつ強引に、論議を総選挙先送りに誘導するのは、麻生政権からの特命を帯びているようにしか映らない。
10月26日の『サンデープロジェクト』で、田原氏が同様の論議を誘導するなら、「政治的中立」を定める放送法にも抵触しかねない。重大な問題行動だ。
麻生政権は総選挙から逃げ回り、「政局より政策」と主張するが、「本格的な政策」を実行するには「本格的な政権」がどうしても必要だ。田原氏は、民主党に擦り寄るための時間を確保したいのかも知れないが、公共の電波を私的な目的に使用することは慎んでもらいたい。
「本格的な政策を実現する」ために、総選挙が求められている。「朝まで生テレビ」に出演した堀紘一氏は、2009年3月期決算での企業保有有価証券の時価評価先送りと、企業向けの融資拡大に向けての政府から銀行への指導強化・強制を、番組出演の国会議員に懇願していたが、私的に重大な問題を抱えているようにしか見えなかった。
日本政府が今回の金融危機、不況に、抜本的に対応しなければならないことは言うまでもない。しかし、日本政府が輸出大企業と米国の手先となって、円高抑制と米国への献金だけを追求するのでは、日本国民は不幸になるばかりだ。与野党で目指す政策の方向がまったく異なっている。主権者である国民の意向に沿った政策を実行するには、政府が本格的政策対応に入る前に、総選挙を実施し、政治体制を確立することが必要だ。
「格差社会」から「福祉社会」へ。政治が目指す方向が大転換する。変化する時代、変化する国民の思潮に政治が乗り遅れないために、総選挙の早期実施が必要だ。野党は、経済が歴史的転換点に位置していることを正確に国民に伝達し、早期の総選挙実施に対する国民の理解を得るよう、全力をあげるべきだ。