小泉毅、元厚生事務次官夫妻刺殺事件の次に来るもの
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投稿者 taked4700 日時 2009 年 11 月 30 日 12:09:32: 9XFNe/BiX575U
小泉毅、元厚生事務次官夫妻刺殺事件の次に来るもの
かなり記事が長いので要約をつけます。元厚生事務次官夫妻刺殺事件の動機が30年以上前の飼い犬の仇だという動機の説明は信じられない。しかし、警察もマスコミもそのウソを追及することをしていない。このようなウソが殺人に関して認められてしまうと、より大掛かりな事件がマインドコントロールによって起こされてしまう。実際、日本でも世界でもそういった事件はいくつも起こっている。今出来ることは、一般市民がそういったウソを認めないと声を上げていくことだ。以上要約終わり。
2009年11月26日、昨年末に起こった元厚生事務次官夫妻の刺殺事件の容疑者小泉毅の第一回公判がさいたま地裁で開かれた。それを報じるニュースに「『愛犬の恨みで殺害』は本当だった!」というタイトルがつけられたものがある。MSN産経ニュースの署名記事で、本文を読むと決して「『愛犬の恨みで殺害』は本当だった」ということについて書いてあるわけではないことが分かる。
しかし、問題はなぜこういうタイトルをつけたかだ。Googleで「『愛犬の恨みで殺害』は本当だった!」を引くと「検索結果 約 13,400 件」と示され、実質41件がヒットする。Livedoorニュースとかbiglobeニュース、 yahooニュースなどで同じ記事が流されているせいだが、インターネットでニュース記事を見る方の多分7割以上の方たちがタイトルだけしか見ないはずで、彼らに対する宣伝効果、洗脳効果はかなりのものがあったろう。なお、記事タイトルは記事を書いた記者がつけるのではなくて編集担当者がつける場合が多い。だから、署名記事だからといって、記者がこのタイトルをつけたとは必ずしも言えない。
元厚生事務次官夫妻の刺殺事件には多分二つの意味がある。一つは、殺人事件が何十年も前の愛犬の仇という動機で起きることがあるという認識を一般市民に受け付けたことだ。もう一つは、政府の最も高い地位にいる人間でさえ、わけの分からない動機で殺されてしまい、その動機の真偽が問われることがないという事実を作ってしまったことにある。
つまり、「『愛犬の恨みで殺害』は本当だった!」というタイトルは、殺人がまったく予想も付かないような動機で行われることもあると一般市民に印象付ける役割を持っていたはずだ。もしこのタイトルの最後が「?」だったらまだジャーナリズムとして許容できたのだが、「!」で終わっていたのだから、洗脳記事としての役割を負わされたものという解釈はほぼ間違えがない。
多分、googleの「検索結果 約 13,400 件」という表示も、実質的にヒットしたのは41件だから、同じ意図が働いてのことだ。
では、こういった状況の次に来るものは何か、それを多少でも予測してみよう。
既に被害者の個人情報を公表するかどうかの判断は警察が出来ることになっている。だから、実際には存在しない事件を警察がでっち上げることも以前に比べるとかなり容易になっている。ましてや婦女暴行とか強姦事件なら事件の発生そのものが公表されないことが多いので、一般市民にある特定の人間についてそういった容疑があると聞き込みに回ることによって、邪魔な人間の評判を落とすことが可能だ。
それが大規模になれば、評判を落とすだけではなくて一般人に特定の人間へ攻撃をさせることも出来るようになる。あいつは社会の敵だからみんなで正義の鉄槌を下そうというわけだ。そこには事実の確認とか、攻撃を受ける側の弁明の機会さえない。実際今僕が受けている攻撃がそういったものだ。
特定の人間がターゲットになっている段階ならまだいいが、それが特定の階層になることもある。今民主党政権下で起こっていることは、一種の高級官僚の特権剥奪であり、正常な政治の動きの一環だとは言え、一方的な攻撃に近いものだ。
歴史を振り返れば、一般市民層への宣伝により、特定の階層が虐待、または虐殺された事例は結構ある。中国で起こった文化大革命やカンボジアで起こったポルポト革命がその典型的な例だ。
文化大革命は、毛沢東の面子回復という口実を使って江青などが繰り広げた共産党内部の権力闘争であり、その結果、実業家から医師や教師という知識層がどんどんと処刑されていった。そして、そういった処刑などを担当した実行部隊が10代から20代前半の若者であった。資本主義の悪しき影響を排除すべしと言う一見もっともなお題目に盲目的に従い、結果的に社会全体を破壊してしまったのだ。行方不明者を含めた虐殺数は3000万人から7000万人ほどと推定されている。
ポルポトによる大虐殺は、クメールルージュというカンボジア共産党の軍組織によって行われる。やはり資本主義の影響を排除し原始共産主義社会の建設のためという口実だった。主に10代の若者がその主役で、カンボジアの首都プノンペンの住民は単に都市に住んでいたという理由だけで農村への強制移住と強制労働につかされる。当然農村では急激な人口増加に食糧生産が追いつかないから、農村にもともと住んでいた人たち自身までが餓えに苦しむことなり、結果的に、都市から移住してきた人はもちろんのこと地元住民の大部分も政権への不満を述べたという理由で虐殺されていく。プノンペンからの農村への移動は苛烈なものであったということで、病人から妊婦まで何の配慮もなしに強制的に移動させられた。そして、そういったことを担当したのが10代の若者だった。このことについては「ポル・ポトの大虐殺~総人口の1/3を殺し尽くした戦後最大級の虐殺~」http://members.jcom.home.ne.jp/invader/works/works_8_d.htmlに写真とともに簡単な解説がされている。ポルポト政権での虐殺の犠牲者は100万人とも120万人とも言われている。
その他にも同様な虐殺として旧ユーゴスラビアで起こった民族浄化がある。1984年にユーゴスラビアの都市サラエボで冬季オリンピックが開かれ、そのたった8年後の1992年から1995年まで続いたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争での事件だ。平和と兄弟愛の象徴としてのオリンピックのわずか8年後に起こった民族間対立と集団的組織的なレイプだった。
多分、このような虐殺事件の本質は洗脳だ。一部の権力者が自分の都合により他人を動かした結果こういう虐殺が行われたのだ。そして、その洗脳の対象に最もなりやすいのが若者だということだ。同様な事例はアフリカの民族紛争での少年兵の存在がある。ゲリラが村を襲撃してそこの子供たちを誘拐し、彼らを兵士に仕立て上げ、虐殺を行わせるのだ。
また、911の事件後、アフガニスタンで政権を握っていたタリバンが起こしたバーミヤンにある石窟の仏陀の像の破壊は、明らかにタリバンの本来の主張とはかけ離れたもので、タリバン内部に入り込んだスパイによる洗脳工作によって実現されたものだろう。
同様に、日本で1972年に起こった連合赤軍あさま山荘事件での総括という名のリンチ殺人は、森恒夫による連合赤軍リーダー永田洋子に対する巧みな心理誘導によって起こされたものだ。森恒夫は属していた赤軍派という組織の上層部が警察の手入れによりあらかた逮捕された結果その責任者になり、京浜安保共闘のリーダーだった永田洋子へ近づいて肉体関係を結んだ上で、他の女性メンバーと近づいてその相手と結婚したりして巧みに永田洋子の意識をコントロールした。永田洋子が最初に殺人を犯した印旛沼事件で粛清を最初に言い出したのも森恒夫であり、連合赤軍で総括というリンチを始めたのも彼である。そして、あさま山荘立てこもりの直前に警察によって逮捕され、あの激烈な銃撃戦には参加していない。また、逮捕後は刑務所で自殺したことになっている。しかし、自分は、事件全体の流れを考えたとき、彼は資本家側から送り込まれた一種のスパイであり、本来は労働者と一緒に格差社会をなくそうとしていた学生運動を先鋭化・暴力化させ、果ては内ゲバ殺人を犯させて学生運動自体を破綻させる使命を与えられていたのだと思う。多分、彼は自殺したのではなく、自殺を偽装して刑務所からの脱出をしたのだ。
以上、マインドコントロールによる犯罪を幾つか述べたが、日本で起こったマインドコントロールによる犯罪のもっとも大掛かりなものはオウム真理教事件だ。そして、あの事件では、坂本弁護士一家が幼児を含めて惨殺されたし、地下鉄サリン事件では一般市民が12人死亡、5000人余りが重軽傷を負っている。
今後、同様な事件が起こることが予想される。最も可能性が高いのは、特定の企業が狙われたり、特定の関係の公務員がターゲットになることだ。警察自体がそういった攻撃対象になることさえあり得ると思う。実際、尼崎とかでは交番が労働者によって攻撃されるという事件が繰り返し起こっている。または、特定のメディアがその報道姿勢がおかしいといって攻撃される場合もあるだろう。
では、どうそういったことが起きないようにしたらいいのだろう。その答えは単純だ。元厚生事務次官夫妻刺殺事件の被害者の家族の方のコメント「改めて動機を聞き、本人の態度を見ましたが、とても理解できるものではありませんでした」とあるように、小泉毅の犯行動機の説明はおかしいと声を上げていくことだ。警察やマスコミ自体がそういった姿勢を示すべきだが、現状はそうなっていない。一般市民がたとえ微力でも、本当は違うだろうと言わなければならないのだ。さまざまな形でウソがまかり通る世の中になってしまっているが、そういったウソは、社会全体を崩壊させる。マスコミや司法機関が本来の役割を果たせるように今は一市民が努力しなければいけないような社会なのだ。