弊ブログ記事を推薦くださり感謝申し上げます
「カナダde日本語」の美爾依様、ならびに「BLOG版ヘンリー・オーツの独り言」のヘンリー・オーツ様、「アルファブロガー・アワード2008:ブログ記事大賞」に弊ブログの記事をご推薦くださいましてありがとうございました。心よりお礼申し上げます。弊ブログは「賞」とは独立に進む決意でおりますが、身に余る推薦を賜りましたことに心より感謝申し上げます。
ブログを始めたばかりの初心者で、他のブロガー様のように多様な技術を駆使することも出来ず、よちよち歩きで地味に記事を掲載させていただいておりますが、多くの皆様の身に余る温かなご支援のお陰で、今日までたどり着くことが出来ました。
試行錯誤を繰り返しながら、弊ブログをご高覧下さる皆様とともに、明日の日本を考えてまいりたく思います。
私も「アワード2008」に記事を推薦させていただきました。
「カナダde日本語」様
『消費税と社会保障:日本増税とカナダの減税』
「BLOG版ヘンリー・オーツの独り言」様
『日本の歴史にも偽装CHANGEと真正CHANGEが存在する!』
「神州の泉」様
『月刊現代に小泉・竹中構造改革路線の本格批判記事が出た』
「100年に一度の信用TSUNAMI」(アラン・グリーンスパン前FRB議長)が米国の金融市場を襲い、世界的に深刻な景気後退が進行している。景気後退が小泉竹中政治の化けの皮を剥(は)ぐ結果をもたらした。10万人単位の非正規雇用労働者が何の説明もなく「解雇」され、寒空の下に放り出されている。不安定な非正規雇用労働者の雇用形態、低所得、保障の欠如、は小泉竹中政治がもたらしたものだ。
人間を機械部品のように取り扱い、人間の尊厳を無視する政策姿勢は、「市場原理主義」=「新自由主義」から生まれた。総選挙の前に「市場原理主義」の根本的な欠陥があらわになったことは、不幸中の幸いである。2005年9月の「集団ヒステリー」による「錯乱状態の下での政権選択」の誤りを繰り返さない環境が生まれている。
人間を機械部品のように取り扱う「市場原理主義」から明確に訣別し、すべての国民の、「人間としての尊厳」を尊重する「人間尊重主義」への転換が求められている。
政治はつらい立場にある国民のために大きな力を発揮することを求められる存在である。「市場原理主義」の下での政府は「国民=労働」ではなく、「資本=企業」の利益増大を追求して政策を決定した。「資本」にとっては、①労働者の賃金が低く、②いつでも企業の都合で労働者を解雇でき、③法人税を低くしてもらう、ことが望ましい。小泉竹中政治は「資本」の利益増大を追求した政策運営を実行した。
この政策は「資本」の利益を増大させるが、「労働」は劣悪な状況に追い込まれる。日本の労働者がいま直面しているのは「生命の危険」である。年間に3万人以上の国民が自ら命を絶つ状況に疑問を感じないのが小泉竹中政治だった。
「市場原理主義」から「人間尊重主義」への転換は、「セーフティネットの再構築」によって具体化される。セーフティネットとは、①雇用の安定・労働条件の改善、②医療・年金・介護の社会保障制度、③生活保護等の公的扶助、によって構成される。財政バランスの悪化を理由に、小泉竹中政治は「セーフティネット」を破壊し続けた。
しかし、高級官僚の天下り利権を死守し続けた。不透明なドル買い外為介入で100兆円のドル資産を買い集め、30兆円もの損失を発生させている。
「カナダde日本語」の美爾依さんは、「消費税を上げるなら、福祉と経済の両立を目指す北欧を見習え」の記事も掲載された。
マイケル・ムーア監督は米国の悲惨な医療保険制度を描いた作品「シッコ」で、「国民が医療=健康と教育と自信を持つと士気が高まり、コントロールしづらくなる」との説明を施している。国民は国家を隷属させるために「医療、教育、自信」を奪い取るのだと説明する。
私たちは「弱肉強食社会」と「福祉社会=共生社会」のどちらを望んでいるのだろうか。私が大学の教職にあったとき、学生の指向を尋ねると、「結果における格差」を容認する傾向が強いことに驚いた。新自由主義的な空気が蔓延(まんえん)していたのだと思う。
しかし、不況が深刻化するときに問題は顕在化する。自分が「勝ち組」に入ると考える者は、「結果における格差」を容認する傾向が強いのかも知れないが、それは単なる自己中心主義であると思う。
豊かな者が貪欲(どんよく)に、飽(あ)くことなく金銭を追い求めるのが、「市場原理主義者」の平均的な姿だが、ある程度の豊かさを得た者が、金銭を追求することを放棄して、所得再分配に資金を配分するのが「福祉社会=共生社会」である。
「自分が豊かに暮らせれば、他人が路上生活で凍死しても構わない」生き方と、「自分がことさら贅沢三昧(ぜいたくざんまい)しなくても、すべての隣人が人間らしい豊かさを享受(きょうじゅ)出来ることを望む」生き方の、どちらを私たちは望ましいと考えるのか。
私は後者の社会が望ましいと思う。問題は一生懸命がんばろうという意欲が低下してしまうのではないかということだ。美爾依さんは、北欧の問題意識が「福祉と成長の両立」にあるとの指摘を示している。
また、ヘンリー・オーツさんは、オーストリアの刑務所の写真を紹介されて、「北欧の経済システムと社会民主主義を学ぼう!」と題する貴重な記事を掲載された。
ヘンリー・オーツさんの「歴史における偽装CHANGE」の記事では、副島隆彦先生の著書を紹介され、歴史を見る新しい視点を紹介された。日本が米国の特定勢力に支配される図式は小泉竹中政治に始まったことではないことを、解説された。
個別の史実については賛否両論があると考えるが、日本の歴史を考える際、外国勢力が明治以降の日本の歴史にどのような関わりを持ってきたかは、見落とすことのできない極めて重要な視点である。
「神州の泉」主宰者の高橋博彦氏は、私が巻き込まれた冤罪事件について、一貫して私の無実を主張して来てくださっている。深層が闇に覆われている部分も少なくなく、事件の解釈には幅が存在するが、私が無実であることは私が間違いなく知っている。その真実を揺るぎ無く信じてくださってきていることに心から感謝申し上げる。
高橋様のブログ記事では、2009年1月号が最終号になった講談社の『月刊現代』について記述されている。私も本ブログで「りそなの会計士はなぜ死亡したか」と題するシリーズ記事を掲載した。2002年9月から2004年3月にかけての竹中金融行政については、徹底的な検証が求められる。
とりわけ「りそな問題」では、関係者がさまざまなアクシデントに遭遇しており、真相と背景を明らかにしなければならないと思われる。
推薦申し上げたい記事は無数にあった。本ブログ記事について、ありがたいコメントを賜ったブログ記事についてのご紹介も十分できておらず、大変申し訳なく感じている。多くの貴重な内容を含む記事に心を打たれる記述がたくさんあった。推薦数に制約があり、大変残念に感じている。
微力ではありますが、今後とも少しでも役に立つ情報の提供に努力してまいる所存ですので、変わらぬご支援とご鞭撻を賜りますよう心よりお願い申し上げます。