ウクライナの西端にあるガリツィア地方(ガリシア地方)は、ハプスブルク帝国に支配された時代から独立国家を作ろうとする動きが強くあった。1930年代、ガリツィア地方は、ヨーロッパを支配下に置いたナチス・ヒトラーを支持し、その影響力を使い、独立国家を作ろうとした。
しかし、ヒトラーがソ連との戦争に敗北すると、ガリツィアはソ連のウクライナ地方に武力で併合されてしまう。カトリックであったガリツィアの宗教をソ連は認めず、ロシア正教をガリツィアに強制した。またソ連は、ガリツィア独立運動を徹底的に弾圧した。
ガリツィア市民は流民となり、大量にカナダのアルバータ州エドモントンに亡命した。その中には、滅亡したハプスブルク帝国の生き残りも多数入っていた。
このカナダのエドモントンが、ウクライナをロシアから独立させ、さらにガリツィアを独立させようとする国際的な運動の拠点になる。そこにはハプスブルク帝国の復活を目指す勢力と、ローマ・カトリック教会、そしてナチスの再興を目指す国際的なナチス・ネットワークが強力なバックアップを行っている。
敗北したナチス・ドイツの将校達の逃亡ルートは、バチカンがその修道院ネットワークを駆使し、用意した。カトリックのネットワークは、ナチスのネットワークに重なっている。
これが現在、旧ソ連の核兵器を世界に販売する闇市場を形成するウクライナ・マフィアの発祥である。
1983年5月、アンドロポフ時代のソ連で、まだ無名であったゴルバチョフは政治局員としてカナダを訪問する。
ゴルバチョフは、「たまたま」入ったカナダのレストランで、カナダに亡命していたウクライナ独立運動の闘士アレクサンドル・ヤコブレフに出会い、親友となる。この「偶然の出会い」は、ウクライナ・マフィアが「周到に準備」したものであった。ヤコブレフは、後にゴルバチョフ大統領の主席顧問として、グラスノスチ、ペレストロイカの「発案者」となる。
ヤコブレフの背後に居たエドモントンのウクライナ独立運動、ウクライナ・マフィアを資金面で援助していたのは、ローマ・カトリック教会のフランシス・スペルマン枢機卿、メリー・テルヴァル枢機卿であった。
1920年代米国の禁酒法時代に、スペルマン枢機卿は、ミネラル・ウォーターで有名なボルビックを販売するカナダのマフィア、ブランフマン一族と共にウィスキーを密売していた。スペルマンはカナディアン・マフィアのメンバーである。
スペルマン枢機卿の部下としてウィスキー密売を担当したのが、ジョゼフ・ケネディ=ケネディ大統領の父、そして長年FBI長官として米国の警察組織の「王」であったエドガー・フーヴァーである。
またメリー・テルヴァル枢機卿は、ザイールでユニオン・ミリエール社というウラン鉱山企業を経営し、アメリカとロシアの核兵器開発競争に長年原料を提供して来た。
メリー・テルヴァル枢機卿の核兵器原料企業の経営資金には、世界中のカトリック教徒から集まるローマ・カトリック教会への「寄付金が投資」されている。バチカンへの「寄付金の運用」のために、核兵器原料は「製造・販売」されて来た。核兵器製造は高利回りビジネスだからである。
神への献金が人類を滅ぼす。本当の神なら金など欲しがる訳が無い。
メリー・テルヴァル枢機卿は、世界中から集まる献金を集金・管理するバチカン銀行の経営を担当している。
このバチカン銀行の親会社が、ブッシュ大統領のハリマン銀行である。
レーガン政権で老衰著るしいレーガンに代わり、実質政権を運営していたのはブッシュであったが、ゴルバチョフの推進したペレストロイカを実質設計していたヤコブレフ=ウクライナ・マフィアの資金源バチカンと、レーガン=ブッシュ政権は一体化していた。
ソ連と米国が和解したゴルバチョフとレーガンのマルタ会談が、バチカン公認の騎士修道会=マルタ騎士団を舞台としていた意味が分かる。
なお、核兵器原料企業・経営者メリー・テルヴァル枢機卿の母方のズルエタ一族は、必ず歴代の英国首相の秘書官を担当している。歴代英国首相は全員、その行動を24時間バチカン銀行(ハリマン銀行)経営者、テルヴァル枢機卿一族に把握されている事になる。
また、英国王室は形式上法人格を持っているが、英国王はその法人の「運営者」に過ぎない。英国王室の法人所有権はバチカンにある。