格差階級社会をなくそう

平和な人権が尊重される社会を目指し、マスゴミに替わって不正、腐敗した社会を追求したい。

NHKが電力会社の社債を大量保有!〝上位5社がすべて電力会社。

2011-07-31 20:11:11 | 阿修羅


NHKが電力会社の社債を大量保有!〝上位5社がすべて電力会社。合計374億円 こんなんでまともな報道できるかよ アホか〟
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/168.html
投稿者 極楽とんぼ 日時 2011 年 7 月 30 日 16:38:30: /lwF1HCtYSDhs


http://takeyama-y.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-d8fa.html 
武山祐三の日記
2011年7月30日 (土)


http://alcyone.seesaa.net/article/217496432.html 

 これで公正公平な報道が出来る訳がありません。私は、福島原発事故以来NHKの報道姿勢に少なからず疑問を持っていました。これで不偏・不党の姿勢が保てるなら、何をかいわんやです。東電や九州電力のヤラセ・欺瞞・隠蔽報道の根拠がはっきりしました。


〔転載始め〕

http://alcyone.seesaa.net/article/217496432.html 
低気温のエクスタシーbyはなゆー
2011年07月30日


【大スクープ】NHKが電力会社の社債を大量保有していた!

668 名前:地震雷火事名無し(広島県)[]
投稿日:2011/07/30(土) 15:03:59.14 ID:rZof4MDp0 
NHKが電力会社の株を大量保有という週刊金曜日の大スクープ
こんなんでまともな報道できるかよ
アホか


週刊金曜日
https://twitter.com/#!/syukan_kinyobi/status/97139609351372800 
株ではなく社債です。悪影響は同じようなものですが


まっきい
https://twitter.com/#!/Cal215/status/97168485347627009 
NHK保有証券 上位五社 1。東京電力 2.中部電力 3.関西電力 4.中国電力 5.東北電力…(週刊金曜日)…なんで聴取料強制徴収や値上げなどして、電力会社の社債だけで340億円を超えるほど所有しなければならないの?株主・銀行への債権放棄は避けるべきって報道はこれのせい?


反米嫌日戦線・死ぬのはやつらだ
https://twitter.com/#!/yaturada/status/97155217925222400 
週刊金曜日、NHKが保有する債券の上位5社がすべて電力会社。合計で374億円。そのうち東電は145億円。

〔転載終わり〕





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品川美容外科機密漏えい事件は警察天下り問題だ

2011-07-31 18:50:27 | 植草一秀氏の『知られざる真実』


品川美容外科機密漏えい事件は警察天下り問題だ




品川美容外科に対する警視庁現職警官および警官OBによる捜査情報漏えい事件は、この国の警察・検察・裁判所制度の前近代性の重要な一端を垣間見せる事案である。同時に警察捜査情報を不正に入手した品川美容外科が政治家に対する献金を行っていた事実も明るみに出ており、こうした政治家への献金と警察捜査情報の漏えいとの関係も明らかにされる必要がある。
 
 この事件では、警視庁の職員が品川美容外科の医療過誤事件捜査とのっ絡みから品川美容外科に警察官OBの再就職を要請し、この要請を受け入れて警察から天下りを受け入れた品川美容外科が不正に警察捜査情報を入手したというものである。不正に警察捜査情報を漏えいした現職警官と警官OBが国家公務員法の守秘義務違反で逮捕された。



日本の警察・検察・裁判所制度の前近代性を是正することが急務である。現状は前近代に取り残されたものだ。とりわけ重大な問題が三つある。
 
 第一は、刑事事件の取り扱いにおいて、警察・検察の裁量権が法外に認められていることである。警察・検察には、犯罪がたしかに存在していても、摘発しない裁量権と、犯罪が存在しないのに無実潔白の市民を刑事事件犯人に仕立て上げる裁量権が付与されている。
 
 法の下の平等、罪刑法定主義が守られていない。「起訴便宜主義」の名の下に、恣意的な法の運用がまかり通っている。警察捜査段階でも、犯罪が明白に存在しているにもかかわらず、警察の判断で犯罪が摘発されることなく無罪放免される事例が無数に存在する。
 
 裁量的な刑事事件捜査の運用が行われる最大の問題は、このことが政治的な目的で行われることと、このことと警察・検察の天下りが密接に関係していることである。
 
 日本政治の支配者である米官業政電の利権複合体の敵=政敵に対しては、無実の人間であっても犯罪者に仕立て上げることが横行する。逆に利権複合体の一員に対しては、法律を乗り越えて甘い運用が適用される。利権複合体の一員とは、警察・検察天下りを受け入れた企業という意味でもある。
 
 これが歴然たる現実であることは、多くの関係者が証言するところである。
 
 今回の品川美容外科の問題は、警察天下りと警察捜査の関係を端的に示す事例である。官僚天下りの最大の問題のひとつが、警察・検察の天下り問題であることを、主権者国民はしっかりと認識しなければならない。



第二の問題は、日本の刑事事件捜査において、DUE PROCESS OF LAWが完全に無視されていることである。基本的人権を擁護するには、適正手続きが厳格に守られねばならないが、日本の現実は、適正手続き=DUE PROCESS OF LAWは無きが如しである。
 
 捜査段階における人権侵害の程度も極めて深刻である。
 
 この問題をクリアするには、取調べ過程の全面可視化が不可欠である。警察は、全面可視化を認めると治安水準が維持できないと主張するが、これは言い方を変えれば、
「犯人を検挙するには多少の冤罪の発生はやむを得ない」
ということにつながるのだ。
 
 人権を守る視点からの刑事事件捜査の鉄則は、
「10人の真犯人を取り逃がしても一人の無辜を処罰するなかれ」
である。
 
 冤罪を生み出すことの罪深さを警察・検察は認識していないのだ。
 
 不当逮捕、不当勾留、不当起訴、不当有罪判決を根絶するには、最低限、取調べ過程の全面可視化が不可欠である。そして、全面可視化は被疑者だけでなく、被害者、目撃者および関係者全員に適用することが求められる。



第三の問題は、裁判所が権力に従属しているという現実だ。日本国憲法第76条は、
「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」
との規定を置いているが、空文化している。
 
 新藤宗幸氏が著書『司法官僚』で明らかにしたように、裁判官の人事上の処遇のすべてが最高裁事務総局に握られているため、裁判官は良心や法律ではなく、最高裁事務総局の方針に従って裁判を行うことになるからである。
 
 このとき、最高裁事務総局が時の権力の側を向くスタンスを取るなら、裁判全体が国家権力の支配下に置かれることになる。現実にこの傾向が著しく強まっている。



警察・検察・裁判所の近代化は日本の構造改革の最重要テーマのひとつである。フランス人権宣言にこれらの事項が明記されたのは1789年のことだ。日本は220年も遅れた近代化をいまだに実現できていないのだ。
 
 野田佳彦財務相の政治資金管理団体が品川美容外科から多額の献金を受けてきた事実が明るみに出された。当然のことであるが、今回の事件との関係についても実態が明らかにされる必要がある。
 
 品川美容外科事件を単なる一事件として捉えるのではなく、警察天下りと警察捜査の一般的な関係のひとつに事例が、この事件に表出されたものと捉える必要がある。そのうえで、警察の天下り問題を徹底的に論議することが求められる。





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原子力発電を、本当に推進している者達の、正体

2011-07-31 18:36:10 | 阿修羅


原子力発電を、本当に推進している者達の、正体



前回記事、「原子力発電の廃止を主張する、日本の菅首相の乗る、旅客機も、やがて墜落する?」、より続く。


http://alternativereport1.seesaa.net/article/216032953.html



(前回より続く)



 故ケネディ大統領は、暗殺された。

このケネディ一族の財産は、現在、ある弁護士が管財権=全権を握り、「管理・運営」している。

ケネディ一族は、この弁護士の「許可」がなければ、ボールペン1本さえ、買う事ができない。

この弁護士は、全米を支配する、麻薬マフィアの顧問弁護士である。

この麻薬マフィアが、「我々は、ケネディ暗殺犯人ではない」と言っても、誰も信用しない。

仮に、Bさんの家に強盗が入り、Bさんが殺害され、預金通帳とキャッシュカードが盗まれた場合、

そのキャッシュカードで現金を引き出し、生活しているAが警察に逮捕され、Aが「私は殺人犯人ではない」と言っても、誰も信用しない。

犯人でなければ、どのようにして、キャッシュカードを手に入れたのか?

このマフィアが、暗殺犯人でなければ、どのようにして、ケネディ一族の財産を「手に入れたのか?」

このマフィアの顧問弁護士は、「環境保護問題で、ノーベル賞を受賞した」、アル・ゴアの、顧問弁護士「でもある」。

オバマ政権で、原子力発電を強力に推進する、アル・ゴアの「ボス」、

日本の原子力発電「業界」を、支配してきた「本当のボス=アメリカの、麻薬=ウラン・マフィア」の姿が、ここには、明瞭に浮かび上がってくる。


 日本の菅首相は、原子力発電をストップさせると明言し、政界で総攻撃を受けている。

原子力発電所は、巨大なセメントと鉄骨の塊であり、その建設を担う土建業者=ゼネコンが、日本政界の最大の政治資金源である。

原子力発電をストップさせると明言した菅首相に対し、土建・セメント・鉄鋼業界が、「我が社の、売り上げが減少する、なんとかしろ」と命令を下し、日本政界・国会議員の群れが、菅への総攻撃を開始した。

国会議事堂での、「原子力発電は必要」という議論のホンネは、国会議員達の、土建業界からの政治献金がないと、「選挙資金に困窮する」という主張である。

そして、菅首相、総攻撃の真意は、

「いつか総理大臣になり、出世したい」と妄想している、各国会議員達の、「首相になるまでは、ケネディ、中川昭一、橋本龍太郎のように、ボス=アメリカのマフィアに、暗殺されたくは無い」という、自己保身である。





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鳩山政権潰しの動きに警告するウォルフレン論文 (永田町異聞)

2011-07-31 09:06:23 | 阿修羅


鳩山政権潰しの動きに警告するウォルフレン論文 (永田町異聞)
http://www.asyura2.com/10/senkyo82/msg/972.html
投稿者 亀ちゃんファン 日時 2010 年 3 月 24 日 12:17:22: GqNtjW4//076U


http://ameblo.jp/aratakyo/entry-10489860569.html
2010年03月24日(水)


【転載開始】

鳩山政権潰しの動きに警告するウォルフレン論文 

オランダ出身のジャーナリストで、アムステルダム大学教授、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、ベストセラー「人間を幸福にしない日本というシステム」の著者として知られる。



国民自らの選択で初めて歴史的な政権交代を成し遂げたこの日本で、古い日本を守ろうとする官僚、検察、メディアが、新しく誕生した政権を潰そうとしている動きに対し、中央公論の最新号に寄稿した論文で重大な懸念を表明しておられる。



大変な長文だが、ここ(http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20100319-01-0501.html) をクリックしていただくと原文(井上実訳)を読んでいただくことができる。



下記に、筆者なりの要約をしてみたので、参考にいただければ幸いだ。



「日本政治再生を巡る権力闘争の謎」

 

いま日本はきわめて重要な時期にある。真の民主主義をこの国で実現できるかどうかは、これからの数年にかかっている。内閣中心政権を確立することができるならば、あらゆる国々に対し、重要な規範を示すことになる。
 
 それを実現させるためには、険しい関門を突破しなければなるまい。国際社会で、真に独立した国家たらんとする民主党の理念を打ち砕こうとするのは、国内勢力ばかりではない。アメリカ政府もまたしかりである。



この世界に、望ましい政治のあり方を示そうとしているのが、他ならぬこの日本であるなどと、わずか数年前、筆者を含め誰に予測し得たであろうか。予測しがたいことが現実に起きた。



民主党政権発足後の日本で起こりつつある変化には、実は大半の日本人が考えている以上に大きな意味がある、と筆者は感じている。
   
民主党が行おうとしていることに、どのような意義があるのかは、明治時代に日本の政治機構がどのように形成されたかを知らずして、理解することはむずかしい。



当時、選挙によって選ばれた政治家の力を骨抜きにするための仕組みが、政治システムの中に意図的に組み込まれたのである。



民主党は、山県有朋によって確立された日本の官僚制度(そして軍隊)という、この国のガバナンスの伝統と決別しようとしているのである。
 
山県は、表向きに政治家に与えられている権力を、行使できなくなるような仕組みを導入したのだ。
 
山県が密かにこのような仕掛けをしたからこそ、日本の政治システムは、1930年代になって、軍官僚たちがこの国をハイジャックする方向へと進化していったのである。山県の遺産は、その後もキャリア官僚と、国会議員という、実に奇妙な関係性の中に受け継がれていった。
 
いま民主党が自ら背負う課題は、生易しいものではない。この課題に着手した者は、いまだかつて誰ひとり存在しないのである。手本と仰ぐことが可能な経験則は存在しないのである。



民主党の閣僚が、政策を見直そうとするたび、激しい抵抗に遭遇する。彼らに抵抗するのは、有権者ではない。旧態依然とした非民主主義的な体制に、がっちりと埋め込まれた利害に他ならない。
 
明治時代に設立された、議会や内閣といった民主主義の基本的な機構・制度は日本では本来の目的に沿う形で利用されてはこなかった。



そして現在、政治主導を可能にするような機構を、民主党はほぼ無から創り上げることを余儀なくされている。



これを見て、民主党の連立内閣の大臣たちが手をこまねいていると考える、気の短い人々も大勢いることだろう。



たとえば外務省や防衛省などの官僚たちは、政治家たちに、従来の省内でのやり方にしたがわせようと躍起になっている。
 
明治以来存続してきた日本の政治システムを変えることは容易ではない。システム内部には自らを守ろうとする強力なメカニズムがあるからだ。



一年ほど日本を留守にしていた筆者が、昨年戻ってきたさい、日本の友人たちは夏の選挙で事態が劇的に変化したと興奮の面持ちで話してくれた。



そのとき筆者は即座に「小沢を引きずり下ろそうとするスキャンダルの方はどうなった?」と訊ね返した。必ずそのような動きが出るに違いないことは、最初からわかっていたのだ。
 
日本の官僚機構に備わった防御機能は、まるで人体の免疫システムのように作用するからだ。



あらゆる国々は表向きの、理論的なシステムとは別個に、現実の中で機能する実質的な権力システムというべきものを有している。政治の本音と建前の差は日本に限らずどんな国にもある。



実質的な権力システムは、公式の政治システムの内部に存在している。
 
軍産複合体や巨大金融・保険企業の利益に権力が手を貸し、彼らの利害を有権者の要求に優先させた、この10年間のアメリカの政治など、その典型例だといえよう。
 
いまから19年前、日本で起きた有名なスキャンダル事件について研究をした私は『中央公論』に寄稿した。



その中で、日本のシステム内部には、普通は許容されても、過剰となるや、たちまち作用する免疫システムが備わっており、この免疫システムの一角を担うのが、メディアと二人三脚で動く日本の検察である、と結論づけた。
 
検察とメディアにとって、改革を志す政治家たちは格好の標的である。彼らは険しく目を光らせながら、問題になりそうなごく些細な犯罪行為を探し、場合によっては架空の事件を作り出す。



薬害エイズ事件で、厚生官僚に真実を明らかにするよう強く迫り、日本の国民から絶大な支持を得た菅直人は、それからわずか数年後、その名声を傷つけるようなスキャンダルに見舞われた。
 
さて、この日本の非公式な権力システムにとり、いまだかつて遭遇したことのないほどの手強い脅威こそが、現在の民主党政権なのである。



実際の権力システムを本来かくあるべしという状態に近づけようとする動きほど恐ろしいことは、彼らにとって他にない。



そこで検察とメディアは、鳩山由紀夫が首相になるや直ちに手を組み、彼らの地位を脅かしかねないスキャンダルを叩いたのである。

 
日本の超法規的な政治システムが山県有朋の遺産だとすれば、検察というイメージ、そしてその実質的な役割を確立した人物もまた、日本の歴史に存在する。平沼騏一郎である。



彼は「天皇の意思」を実行する官僚が道徳的に卓越する存在であることを、狂信的とも言える熱意をもって信じて疑わなかった。山県のように彼もまた、国体思想が説く神秘的で道徳的に汚れなき国家の擁護者を自任していた。
 
1945年以降も、平沼を信奉する人々の影響力によって、日本の司法制度の改革は阻止された。



ある意味では現在の検察官たちの動きを見ていると、そこにいまなお司法制度を政府という存在を超えた至高なる神聖な存在とする価値観が残っているのではないか、と思わせるものがある。



オランダにおける日本学の第一人者ウィム・ボートは、日本の検察は古代中国の検閲(秦代の焚書坑儒など)を彷彿させると述べている。
 
 日本の検察官が行使する自由裁量権は、これまで多くの海外の法律専門家たちを驚かせてきた。



誰を起訴の標的にするかを決定するに際しての彼らの権力は、けたはずれの自由裁量によって生じたものである。
 
 ある特定人物に対して厳しい扱いをすると決めた場合、容疑者を参らせるために、策略を用い、心理的な重圧をかけ、さらには審理前に長く拘禁して自白を迫る。



検察官たちは法のグレーゾーンを利用して、改革に意欲的な政治家たちを阻もうとする。どんなことなら許容され、逆にどのようなことが決定的に違法とされるのかという区分はかなりあいまいである。たとえば、合法的な節税と違法な脱税の境界がさほど明確でない国もある。



ところで日本にはさまざまな税に関する法律に加えて、きわめてあいまいな政治資金規正法がある。検察はこの法律を好んで武器として利用する。


検察官たちの取り調べがいかに恣意的であるかを理解している日本人は大勢いる。それでもなお、たとえば小沢の支持者も含めて多くの人々が、彼が少なくとも「誠意ある態度」を示して、謝罪すべきだと、感じていることは確かだ。
 
 これなどまさに、非公式な権力システムと折り合いをつけるために要請される儀礼行為とも言えるだろう。儀礼の舞台は国会であり、また民主党内部でもあり、国民全般でもある。



新聞各紙は「世論が求めている」などと盛んに騒ぎ立てているが、本当のところはわからない。しかも詫びて頭を下げ、あるいは「自ら」辞任するとでもいうことになれば、そのような儀礼行為は、実際には非公式のシステムに対して行われるのである。
 
 体制に備わった免疫システムは、メディアの協力なくしては作用しない。なぜなら政治家たちを打ちのめすのは、彼らがかかわったとされる不正行為などではなく、メディアが煽り立てるスキャンダルに他ならないからだ。



検察官たちは絶えず自分たちが狙いをつけた件について、メディアに情報を流し続ける。そうやっていざ標的となった人物の事務所に襲いかかる際に、現場で待機しているようにと、あらかじめジャーナリストや編集者たちに注意を促すのだ。



捜査が進行中の事件について情報を漏らすという行為は、もちろん法的手続きを遵守するシステムにはそぐわない。しかし検察はあたかも自分たちが超法規的な存在であるかのように振る舞うものだ。

 

日本の新聞は、筆者の知る世界のいかなるメディアにも増して、現在何が起こりつつあるかについて、きわめて均質な解釈を行う。



そしてその論評内容は各紙互いに非常によく似通っている。かくして、こうした新聞を購読する人々に、比較的大きな影響を及ぼすことになり、それが人々の心理に植えつけられるという形で、政治的現実が生まれるのである。



このように、日本の新聞は、国内権力というダイナミクスを監視する立場にあるのではなく、むしろその中に参加する当事者となっている。



有力新聞なら、いともたやすく現在の政権を倒すことができる。彼らが所属する世界の既存の秩序を維持することが、あたかも神聖なる最優先課題ででもあるかのように扱う、そうした新聞社の幹部編集者の思考は、高級官僚のそれとほとんど変わらない。
 
 いまという我々の時代においてもっとも悲しむべきは、先進世界と呼ばれるあらゆる地域で新聞界が大きな問題を抱えていることであろう。



商業的な利益に依存する度合いを強めた新聞は、もはや政治の成り行きを監視する信頼に足る存在ではなくなってしまった。日本の新聞はその点、まだましだ。



とはいえ、日本の政治がきわめて重要な変化の時を迎えたいま、新聞が信頼できる監視者の立場に就こうとしないのは、非常に残念なことだ。



これまで日本のメディアが新しい政府について何を報道してきたかといえば、誰の役にも立ちはせぬありふれたスキャンダルばかりで、日本人すべての未来にとって何が重要か、という肝心な視点が欠落していたのではないか。
 
 なぜ日本の新聞がこうなってしまったのか、原因はやはり長年の間に染みついた習性にあるのかもしれない。



普通、記者や編集者たちは長年手がけてきたことを得意分野とする。日本の政治記者たちは、長い間、自民党の派閥争いについて、また近年になってからは連立政権の浮沈について、正確な詳細を伝えようと鎬を削ってきた。
 
鳩山政権が成立後、連立を組んだ政党との間に生じた、現実の、あるいは架空の軋轢に、ジャーナリストたちの関心が注がれたのは不思議ではなかった。



だからこそ、日本のメディアは民主党の閣僚たちの間に、きわめてわずかな齟齬が生じたといっては、盛んに書き立てるのだろう。



自民党内部での論争や派閥抗争がジャーナリストたちにとって格好の取材ネタであったことは、筆者にもよく理解できる。なぜなら日本のいわゆる与党は、これまで話題にする価値のあるような政策を生み出してこなかったからだ。
 
 小泉は政治改革を求める国民の気運があったために、ずいぶん得をしたものの、現実にはその方面では実効を生まなかった。



彼はただ、財務省官僚の要請に従い、改革を行ったかのように振る舞ったにすぎない。だがその高い支持率に眼がくらんだのか、メディアは、それが単に新自由主義的な流儀にすぎず、国民の求めた政治改革などではなかったことを見抜けなかった。
 
 彼が政権を去った後、新しい自民党内閣が次々と誕生しては退陣を繰り返した。自民党は大きく変化した国内情勢や世界情勢に対処可能な政策を打ち出すことができなかった。



なぜなら、彼らには政治的な舵取りができなかったからだ。自民党の政治家たちは、単にさまざまな省庁の官僚たちが行う行政上の決定に頼ってきたにすぎない。



ところが官僚たちによる行政上の決定とは、過去において定められた路線を維持するために、必要な調整を行うためのものである。



つまり行政上の決定は、新しい路線を打ち出し、新しい出発、抜本的な構造改革をなすための政治的な決断、あるいは政治判断とは完全に区別して考えるべきものなのである。こうしてポスト小泉時代、新聞各紙が内閣をこき下ろすという役割を楽しむ一方で、毎年のように首相は代わった。
 
 このような展開が続いたことで、日本ではそれが習慣化してしまったらしい。実際、鳩山政権がもつかどうか、退陣すべきなのではないか、という噂が絶えないではないか。



たとえば小沢が権力を掌握している、鳩山が小沢に依存していると論じるものは多い。だがそれは当然ではないのか。政治家ひとりの力で成し遂げられるはずがあろうか。しかし論説執筆者たちは民主党に関して、多くのことを忘れているように思える。
 
 そして山県有朋以降、連綿と受け継がれてきた伝統を打破し、政治的な舵取りを掌握した真の政権を打ち立てるチャンスをもたらしたのは、小沢の功績なのである。



小沢がいなかったら、一九九三年の政治変革は起きなかっただろう。あれは彼が始めたことだ。小沢の存在なくして、信頼に足る野党民主党は誕生し得なかっただろう。そして昨年八月の衆議院選挙で、民主党が圧勝することはおろか、過半数を得ることもできなかったに違いない。
 
 小沢は今日の国際社会において、もっとも卓越した手腕を持つ政治家のひとりであることは疑いない。ヨーロッパには彼に比肩し得るような政権リーダーは存在しない。政治的手腕において、そして権力というダイナミクスをよく理解しているという点で、アメリカのオバマ大統領は小沢には及ばない。
 
 小沢はその独裁的な姿勢も含め、これまで批判され続けてきた。しかし幅広く読まれているメディアのコラムニストたちの中で、彼がなぜ現在のような政治家になったのか、という点に関心を持っている者はほとんどいないように思える。小沢がいなかったら、果たして民主党は成功し得ただろうか?
 
 民主党のメンバーたちもまた、メディアがしだいに作り上げる政治的現実に多少影響されているようだが、決断力の点で、また日本の非公式な権力システムを熟知しているという点で、小沢ほどの手腕を持つ政治家は他には存在しないという事実を、小沢のような非凡なリーダーの辞任を求める前によくよく考えるべきである。
 
 もし非公式な権力システムの流儀に影響されて、民主党の結束が失われでもすれば、その後の展開が日本にとって望ましいものだとは到底思えない。確固たる民主党という存在がなければ、さまざまな連立政権があらわれては消えていく、というあわただしい変化を繰り返すだけのことになる。



すると官僚たちの権力はさらに強化され、恐らくは自民党政権下で存在していたものよりもっとたちの悪い行政支配という、よどんだ状況が現出することになろう。



 民主党の行く手に立ち塞がる、もうひとつの重要な障害、日米関係に対しても、メディアはしかるべき関心を寄せてはいない。



これまで誰もが両国の関係を当然のものと見なしてきたが、そこには問題があった。それはアメリカ政府がこれまで日本を完全な独立国家として扱ってはこなかったことである。



ところが鳩山政権は、この古い状況を根本的に変えてしまい、いまやこの問題について公然と議論できるようになった。
 
 しかしオバマ政権はいまだに非自民党政権を受け入れることができずにいる。そのような姿勢を雄弁に物語るのが、選挙前後に発表されたヒラリー・クリントン国務長官やロバート・ゲーツ国防長官らの厳しいメッセージであろう。



沖縄にあるアメリカ海兵隊の基地移設問題は、アメリカ政府によって、誰がボスであるか新しい政権が理解しているかどうかを試す、テストケースにされてしまった。
 
 アメリカ政府を含め、世界各国は長い間、日本が国際社会の中でより積極的な役割を果たすよう望んできた。日本の経済力はアメリカやヨーロッパの産業界の運命を変えてしまい、またその他の地域に対しても多大な影響を及ぼした。



ところが、地政学的な観点からして、あるいは外交面において、日本は実に影が薄かった。「経済大国であっても政治小国」という、かつて日本に与えられたラベルに諸外国は慣れてしまった。



そして、そのような偏った国際社会でのあり方は望ましくなく、是正しなければいけないと新政府が声を上げ始めたいまになって、アメリカ人たちは軍事基地のことでひたすら愚痴をこぼす始末なのだ。
 
 日本の検察が、法に違反したとして小沢を執拗に追及する一方、アメリカは2006年に自民党に承諾させたことを実行せよと迫り続けている。このふたつの事柄からは、ある共通点が浮かび上がる。両者には平衡感覚とでもいうものが欠落しているのである。
 
 長い間留守にした後で、日本に戻ってきた昨年の十二月から今年の二月まで、大新聞の見出しを追っていると、各紙の論調はまるで、小沢が人殺しでもしたあげく、有罪判決を逃れようとしてでもいるかのように責め立てていると、筆者には感じられる。



小沢の秘書が資金管理団体の土地購入を巡って、虚偽記載をしたというこの手の事件は、他の民主主義国家であれば、その取り調べを行うのに、これほど騒ぎ立てることはない。



まして我々がいま目撃しているような、小沢をさらし者にし、それを正当化するほどの重要性など全くない。しかも検察は嫌疑不十分で小沢に対して起訴することを断念せざるを得なかったのである。



なぜそれをこれほどまでに極端に騒ぎ立てるのか、全く理解に苦しむ。検察はバランス感覚を著しく欠いているのではないか、と考えざるを得なくなる。
 
 しかもこのような比較的些細なことを理由に民主党の最初の内閣が退陣するのではないか、という憶測が生まれ、ほぼ連日にわたって小沢は辞任すべきだという世論なるものが新聞の第一面に掲載されている様子を見ていると、たまに日本に戻ってきた筆者のような人間には、まるで風邪をひいて発熱した患者の体温が、昨日は上がった、今日は下がったと、新聞がそのつど大騒ぎを繰り広げているようにしか思えず、一体、日本の政治はどうなってしまったのかと、愕然とさせられるのである。



つい最近、筆者が目にした日本の主だった新聞の社説も、たとえ証拠が不十分だったとしても小沢が無実であるという意味ではない、と言わんばかりの論調で書かれていた。



これを読むとまるで個人的な恨みでもあるのだろうかと首を傾げたくなる。日本の未来に弊害をもたらしかねぬ論議を繰り広げるメディアは、ヒステリックと称すべき様相を呈している。
 
 普天間基地の問題を巡る対応からして、アメリカの新大統領は日本で起こりつつある事態の重要性に全く気づいていないのがわかる。



オバマとその側近たちは、安定した新しい日米の協力的な関係を築くチャンスを目の前にしておきながら、それをみすみすつぶそうとしている。それと引き換えに彼らが追求するのは、アメリカのグローバル戦略の中での、ごくちっぽけなものにすぎない。
 
 当初は、世界に対する外交姿勢を是正すると表明したのとは裏腹に、オバマ政権の態度は一貫性を欠いている。



昨年、日本では、1950年代以来、最大規模の権力の移転が起きた。そして民主党は、いくつかの事柄に関して、もはや二度と後戻りすることができないほどに、それらを決定的に変えた。



しかしながら、だからといって民主党の権力が強化されたわけではない。民主党はこれからもたび重なる試練に立ち向かわねばならぬだろう。
 
 もし鳩山内閣が道半ばにして退陣するようなことがあれば、それは日本にとって非常に不幸である。



自民党が政権を握り、毎年のように首相が交代していた時期、一体何がなされたというのか? もし、またしても「椅子取りゲーム」よろしく、首相の顔ぶれが次々と意味もなく代わるような状況に後退することがあっては、日本の政治の未来に有益であるはずがない。
 
 民主党の力を確立するためには、当然、何をもって重要事項とするかをはき違えた検察に対処しなければならず、また検察がリークする情報に飢えた獣のごとく群がるジャーナリストたちにも対応しなければなるまい。

 

いま我々が日本で目撃しつつあり、今後も続くであろうこととは、まさに権力闘争である。これは真の改革を望む政治家たちと、旧態依然とした体制こそ神聖なものであると信じるキャリア官僚たちとの戦いである。



しかしキャリア官僚たちの権力など、ひとたび新聞の論説委員やテレビに登場する評論家たちが、いま日本の目の前に開かれた素晴らしい政治の可能性に対して好意を示すや否や、氷や雪のようにたちまち溶けてなくなってしまう。



世の中のことに関心がある人間ならば、そして多少なりとも日本に対して愛国心のある日本人であるならば、新しい可能性に関心を向けることは、さほど難しいことではあるまい。

 

日米関係に目を転じるならば、そこにもまたきわめて興味深い権力のダイナミクスが存在しており、日本に有利に事態の解決を図ることができると筆者は考えている。



世界の二大先進パワーは、きわめてユニークな形で連携している。日米関係に類似したものは、世界のどこにも存在しないだろう。
 
 鳩山が対米外交において失策を重ねていると批判する人々は、ことアメリカとの関係においては正常な外交というものが存在しない事実を見過ごしにしている。



なぜならアメリカはこれまでも日本を、外交には不可欠な前提条件であるはずの真の主権国家だとは見なしてこなかったからである。



そして日本は最後にはアメリカの望み通りに従うと、当然視されるようになってしまったのだ。鳩山政権は、これまで自民党が一度として直視しようとはしなかったこの現実に取り組む必要がある。
 
 誰もがアメリカと日本は同盟関係にあると、当然のように口にする。しかし同盟関係の概念が正しく理解されているかどうかは疑わしい。



同盟関係とは、二国もしくはそれ以上の独立国家が自主的に手を結ぶ関係である。ところがアメリカとの同盟関係なるものが生じた当時の日本には、それ以外の選択肢はなかった。



第二次世界大戦後の占領期、アメリカは日本を実質的な保護国(注:他国の主権によって保護を受ける、国際法上の半主権国)とし、以後、一貫して日本をそのように扱い続けた。



また最近ではアメリカは日本に他国での軍事支援活動に加わるよう要請している。実質的な保護国であることで、日本が多大な恩恵を被ったことは事実だ。日本が急速に貿易大国へと成長することができたのも、アメリカの戦略や外交上の保護下にあったからだ。
 
 しかしこれまで日本が国際社会で果たしてきた主な役割が、アメリカの代理人としての行動であった事実は重い意味を持つ。



つまり日本は、基本的な政治決定を行う能力を備えた強力な政府であることを他国に対して示す必要はなかった、ということだ。



これについては、日本の病的と呼びたくなるほどの対米依存症と、日本には治的な舵取りが欠如しているという観点から熟考する必要がある。



民主党の主立った議員も、そしてもちろん小沢もそのことに気づいていると筆者には思われる。だからこそ政権を握った後、民主党は当然のごとく、真なる政治的中枢を打ち立て、従来のアメリカに依存する関係を刷新しようとしているのだ。
 
だが問題は厄介さを増しつつある。なぜなら今日のアメリカは戦闘的な国家主義者たちによって牛耳られるようになってしまったからだ。



アメリカが、中国を封じ込めるための軍事包囲網の増強を含め、新しい世界の現実に対処するための計画を推進していることは、歴然としている。そしてその計画の一翼を担う存在として、アメリカは日本をあてにしているのである。
 
 かくしてアメリカにとって沖縄に米軍基地があることは重要であり、そのことにアメリカ政府はこだわるのである。



しかしアメリカという軍事帝国を維持するために、それほどの土地と金を提供しなければならない理由が日本側にあるだろうか? 日本の人々の心に染み付いた、アメリカが日本を守ってくれなくなったらどうなる、という恐怖心は、1989年以来、一変してしまった世界の状況から考えて、ナイーブな思考だとしか評しようがない。
 
 筆者は、日本がアメリカを必要としている以上に、アメリカが日本を必要としているという事実に気づいている日本人がほとんどいないことに常に驚かされる。



とりわけ日本がどれほど米ドルの価値を支えるのに重要な役割を果たしてきたかを考えれば、そう思わざるを得ない。しかもヨーロッパの状況からも明らかなように、アメリカが本当に日本を保護してくれるのかどうかは、きわめて疑わしい。
 
 まったく取るに足らない些細な出来事が、何か強大なものを動揺させるとすれば、それはそこに脅しという権力がからんでいるからだ。



アメリカが日本に対して権力を振るうことができるとすれば、それは多くの日本人がアメリカに脅されているからだ。彼らは日本が身ぐるみはがれて、将来、敵対国に対してなすすべもなく見捨てられるのではないか、と恐れているのだ。
 
 そして日本の検察は、メディアを使って野心的な政治家に脅しをかけることで、よりよい民主国家を目指す日本の歩みを頓挫させかねない力を持っている。
 
 この両者は、日本の利益を考えれば、大いなる不幸と称するよりない方向性を目指し、結託している。



なぜなら日本を、官僚ではなく、あるいは正当な権力を強奪する者でもない、国民の、国民による、そして国民のための完全なる主権国家にすべく、あらゆる政党の良識ある政治家たちが力を合わせなければならない、いまというこの重大な時に、検察はただ利己的な、自己中心的な利益のみを追求しているからである。



そしてその利益とは、健全な国家政治はどうあるべきか、などということについては一顧だにせず、ただ旧態依然とした体制を厳格に維持することに他ならないのである。
 
 日本のメディアはどうかと言えば、無意識のうちに(あるいは故意に?)、現政権が失敗すれば、沖縄の米軍基地問題に関して自国の主張を押し通せると望むアメリカ政府の意向に協力する形で、小沢のみならず鳩山をもあげつらい(やったこと、やらなかったことなど、不品行と思われることであれば何でも)、彼らの辞任を促すような状況に与する一方である。



しかし彼らが辞任するようなことがあれば、国民のための主権国家を目指す日本の取り組みは、大きな後退を余儀なくされることは言うまでもない。
 
 日本の新政権が牽制しようとしている非公式の政治システムには、さまざまな脅しの機能が埋め込まれている。何か事が起きれば、ほぼ自動的に作動するその機能とは超法規的権力の行使である。このような歴史的な経緯があったからこそ、有権者によって選ばれた政治家たちは簡単に脅しに屈してきた。
 
鳩山政権にとっては、アメリカの脅しに屈しないことが、きわめて重要である。日本に有利に問題を解決するには、しばらくの間は問題を放置してあえて何もせず、それよりも将来の日米関係という基本的な論議を重ねていくことを優先させるべきである。
 
 アメリカがこの問題について、相当の譲歩をせず、また日米両国が共に問題について真剣に熟考しないうちは、たとえ日本が五月と定められた期限内に決着をつけることができなかったとしても、日本に不利なことは何ひとつ起こりはしない。
 
 それより鳩山政権にとっては、国内的な脅しに対処することの方が困難である。普通、このような脅しに対しては、脅す側の動機や戦略、戦法を暴くことで、応戦するしかない。



心ある政治家が検察を批判することはたやすいことではない。すぐに「検察の捜査への介入」だと批判されるのがおちだからだ。つまり検察の権力の悪用に対抗し得るのは、独立した、社会の監視者として目を光らせるメディアしかないということになる。
 
 日本のメディアは自由な立場にある。しかし真の主権国家の中に、より健全な民主主義をはぐくもうとするならば、日本のメディアは現在のようにスキャンダルを追いかけ、果てはそれを生み出すことに血道を上げるのを止め、国内と国際政治の良識ある観察者とならなければならない。



そして自らに備わる力の正しい用い方を習得すべきである。さらに政治改革を求め、選挙で一票を投じた日本の市民は、一歩退いて、いま起こりつつあることは一体何であるのかをよく理解し、メディアにも正しい認識に基づいた報道をするよう求めるべきなのである。

 
【転載終了】  





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石川知裕さんを救え! (「日本人」の研究!)

2011-07-31 08:29:58 | 阿修羅


石川知裕さんを救え! (「日本人」の研究!)
http://www.asyura2.com/11/senkyo117/msg/321.html
投稿者 七転八起 日時 2011 年 7 月 29 日 13:04:58: FjY83HydhgNT2


http://cpt-hide-cook.seesaa.net/article/217189533.html


 振り返ってみれば、
この「陸山会事件」というのは、
杜撰極まりない。

まったくデタラメな作られた
ストーリーであり、お粗末そのモノ。

今回の原発の管理でも
分かるように、緩みきった
官僚体質そのものを顕わしている
ようだ。

もし、ちゃんとした会計士さんが、
この陸山会の収支報告書を
2004年から2007まで、
順を追って見れば、
「何でこれが虚偽記載なのか?」
と、困惑するであろう。

その陸山会の収支報告書が、
絶対無実の証拠であり、
検察だろうと、裁判所だろうと
誰にも動かすことができない。

実際に、石川さんも
「会計士の先生の指示にそって
収支報告書を作成した」
と語っておられ、
大変優秀な会計士さんであると
推測できる。

また、選挙を管理する
総務省でも「問題ない」
と、言っているとのこと。

さらに石川さんの録音により、
検察のデタラメをさらけ出してしまった。

こんなにも真っ白なのに、
どうも石川さんは有罪にされる
可能性があるという。

さらに小沢さんについても、
いつになったら裁判が終わり、
自由の身になるというのか?

9月から裁判が始まり、
たとえ「無罪」であろうとも、
地裁、最高裁へと進むであろう。

インターネット上では
「小沢側の勝利」のようなことが
多く書かれているが、
現状を冷静に見つめれば、
裁判を止めさせない限り、
既得権益側の勝利になるのでは
なかろうか。

無駄に費やした時間は
取り返しが付かない。

この時期、一年、二年
無駄に浪費することが
どれほど、日本に損害を
与えることか。

この大変な国難に対して、
有能な政治家をこんなくだらない裁判で、
手枷足枷をかけ続けたこと、
後生の歴史において、
なんと語られるのだろうか。

もう検察のデタラメが知れ渡って
しまった以上、一刻も早く、
こんな茶番な裁判も止めさせ
なくてはならない。

そして、本当に実力のある政治家を
しっかりとした地位につけ、
この国難にあたらせる。

石川さんが「有罪」なんて
とんでもない話だ。

決死の覚悟で、
検察に立ち向かった
勇敢な若い政治家を
葬り去るのか。

あのレコダーでの録音が
どれほど、小沢さんを救い、
そして日本の未来に希望を
つないだことか。

もし、日本が小沢さんの手によって
うまくこの難局を乗り越えられれば、
石川さんの行為は
歴史の教科書に載ってもよいくらいだ。

石川さんが小沢さんに仕えた時期というのは、
小沢さんが政治家として、
大変な谷底の時代。

与党でもない。

落ち目の小党党首か、
はたまた野党の一兵卒の時代だ。

その時代、多くの側近が
小沢さんの元から去った。

マスコミには、リンチのように
叩かれ続け、
「もう小沢はおしまいだ」
と言われ続けた時代に
石川さんは仕えつづけた。

ある元秘書などは、この時期に
小沢さんの元から離れ、
小沢さんの選挙区から
対抗馬として立候補した。

また、ある元秘書の国会議員も、
小沢さんが一番落ち目だった
自由党分裂の時に、
保守党に移っていった。

誰もが自分の身はかわいいモノだ。

そんな人たちを責めるつもりはないが、
そんな環境の中で、
しっかりと信念がなければ、
小沢さんに仕え続けるというのは、
並大抵のことではない。

今回の検察の仕打ちに関して、
普通の人なら気が狂うであろう。

石川さん自身、自殺をも考えたそうだ。

時には、検察から甘い誘惑も
あっただろう。

しかし、根を上げない。

そして、裁判も
最後までやり続けた。

これがどれほど大変なことか。

こんな政治家を見殺しにしても
よいのだろうか。

我々国民は、国民のため
勇敢に戦い続けている人間を
救わなくてはならないのでは
なかろうか。

そして、石川さんを救うことが
世間に対して
「国民はしっかりと見ている」
という
我々の意思表示につながる。

欺瞞に満ちた世の中で、
少しでも正しさを取り戻すには、
ちゃんとした政治家を守ること。

そして、石川さんを支援することによって、
石川さん自身に
「しっかり国民がついている」
ということを、強く理解させたい。

さらに信念を通して生き続ければ、
お天道さんも見放さないし
強い絆で結ばれた支持者を得ることができることを、
肌で感じてもらいたい。

石川さんも裁判費用捻出にも
大変苦しいるらしい。

石川さんのホームページを見ると
裁判費用のカンパの募集していた。

小銭であるが、さっそく
カンパしてみることにした。

さらに、大変な恐怖に
勇敢に立ち向かった
石川知裕という政治家を、
いろんなところで
語り継ぎたいと思う。

どうか、皆さん
石川さんを救って下さい。  






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★1.原子力村「やらせ汚染」暴露進む

2011-07-30 18:31:03 | 国民主権


★1.原子力村「やらせ汚染」暴露進む

 シンポジウムでも裁判の傍聴でも電力会社が「動員」を掛けていたのは、
昔から原発反対派の間では有名でしたが、九州電力の「やらせメール」を
発端に問題の暴露が進んできました。
 中部電力、四国電力は「原子力安全・保安院」からプルサーマルの
シンポジウムで動員と「やらせ質問」を指示されたことを暴露しました。
事業者のみならず、国を巻き込んだ「やらせ汚染」は深刻です。
 事業者であれば原発の設置許可取り消しなどの行政処分が妥当です。
日本国政府にも行政処分が必要です。日本国政府から今後原子力推進に
携わる資格を取り上げる必要があります。
 根本的な解決策は、国が推進するという姿勢そのものを変えることです。
国が推進姿勢を取る限り今後とも「やらせ」は無くならないでしょう。
 そもそも原子力がすばらしいものであるならば国が税金を使って推進など
する必要はありません。政府は規制だけしていれば十分です。(原田)


★2.国家による言論統制はじまる?
   原発安全神話を作り、間違った情報を出し続けた経産省と
   安全保安院の責任を問う
   詐欺集団経産省によるインターネット規制はまちがい
   予算中止せよ
山崎久隆
◎ 数百万人単位で人々を被ばくさせ、いまだに法的には放射線管理区域とすべ
きところに数万人の子どもたちを取り残し、さらに「100ミリシーベルトまでの
被曝は健康に影響がない」などとデマをまき散らし、安全神話を繰り返してきた
原子力安全委員会に、「ストレステスト」なる出来レースの追試をさせてカタチ
ばかりの「チェック」を行ったことにして運転を強行しようとしている詐欺集団
経産省、これらを称して「犯罪者集団」と呼ぶべきところ、これら犯罪者集団は
国家権力を背景に、今度は言論統制に乗り出そうというのだから、たいした国だよ
この国は。
◎ その名も「原子力発電所や放射線に関連したインターネット上の「不正確・
不適切」な情報を経済産業省・資源エネルギー庁が監視する事業」なのだという。
誰が一体いままで不正確、不適切情報を流してきたと思っているんだ。
 東京新聞の報道によると、この事業は広告代理店のアサツーディ・ケイが約七千
万円で落札・契約したのだそうだ。七千万円あればどれだけの人々が汚染地帯から
避難できるだろうと考えると、涙が出そうだ。
 6月24日に入札公告された「Twitter、ブログなどネット上に掲載される原子力
などに関する不正確な情報または不適切な情報を常時モニタリングし、それに対し
て速やかに正確な情報を提供し、または正確な情報へ導くことで、原子力発電所の
事故などに対する風評被害を防止する」目的のこの事業、対象が「長崎大・山下俊一
教授」だったりするならばもっともなことなのだが、どうやらそうではないらしい。
◎ 東京弁護士会はさっそく竹之内明会長名で声明を公表。「何をもって『正確』
『適切』かは一義的に明らかといえない」「政府自身が情報の『正確』『適切』性を
判断して情報コントロールをすることを意図するものであると解さざるをえない」と
批判し、強い懸念を表明した。
 誰もが知るとおり、3月11日からテレビに出てきて解説をしていた関村東大教授ら
は、テレビ画面で1号機の爆発の映像が映っているにもかかわらず、ベントをすれば
大きな音がすることもあるなどというような、事実を全く無視した風説を垂れ流し、
さらに原子力安全委員会の斑目委員長などと共に完全に誤った風説を安全委などの権威を
背景にばらまき続けた結果、人々に安全神話に基づく誤解と誤った行動動機をもたらし、
近隣住民の避難を妨害したあげくに、原子炉の破局的事故の可能性を否定したために
初動の防災体制さえ妨害し、国際的な救援や助言をも拒否させるきっかけを与えたと
考えられる。
◎ これら安全神話と自己保身に基づく行動こそが、原発震災をさらなる原子炉破壊や
住民被ばくあるいは広域汚染に導き、結果、取り返しのつかない被害を国民へ与えた。
広瀬さんや明石さんが告発するとおり。
 こういうことが取り締まられる事業ならば大いにけっこう。ほんとうに順番が全く
あべこべ。責任者の追及こそがまず行われるべきことだ。国会は一体何をしているのか。





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「世界の最終処分場」 (飯山一郎HP)

2011-07-30 12:34:07 | 阿修羅


「世界の最終処分場」 (飯山一郎HP)
http://www.asyura2.com/11/genpatu14/msg/828.html
投稿者 極楽とんぼ 日時 2011 年 7 月 28 日 06:58:37: /lwF1HCtYSDhs


http://grnba.com/iiyama/index.html#ws1121

◆2011/07/27(水) 「世界の最終処分場」


昨日,私は発作的に飛行機に飛び乗り「上京」した.
東京は頭狂なので,アジアの首都・北京に来ることが真の「上京」だ.
つまり,いま,私は緑豊かな森の都・北京にいる..
それにしても海外に出ると,日本の駄目さが良く分かる.
湯川れい子のツイートは,ずばりマトをついている.


上から目線で中国高速列車事故処理を追求している日本のマスコミ。
同じくらいの勢いで東電を責めましたか?
隠蔽体質、嘘世界一技術、嘘絶対安全、放射能が大切な国土を何十年も
汚染した東電の事故の方がよっぽど世界的に恥ずべき事でしょうが!

きのこ組のお姐さんも,日本の鉄道事故の多さをタナにあげたゴミウリ新聞を
からかっているが,隣国を悪し様に軽蔑する日本のマスコミと,マスコミを信じ
きっている日本人は,ほんと,救いようがない.
この「救いようがない」というのは,文字通り「救いきれない」ことで,ハッキリ
言うと,放射能地獄のなかで「滅んでいく」,「死んでいく」ということだ.
もっとハッキリと断定的に予言しておこう.

20年後…,
日本列島の中央部分(東北.関東・中部)は,放射性物質が積もりに積もって,
人が住める場所ではなくなるどころか,人が死に絶え無人の荒野になる….
それでも使い道はあるもので,福島・茨城・宮城などは,世界中から運ばれて
くる放射性廃棄物の最終処分場になる!

こういうことを平気で考えるのが原発村の連中で,広島・長崎に平然と原爆を
落とし,ビキニの環礁を水爆で激しく破壊し,日本中に54基もの原発をつくり,
その原発が4基も爆発し,放射能がダダ漏れになり,数千万人が被曝しても
平気の平左で原発推進が目的の節電大キャンペーン.

ま,見えるヒトは見える,見えないヒトは何も見えない近未来つーことで….






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杉並の山崎です。

2011-07-30 05:48:51 | 真相の深層


杉並の山崎です。

■ 情報拡散をお願いします

7月27日衆議院厚生労働委員会での児玉龍彦東大教授の発言に関して3つのTwitterを発信しました。

「草の根ネットワーク」で情報拡散をお願いします。



chateaux1000 山崎康彦


7月27日衆議院厚生労働委員会での児玉龍彦東大教授の 発言③3つの緊急提案(1) 国策として食品・土壌・水を日本が持っている最新鋭機器を投入して抜本的に改善する

(2) 緊急に子供の被曝を減少させるために新しい法律を制定する(3) 国策として土壌汚染を除染する技術に民間の力を結集する



chateaux1000 山崎康彦


7月27日衆議院厚生労働委員会での児玉龍彦東大教 授の発言②「7万人の住民が救いを求めてさまよっているときに国会はいったい何をやっているのですか?」
p.tl/9mcc


chateaux1000 山崎康彦


7月27日衆議院厚生労働委員会での児玉龍彦東大教 授の発言①「福島原発から放出された「放射性物質総量」は熱量ベースで広島原爆の29.6個分、

ウラン量で広島原爆の20個分、1年後の残存量で広島が1/1000に対して福島原発では1/10でしかない。p.tl/9mcc

(終わり)









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「原点への回帰」を強調した小沢一郎民主党元代表

2011-07-29 19:34:45 | 植草一秀氏の『知られざる真実』


「原点への回帰」を強調した小沢一郎民主党元代表




民主党の小沢一郎元代表が7月27日、自由報道協会主催の記者会見に出席した。記者会見に先立って、オランダの政治学者であるカレル・ヴァン・ウォルフレン氏との対談も公開中継された。
 
 ウォルフレン氏は本ブログでも何度も取り上げている政治学者で、日本政治の深層を鋭く抉り出してきた気鋭の学者である。
 
“Character Assassination”と表現される「人物破壊工作」が、欧米では政敵を攻撃するために用いられることを指摘し、日本では小沢一郎元代表に対して、異常に激しい人物破壊工作が徹底して長期間継続して実行されてきたことを著書で明らかにされている。
 
 菅直人氏が内閣不信任決議案可決の瀬戸際に追い込まれたのが6月2日である。間もなく2ヵ月の時間が過ぎ去ろうとしている。菅直人氏はこの決議案上程に際して、民主党代議士会で辞意を表明したが、不信任決議案が否決されると態度を一変させ、いまも総理の椅子にしがみついている。
 
 菅直人氏は手を変え品を変え、総理の椅子にしがみつくための小手先の策を弄しているが、主権者国民は菅直人氏の言動を冷ややかな視線で見つめている。



主権者国民の多数は「脱原発」に賛成の考えを有しているが、菅直人氏に対する支持は皆無に近い状態になっている。本当に「脱原発」を推進しようとするなら、少なくとも電力会社には、原子力損害賠償法の規定に沿って、応分の責任を求めなくてはならない。
 
 東京電力が法律の規定に沿って応分の責任を負うことになると、東電は100%破たんする。東電を法的整理しなければならなくなる。菅政権は法律の規定だからこれを遵守するのではなく、東電を守らねばならないから法律を変えてしまい、過去の事案に改正した法律で対応するという、法治国家の根幹を揺るがす行動を平然と取り続けている。
 
 電力会社は、今回のような事故を引き起こせば会社が破たんする現実を突き付けられれば、原発事業に対して、少しはまともな対応を示すことになる。事故を発生した際の責任が重ければ、巨大リスクを伴う原発事業から撤退するとの判断も生まれて来るのである。
 
 このような当然の施策も取らずに、「脱原発」を叫んでみたところで、誰も信用しないのだ。



菅直人氏は退陣の3条件を掲げた。この条件が整えば、首相を辞任する以外に道はない。憲法に保障された権利だとして解散権を主張しているが、この期に及んでの解散は政治の私物化以外の何者でもない。
 
 小沢元代表は、菅内閣に対する内閣不信任決議案の再提出はあり得るとの見解を示したが、これは西岡武夫参議院議長の見解とも一致する。菅直人氏がこれ以上、総理の椅子にしがみつく場合には、内閣主信任決議案を再提出することが強く求められる。
 
 主権者国民はポスト菅体制を真剣に考察しなければならない。
 
 岡田克也氏はこの政局を党内政局に利用する姑息な姿勢を示している。天下の大道、正道を踏み外し、ひたすら自己の政治的な利害だけを優先して行動するこの人物が民主党幹事長職に留まっていることが、日本政治を腐らせているひとつの原因になっている。
 
 菅直人氏の退陣問題と民主党マニフェストを絡ませるべきでない。野党との交渉においては、赤字国債法案と首相辞任を交換条件にすればよいわけで、赤字国債法案と民主党マニフェストの放棄とは交換条件にならない。
 
 なぜなら、民主党マニフェストは、主権者である国民が2009年8月総選挙において、今後の日本政治の基本方針として採用したという、極めて重大な意味を有しているからである。2009年8月の主権者国民の選択はいまも効力を有しており、それを一介の幹事長が葬り去ることは明らかな越権行為である。
 
 与党が首相辞任を確約し、それでも野党がマニフェストを放棄しないなら赤字国債法案を通さないと主張するなら、そのまま放置すればよいのだ。赤字国債法案が可決されなければ政府機能はマヒする。そのとき、マヒの原因が国民から政権を委ねられていない野党が、与党がマニフェストを放棄しないから赤字国債法案を通さないことにあると主権者国民が知れば、非難の矛先は必ず野党である自民党と公明党に向かう。
 
 与野党協議では、筋の通った正統性のある対応を示すべきであるのに、岡田克也氏は正道を踏み外し、個利個略で動く。幹事長職にもっともふさわしくない人物である。



小沢元代表は民主党代表選について、「原点回帰」を強く主張した。6月16日に開かれた「小沢一郎議員を支援する会」と「日本一新の会」が主催するシンポジウム「小沢一郎と新しい日本の政治」に講演者の一人として出席させていただいた際、私は「日本の新しい政治の考え方」と題して「原点回帰」の重要性を強く訴えた。
 
 その内容は、本ブログ6月18日付記事
「シンポジウム「小沢一郎と新しい日本の政治」開催」
に記述しているので、ぜひご高覧賜りたい。
 
 その際、私は三つの原点回帰を提示した。民主主義の原点への回帰、政権公約の原点への回帰、そして、日本政治構造刷新の重要課題への原点回帰である。
 
 民主主義の原点への回帰とは、主権者国民からの信託のない政権に正統性はないということだ。この点は菅直人氏も認識はしているはずだ。だからこそ、2010年7月参院選を政権への信託を問う選挙と位置付けたのだ。結果は、「不信任」だった。したがって、この時点で菅直人氏は辞任しなければならなかったのだ。このことは本人が一番よく知っていることだろう。
 
 政権公約の原点への回帰も重要である。民主党政権は、天下りなどの政府支出の無駄を排除して国民の生活を第一とする政策を公約として掲げた。子ども手当、高校授業料無償化、高速道路料金無料化、農家個別所得補償などだ。これらの政策方針を主権者国民は支持している。
 
 十分でなかったのは天下り根絶などの政府支出の無駄排除である。
 
 この公約の原点に立ち帰ることが重要である。
 
 日本政治構造刷新の重要課題への原点回帰とは、米官業政電の利権複合体=悪徳ペンタゴンが支配する日本政治構造を刷新することだ。
 
①米国の言いなりになる政治
②官僚が支配する政治
③大資本と政治屋が癒着する政治
 
を根絶し、
 
主権者国民が支配する政治=国民の生活が第一の政治
 
を確立することこそ、政権交代の実現によって達成すべき目標である。
 
 政権交代は手段であって目標ではない。政権交代の実現によって、日本政治の構造を変革することが目標なのだ。



こうした視点に立って、ポスト菅体制を考察しなければならない。

 ネット上の世論調査では、次期首相候補ナンバーワンは小沢一郎氏である。主権者国民は小沢一郎政権の実現を待望している。だが、直ちに小沢一郎氏が前面に登場するのかどうかは、小沢元代表の戦術、戦力に依るものであるから、慎重に状況を見守る必要がある。
 
 何よりも重要なことは、民主党の実権を「正統民主党」が「悪徳民主党」から奪還することである。そのためには、民主党内の小沢一郎氏グループと鳩山由紀夫氏グループが結束し、「正統民主党」が民主党の過半数を掌握することである。
 
 不正な代表選が行われないように、代表選前に民主党執行部を交代することが強く求められる。両院議員総会を開催して、代表選の前に党執行部を交代させ、公正な代表選を行うことが求められている。





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組織ぐるみ悪徳九電のガン松尾新吾会長の居直り

2011-07-29 05:47:50 | 植草一秀氏の『知られざる真実』



組織ぐるみ悪徳九電のガン松尾新吾会長の居直り




原発の稼働再開をめぐって開かれた公開放送の住民説明会で、会社ぐるみで偽装メール送信を指揮し、企業体質が問われている九州電力が、経産相の意向に対して反旗を翻し、居直る姿勢を示している。
 
 このような常識はずれの企業や企業経営者を通常は攻撃するマスゴミも、その多くが明確な批判を展開していない。
 
 客観的に評価して、九州電力の責任は甚大である。東電が福島原発で重大な原発爆発事故を引き起こし、日本全体、さらには全世界に甚大な被害を与えている。
 
 この事故を踏まえれば、新たな原発の稼働に際して、慎重の上にも慎重な検討を積み重ねるべきことは当然である。とりわけ、地域住民の理解と協力なしに原発の再稼働などあり得ない。
 
 その住民との交渉の場である住民説明会の場で、やらせメールを企業ぐるみで指揮し、公開番組を人為的に歪めた責任は計り知れない。
 
 九電の最高責任者および関連した幹部職員の引責辞任は免れないというのが、常識の判断である。
 
 海江田経産相が提示した社長辞任の必要性は、単なる大臣所見ではなく、国民世論を代表する見解である。しかし、九州電力の実際の権力者は真部利應社長ではなく松尾新吾会長である。したがって、真部社長と松尾会長の引責辞任が求められるのが当然だ。
 
 ところが、7月27日に開かれた取締役会では、社長辞任も会長辞任も決定されなかった。取締役会後に開かれた記者会見では、松尾会長が、
 
「九州電力はとりわけ信頼できる会社だと思われている」
 
と言ってのけて、開き直り、居直りの傍若無人の行動を繰り広げた。



真部社長が7月19日に辞任届を松尾会長に提出したことを明らかにされたが、この事実でさえ、記者会見開始から1時間半後までの長期間、隠蔽され続けてきた。
 
 世の中を甘く見て、自ら襟を正す姿勢を失った企業。日本の企業風土は地に堕ちたと言って差し支えないだろう。九州電力のがんは松尾新吾会長の姿勢に存在することが誰の目にも明白になった。
 
 正しい道が行われるには、この会長を必ず引責辞任に追い込むことが必要だ。こうしたせめぎ合いにおいて、正義が破れ、悪徳が栄える実績が積み上げられれば、この世は闇になる。
 
 一方で、電力会社のぬるま湯体質を生み出す原因が政府の側にあることを見落とせない。
 
 日本には原子力事故が発生した際の損害賠償について定めた法律が存在する。東電の福島原発事故に伴う損害賠償問題に対して適用できる法律はこの法律以外に存在しない。
 
 したがって、損害賠償のあり方を具体的に定めるに際して、この法律を適用すべきことは言うまでもない。
 
 ところが、この法律に沿って処理を進めると東電は破たんし、東電の法的整理が必要になる。そこで、菅政権は事後的に法律を改正し、法律改正前に発生した事案を、事後に改正した法律で処理することを進めている。
 
 法治国家の大原則を無視した言語道断の対応であり、議会はこのような政府の横暴を正すべき役割を担っている。ところが、驚くべきことに、議会野党である自民党や公明党も、この反法治国家の施策を積極推進しているのだ。



原発マネーにまみれた悪徳民主党と自民・公明の連合体が、電力会社の責任を排除し、不正に電力会社を救済し、原発ビジネスを擁護しようとしている。
 
 菅直人氏は「脱原発」を掲げながら、法治国家の根幹を踏みにじる東電救済策を積極推進しているのだから、その言葉のすべてを信用するわけにはいかない。
 
 海江田経産相は九州電力に襟を正すことを求める前に、自らの襟を正すべきである。相手が巨大な政治力を持つ電力会社であろうとも、法治国家である以上、法の支配を貫かなければ、この世のすべてが、情実に流れ、社会の力関係で決定されることになる。
 
 福島原発事故の直後に発生した焼き肉チェーン会社は、食中毒事故発生の影響で会社解散に追い込まれている。焼肉屋は解散で当然だが、電力会社は救済の理屈は、正当な考察からは導かれない。
 
 このような天下の正道に反する行動が政府、そして民間企業で横行することが、日本中枢だけでなくにほんそのものの崩壊をもたらしているのだ。本を質せば、菅直人氏のペテン居座りが、日本社会から矜持を失わせる原因になっているのだ。
 
 このまま進めば、日本社会は世界で最弱の社会に変質することになるだろう。





コメント
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