行政資料公開は与党の許可制、公文書を事後に捏造…安倍政権の情報隠蔽はもはや独裁国家並みだ
2017.04.25 Litera
http://lite-ra.com/2017/04/post-3106.html
森友問題で「与党の許可なしに資料を提出できない」とトンデモ宣言
北朝鮮危機の扇動ですっかりしぼんでしまった森友学園問題だが、本当にこのまま終わらせてしまっていいのか。
学園の国有地格安取得や学校法人認可をめぐる不正を放置してはならないのはもちろんだが、もっと問題なのは、森友問題がうやむやになってしまうと、安倍政権や官僚の情報隠蔽を認めることになってしまうことだ。権力に都合の悪い情報はすべて隠していい、公文書はどんどん破棄してしまえ、そんな安倍政権の姿勢が既成事実化されてしまうのである。
実際、すでに、安倍政権は完全に開き直っている。20日の国会で、森友学園問題をめぐる資料の公開について質疑応答があったのだが、その際、事実解明のために公文書等の資料提出が求められても、自民党ら与党がOKを出さなければ、行政や政府機関はこれを開示しないという方針が明らかになったのだ。
問題の答弁が出たきっかけは、4月20日の参院国土交通委員会で、共産党の辰巳孝太郎議員が森友問題の国有地売却をめぐる資料開示について、行政側とのこんなやりとりを暴露したことだ。
「(森友問題について)審議に必要な資料がまったく出てこない。これも問題です。刑事訴追とは無関係な一般的な資料提出もない。たとえば国交省はこの間、有益費の中身について、補償した項目を全て資料として出すように私は求め続けてまいりました。ところが、これらの資料について、国交省や財務省は『与党の許可が得られないと出せない』と、こう言ってきたわけであります。行政機関が一政党の許可を得ないと国会議員の資料を出せないと、これ法的根拠を示していただきたい」
ところが、答弁に立った佐川宣寿理財局長はいつものごまかしに終始。当然だろう。「行政が与党の許可なしに資料を提出できない」ということに、法的根拠などあるわけもない。そこで、辰巳議員は「行政機関が、一政党である与党の許可なくして資料を出さないと言ってるんですよ。これ三権分立の観点からもおかしいと思いませんか」と今度は財務副大臣に尋ねると、なんと自民党の大塚拓財務副大臣は鼻で笑いながら、こう言い出したのである。
「本件、そうとう政治的問題になっておりますから、一般的に与党の理事に相談するのは、これ普通のことじゃないかという風に思いますけれども」
自衛隊PKO日報隠蔽も安倍政権の意向をくんだものだった
つまり、森友問題が「そうとう政治的問題」であることを理由に、行政が求められた資料提出を与党が封じることを、いとも簡単に正当化したのである。これは、与党に不利になるような資料開示が事実上不可能ということであり、まさに政治権力による事前検閲、国民の知る権利の侵害ではないか。
このトンデモ答弁については辰巳議員も「国権の最高機関であり唯一の立法府である国会の自殺行為」「国会審議と三権分立の形骸化」「行政機関と与党が一緒になって森友疑惑を隠蔽している」と強く糾弾したが、あまりにもその通りだ。こうした事態は、憲法で保障されているはずの国会による国政調査権の侵害にもあたり、もはや“独裁政権の末期的状態”と言わざるをえない。
しかも恐ろしいのは、安倍政権における情報隠蔽の問題は、森友問題で直接的な責任が問われている財務省及び国交省だけではないということだ。
周知のとおり、南スーダン自衛隊PKO派遣をめぐっては、当初、防衛省は陸上自衛隊の日報を「廃棄した」として不開示を決定しておきながら、実際には陸自内で保存されていたことが判明。そこには、文字どおり憲法9条に違反する現地の「戦闘」の実態が生々しく記されていた。
稲田朋美防衛相は「隠す意図はなかった」などと言い訳しているが、そんなはずはない。そもそも、日報が電子化されて統合幕僚監部に残されていることは、統合幕僚監部だけでなく多くの防衛省幹部が認識していたからだ。しかも防衛省はこのとき、日報が残っていることを明らかに確認していたのに1カ月以上もそのまま隠蔽し続けた。ようするに、安倍政権に極めて不利となる“自衛隊の戦闘”をそれこそ「政治問題化」しないために、組織ぐるみでひた隠しにしたと考える以外にない。
事実、国会で日報の隠蔽疑惑を追及された稲田防衛省は、対応策として不正の有無を調査するとの名目の特別防衛監察を指示したが、これを当初は「できるだけ早く」として中間報告をまとめる意向を示していたにもかかわらず、3月31日の衆院本会議では一転。特別防衛監察について「調査の過程で断片的な内容などを対外的に明らかにすることは、監察そのものに支障を来す恐れもある」などとして、中間報告の実施に慎重姿勢を見せている。報告ができない“不都合な事実”があると勘ぐられても仕方がない。
そもそも、この隠蔽問題解明の先陣を切ったジャーナリスト・布施祐仁氏による情報公開請求があった昨年9月は、自衛隊に安保法に基づく「駆け付け警護」の新任務を付与するかで紛糾していた時期だ。稲田防衛相が隠蔽を指示したかは現段階ではまだ明らかではないが、いずれにせよ、安倍政権に不利な「政治問題化」を避けようとの意向が防衛相や自衛隊内で働いていたことは、まず間違いないだろう。
すべては“安倍首相を守る”ため、加計学園疑惑でも疑惑の公文書が
その意味では、この日報隠蔽問題をめぐる公文書のありかたも、森友問題で与党がNOと言えば資料を出さないという行政のありかたと同様の構図と言える。「安保法の実績づくり」という政権の思惑のために、現地で極めて危険な状況におかれている自衛隊の実情を、国民から覆い隠す。いうまでもなく、到底民主主義国家のやることではなく、どこぞの独裁政権の手法とまるきり同じではないか。
そして、これらが極めて悪質なのは、相次ぐ行政資料や公文書をめぐる問題が、すべて安倍政権を守るために行われているからだ。それは、“第二の森友学園疑惑”こと学校法人加計学園の獣医学部キャンパス新設をめぐる疑惑についても同様だ。
念のためおさらいしておくと、加計学園グループは複数の大学、幼稚園、保育園、小中高、専門学校など様々な教育事業を配下に収める一大教育グループで、現理事長の加計孝太郎氏は、安倍首相の30年来の親友。実際、安倍首相が加計学園の運営する大学の記念式典に出席した際は、祝辞で加計氏のことを「どんな時も心の奥でつながっている友人、腹心の友だ」と評していた。
その加計学園グループ傘下の岡山理科大が来年4月、獣医学部を新設、愛媛県今治市に新キャンパスを開校、100億円近い血税が注ぎ込まれることになったのだが、その決定をめぐって、安倍首相の口利きや圧力があったのではなないかとの疑惑がもちあがっているのだ。
そして、この加計学園問題をめぐって国会で明らかになったのが、公文書のやらせ捏造疑惑だった。
獣医学部新設については、それまでの所管省庁の文部科学省は獣医師の質の確保を理由に一切認めてこなかった。それが首相が議長をつとめる政府の国家戦略特区諮問会議が獣医学部の「空白地域」に限って新設を認める方針を新たに示したとたん、各省庁も一転してこれを認めるかたちになった。
しかも、獣医学部新設については、京都産業大学なども提案していたのに、なぜか「1校限り」ということで、加計学園傘下の岡山理科大学だけが認められてしまったのである。
野党は国会で、その決定過程の不透明さを追及。自由党の森裕子議員が政府に対して政府内での合意文書の提出を求めたところ、この合意決定についての文書はないと答えていたという。ところが、4月4日の参院農林水産委員会で一転、山本幸三地方創生相、山本有二農水相、松野博一文科相が学部設置を「1校限り」で認めるという条件で三省合意したとする16年12月22日付文書の存在を突然明らかにしたのである。
公文書の事後作成疑惑も浮上、特定秘密保護法
これまで「なかった」と言っていた文書が急に「あった」として出てきたことを森裕子議員は疑問視。「実際にはつい最近つくったのではないか」と追及した。実際、4日の農林水産委の前日になっても農水省は森議員にこの文書を送ってきていなかったという。
「なぜすぐに公開しなかったんですか。本当にこれ12月22日につくったんですか? ない、ないって言ってたんですよね」
森議員はその証明として、元文書のファイル、サーバ記録、作成の日付が確認できるプロパティの提出を求めた。すると、松本洋平内閣府副大臣は一度は開示を認めたにもかかわらず、その2日後には「行政遂行に著しい支障が生じる」と撤回してしまったのだ。
この公文書をめぐる政府側のあまりに不可解な言動をみると、これも明らかに“加計学園ありき”をごまかすため組織ぐるみで文書を隠そうとしていることは疑いの余地がないだろう。しかも、それどころか、役人が政治家の指示によって後付けで“都合のよい公文書”を捏造していた可能性が非常に高い。繰り返すが、公文書は国民が行政の決定経緯を把握するためのもの。こんなことが許されるのならば、もはや政治家はやりたい放題である。
つまるところ、いまこの国は、政治権力による事前検閲や組織ぐるみの事実隠蔽、公文書改ざんが平気でまかりとおるような状況になっているのだ。しかもそれは、連中が大義名分にする「軍事機密」などといった大それたものではなく、もっとミクロで日常的な口利きレベルの問題にまで浸透している。
17日には、特定秘密保護法施行後初めて、いわゆる「特定秘密」文書が破棄に向けた手続きで進められていることが判明したと、毎日新聞や東京新聞が報じた。内閣府は協議入りの時期や、対象文書を持つ府省庁名、保存期間の年数を明らかにしていないという。公権力にとって不都合なことは闇に葬られ、国民は真実を知る手立てを奪われる。そういうディストピア小説のような状況が、いままさに進行中であることを、わたしたちは自覚するべきだ。