真摯な謝罪姿勢が感じられない勝俣東電会長会見
3月30日、東京電力の勝俣恒夫会長が記者会見を行った。用意された謝罪原稿を読み、頭を下げたが、謝罪の気持ちはまったく伝わってこないものだった。
関西電力の美浜原子力発電で作業にあたった職員が死亡する事故が発生した。当時の関西電力社長の藤洋作氏は被害者の自宅を一軒一軒訪問し、土下座をして謝罪して回った。電力会社に責任があるとはいえ、極めて誠意ある謝罪の姿勢が行動のはしばしから伝わる対応だった。
関西電力の経営に長くもっとも強い影響を与えてきたのは秋山喜久氏である。美浜原発事故で問題となった復水管を30年近く検査せず、「利益第一の社風が招いた人災」と批判された原因を生み出した最大の責任者が秋山氏だった。
経営陣の退陣を求める声が高まり、結局、藤洋作社長だけが辞任して、秋山氏は会長に居座った。謝罪に奔走したのも藤洋作氏一人であった。秋山氏が謝罪した場面があったのかどうかすら判然としない。
秋山氏は2006年に取締役を退任したが、10億円規模の退職慰労金を手にしたという。事故を発生させてしまった際の、経営責任者の行動様式には大きな温度差がある。
悲惨な事故を引き起こした際に、まず求められるのは真摯な謝罪の姿勢であり、藤洋作氏の行動には、その心が鮮明に示されていたが、今回の東電の事故では、事故を発生させた当事者としての振る舞いがまったく感じられない。
記者会見では、「人災の側面についてどう受け止めているか」との質問に対して、
「私自身、まずさは感じていない。現場は電気がついていない、通信ができない、そういう中で作業しなければならないから、長くかかった。意図せざる遅れがあったと思う」
と回答した。
さらに、「津波対策を怠った責任はどう考えているか」との質問に対しては、
「津波が大惨事を引き起こしたという意味で対策が不十分だったということになる。これまでの経緯をふまえて、十分だったのか、今後つめていきたい」
と述べた。「不十分だった」と認めたうえで、「十分だったのか詰めていきたい」と云うのは、意味不明だ。。
政府と東電の最大の責任は、事故を引き起こした主因である津波について、当然備えておかねばならなかったにもかかわらず、備えが明らかに不十分だった点にある。
いまから約100年前の1896年に明治三陸地震津波が発生している。この津波の記録が残されているが、津波の高さは、
綾里 38.2メートル
吉浜 24.4メートル
田老 14.6メートル
となっている。
今回の東北関東大震災に伴う津波の高さが公表されたが、最大の高さを記録したのは、
南三陸町の15.9メートルであった。
津波の記録については、今後、新しいデータが示される可能性があるが、上記数値に示されるように、今回の津波の高さは、明治三陸地震津波を大幅に下回っている。
日本本土に襲来した非常に高い津波のうち、前回襲来分を明治三陸地震津波と考えると、今回の津波は前回の大津波よりも低いものだったことになる。
原発を運転するには、当然のことながら、最高度の安全対策を講じることが求められる。何よりも警戒しなければならない安全対策は、地震および津波対策であるべきことは、素人でもわかることがらである。
福島原発の重大事故は、この津波対策がおろそかであったことから発生した。今後、政府や電力会社は、事故発生の原因が津波ではないとの虚偽の調査報告を捏造する可能性があるが、事故の原因が津波にあることは明白である。
津波に対しては、少なくとも1896年の明治三陸地震津波規模の津波の発生を想定して備えることが、当然に不可欠であった。
政府は「1000年に一度の地震」などの印象操作に懸命だが、事故の原因は地震そのものではなく、津波である。この津波については、わずか115年前に、今回以上の規模の津波を経験しているのである。その規模の津波に備えていたかったことが、「人災」であることを決定づける根拠なのである。
備えるべきものに対する備えを怠っていた。その結果、近隣住民、日本国民に甚大な被害を与えているのである。東京電力も政府も、この責任を痛感し、国民に対して真摯なお詫びの姿勢を示すべきである。
東電の対応も不十分だが、政府の対応も不十分だ。原発の放射能汚染に伴う被害は、政府と電力会社が責任を持って、完全に賠償する責任がある。放射能に汚染された農産物を無理に出荷、購入、飲食せずに、安全策をとり、そのことに伴う損失を国と電力会社が責任をもって賠償することが重要である。
勝俣氏をはじめとする東電幹部は、もっと真摯な謝罪の姿勢を示す必要があると思われる。