また西蔵の一切経もあり蒙古のもあり満州のもある。満州の一切経はシナにもう一部あるかないかというくらいかと思いますが、元三部あって一部はロシアとフランスに分けられております。一部は奉天の黄寺にあるということでありましたから、ちょうど日露戦争の時に私は末松男爵に随ってロンドンに三年戦争中に渡って滞在した時があり、まだ戦争が始まらぬ前に、日本を出る時どうせ奉天も日本の兵が占領するに違いないから、黄寺 . . . 本文を読む
吾妻鑑
「(宝治二年1248)九月十九日癸亥 未申両時之間黄蝶群飛、三浦三崎方より名越辺に出で来たる、其の群集之幅 三許段云々」
宝治元年(1247)六月には宝治合戦が起こり北条氏らによって三浦一族が滅ぼされているので黄蝶群はその亡霊とみて記録したのでしょうか。
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彼岸の日迎え日送り
五來重の「宗教歳時記」から関連部分を抜き書きします。「・・彼岸の七日間の間に「日の供」とか「日迎え日送り」をする行事は丹後や播磨に良く残っていた。村人は朝は東の方のお宮やお寺・お堂に参り、日中は南の方のお宮やお寺・お堂、夕方は西の方のお宮・お寺・お堂に参るのである。これによって農耕の安全を祈るとともに、これを節目として祖先の霊を祀るところから墓参や念仏に結びつきやすかったとおも . . . 本文を読む