森鴎外は1922年(大正11年)7月9日満60歳で死去しています。戒名は貞献院殿文穆思斎大居士で墓は三鷹市の禅林寺にあります。この関係で毎年7月9日14時から禅林寺では鴎外忌を行っているようです。墓参、文学談義等があり自由参加ということです。
鴎外の「寒山拾得」には医者の鴎外にしては珍しい、呪いで官吏の頭痛を治すところがあります。「・・元来閭は科挙に応ずるために、経書を読んで、五言の詩を作ることを習ったばかりで、仏典を読んだこともなく、老子を研究したこともない。しかし僧侶や道士というものに対しては、なぜということもなく尊敬の念を持っている。自分の会得えとくせぬものに対する、盲目の尊敬とでも言おうか。そこで坊主と聞いて逢おうと言ったのである。
まもなくはいって来たのは、一人の背の高い僧であった。
・・僧は言った。「あなたは台州へおいでなさることにおなりなすったそうでございますね。それに頭痛に悩んでおいでなさると申すことでございます。わたくしはそれを直して進ぜようと思って参りました」・・ 「いや。四大の身を悩ます病は幻でございます。ただ清浄な水がこの受糧器に一ぱいあればよろしい。咒まじないで直して進ぜます」
・・しばらく見つめているうちに、閭は覚えず精神を僧の捧げている水に集注した。
このとき僧は鉄鉢の水を口にふくんで、突然ふっと閭の頭に吹きかけた。
閭はびっくりして、背中に冷や汗が出た。
「お頭痛は」と僧が問うた。
「あ。癒なおりました」実際閭はこれまで頭痛がする、頭痛がすると気にしていて、どうしても癒らせずにいた頭痛を、坊主の水に気を取られて、取り逃がしてしまったのである。
僧はしずかに鉢に残った水を床に傾けた。そして「そんならこれでお暇いとまをいたします」と言うや否や、くるりと閭に背中を向けて、戸口の方へ歩き出した。・・」
鴎外も「病は本来ない」と思っていたのでしょう。