福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

Q、五百羅漢とは?

2012-03-24 | Q&A
Q、五百羅漢とは?

A,1、第一回仏典結集に集まった弟子たち五百人をいう。

 2、阿羅漢果を得た五百人の弟子(増一阿含経等)

 3、お釈迦様の授記を得た五百人の弟子、(法華経五百弟子授記品に「・・其五百阿羅漢の優樓頻螺迦葉(うるびんなかしょう)伽耶迦葉(がやかしょう)那提迦葉(なだいかしょう)迦留陀夷(かるだい)優陀夷(うだい)阿樓馱(あぬるだ)離婆多(うぱた)劫賓那(ごうひんな)薄拘羅(はっくら)周陀(しゅうだ)莎伽陀(しゃかだ)等皆當に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。盡く同く一號にして名ずけて普明と曰ん。・・・爾時に五百阿羅漢。佛前に於て受記を得已って歡喜踊躍す。即ち座より起って佛前に到、。頭面禮足悔過して自責す。世尊。我等常是の念を作して、自ら已に究竟の滅度を得と謂いき。今乃し知之を知りぬ、無智者の如し。所以は何、我等應に如來の智慧をうべかりき。しかるを便ち自ら小智をもって足と爲しき。世尊。譬えば人有り、親友の家に至って醉酒して臥せり。是時親友官事の當に行くべきあって、無價の寶珠をもって其衣裏に繋けて之を與えて去りぬ。其人醉臥して都べて不覺知。起已って遊行して他國に至りぬ。衣食のために勤力求索すること甚大に艱難す。若し少しく有る所あれば得ち以って足とす。後に親友會い遇うて之を見て、是の言葉を作す。「咄ないかな丈夫。何ぞ衣食のために乃し如是にいたるや。我昔汝をして安樂なるを得、五欲自ら恣ならしめnと欲して、某年日月において、無價寶珠を汝衣裏に繋けぬ。今故ほ現に在り。汝知らずして、勤苦憂惱して以って自活を求むること、甚だ癡也。汝今此寶をもって所須に貿易すべし。常に如意にして乏短の所なかるべし。」といはんがごとし。佛もまた是のごとし。菩薩たりし時我等を教化して、一切智の心を發せしめたまへり。而るを尋いで廢忘して不知不覺。既に阿羅漢道を得て、自ら滅度せりと謂ひき。資生艱難にして少しを得て足ぬと為す。一切智の願猶ほ在って不失。今ま世尊我等を覺悟して是のごとき言をなしたまはく、「諸の比丘、汝等所得究竟の滅に非ず。我久しく汝等をして佛の善根を種えしめたれども、方便をもっての故に涅槃相を示す。而るを汝これ實に滅度を得たりと謂へり。」世尊。我今乃ち知んぬ。實に是れ菩薩なり。阿耨多羅三藐三菩提の記を受くることを得つ。是の因縁をもって甚だ大に歡喜して未曾有なることを得たり。」とある)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Q,「お釈迦様はなぜ自ら教え... | トップ | 福聚講の帰りの不思議 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Q&A」カテゴリの最新記事