大唐神都青龍寺故三朝國師灌頂阿闍梨耶恵果和上之碑 日本國學法弟子 苾蒭空海撰文并書
俗之貴ぶ所者五常、道之所重者三明。惟忠惟孝。聲を金版に彫る(名声を彫って伝える)。其徳天の如く、盍んぞ石室に蔵めざらん乎。甞試に之を論ずるに不滅者法也。不墜者人也。其法誰ら覺する、其人何在る。乎爰に神都青龍寺東塔院大阿闍梨法諱恵果和尚者あり。大師掌を法城之行崩に拍って迹を昭應之馬氏に誕ず。天は清粹を縦にして、地は神霊を冶す(生まれつき澄んだ気を天より受け、地の神霊に陶冶された)、種は惟れ鳳卵、苗而龍駒なり。高翔して擇木、囂塵(きょうじん・俗塵)之網不能羅之。師歩して居を占む。禪林之葩はなびら、實に是卜食なり。遂乃故諱大昭禪師に就いて師とし、之に事ふ。其大徳は大興善寺大廣智不空三蔵之入室也。昔髫齓之日(ちょうしん、7,8歳の頃)、 師に随って三蔵に見ゆ。三蔵一たび目て驚異不已。竊告之曰、「我之法教汝其興之」也。既而視之如父、撫之如母。其妙蹟(びょうさく・奥深い道理)を指し其蜜蔵を教ゆ。大佛頂・大随求、耳に經れて持心。普賢行・文殊讃、聞聲上口。年救蟻(14,5歳)に登んとして霊驗處多。時に代宗皇帝聞之有、勅あって迎入、命て曰く、「朕、疑滞あり、請為に之を决せよ」と。大師則依法呼召して解紛すること如流。皇帝歎て曰く、「龍子雖小能解下雨、斯言不虚、左右書紳す、入瓶小師(不思議な力をもった小さな僧)今に見つ」と。従爾已還、還 驥騄(きろく・駿馬)迎送して四事不缼。
年滿進具(具足戒を受ける廿)に満ちて孜孜として照雪。三蔵の教海、脣吻に波濤なり(読破した)、五部の觀鏡(金剛界の五部)霊臺に照曜す。洪鐘之響、随機に卷舒す。空谷之應、器に逐て行蔵。始は四分に法を秉とり(四部律を護り)、後には三蜜灌頂す。弥天の弁鋒も刃を交えること能わず(東晋の道安の弁もかなわない)、炙輠(しゃっか・斉の淳于こんという智慧者)の智象も誰か敢えて底を極めん。
この故に三朝(玄宗・粛宗・代宗)これを尊びて国師とし、四衆これを禮して灌頂を受く。もし乃ち干魃葉を焦せば那伽を召ひて滂沱とし、商羊提を决くれば迦羅を驅って杲杲たり(洪水になれば迦羅法を修して晴天とした)。其感晷(ひかげ)を不移、 其驗同在掌。皇帝皇后崇其増益、瓊枝玉葉伏其降魔、斯乃大師慈力之所致也。縦使、財帛軫接(あとをまじえ)田園比項(多くの布施を受けても)有受無貯、不屑資生、或建大曼陀羅、或脩僧伽藍處。濟貧以財、導愚以法。以不積財為心、以不慳法為性。故に若尊、若卑、虚しく往て實て歸る。近きより遠きより光を尋ねて集会すること得たり。
訶陵の辨弘は五天(印度)を経て接足し、新羅の恵日は三韓を渉って頂戴す、剣南にはすなわち惟上、河北にはすなわち義円、風を欽うて錫を振ひ法を渇ふて笈を負ふ(恵果の教えを求めて旅に出た)、もしまた印可紹接せる者は義明供奉其人也。不幸にして車を求るは滿公これにあたれり(不幸にして恵果より先に死んだのは義満である)。一子の顧に沃して三密の教えを蒙るはすなわち智璨玫壹(ち・さん・まい・いち、恵果の弟子の名の略称)操敏竪通(同じく弟子の略称)が輩、竝に皆三昧耶に入って瑜伽を学び三秘密を持して毘鉢(びば・びぱしゃな観・止観)に達す。
或いは一人の師となり、或いは四衆の依となる。法燈界に満ち流派域に遍し、これ蓋し大師の法施なり。親を辞して師に就き、飾りを落として道に入り、浮嚢他に借らず(持戒堅固に)、油鉢常に自ら持す。松竹その心を堅くし、氷霜その志を瑩く。四儀粛まざれども成り、三業護らずとも善し。大師の尸羅(戒律)ここに美をつくす。寒を経、暑を経れどもその苦を告げず。飢えに遇ひ疾に遇へどもその業を退せず。四上持念して四魔降を請ひ、十方結護して十軍面縛す。能く忍び能く勤む。我が師の譲らざるところなり。法界宮に遊びて胎蔵の海会を観じ、金剛界に入って遍智の麻集を礼す。百千の陀羅尼これを一心に貫き、萬億の曼荼羅これを一身に布く。もしは行、もしは坐、道場すなわち変ず。眠るに在っても覚めたるに在っても観智離れず。ここを以て朝日と与んじて長眠を驚かし、春雷と将軍んじて久蟄を抜く(きゅうあつをぬく・冬ごもりしている虫たちを驚かす)、わが師の禅智妙用ここに在るか。栄貴を示して栄貴を導き、有疾を現じて有疾を待つ(病気の者には病気を治す)。病に応じて薬を投じ、迷いを悲しんで指南す。
常に門徒に告げて曰、「人の貴きは國王に過ぎず、法の最なるは密蔵に知かず。牛羊に策って道に赴くときは久しくして始めて到り、神通に駕して跋渉するときは勞せずして至。諸乗ると密蔵と豈に同日にして論ずることを得んや。仏法の心髄要妙ここにあり。無畏三蔵、王位を脱躧し(だっし・惜しげなく捨てる)、金剛親教(金剛智三蔵)盃を浮かべて来り伝ふ(海より来た)。豈に徒然ならんや。金剛薩埵、稽首して寂を扣ひてより(覚りを求める)、師師相伝して今に七葉、冒地の得難きにはあらず、この法に遇うことの易からざるなり。この故に胎蔵の大壇を建てて灌頂の甘露を開く。期する所はもしは天、もしは鬼、尊儀を覩て垢を洗ひ、或は男、或は女、法味を嘗めて殊を蘊む(菩提心の珠をあきらかにする)、一尊一契は證道の径路、一字一句は入佛の父母なる者なり。汝等努めよ、努めよ」。わが師の勧誘、妙趣ここにあり。
それ一たびは明らかに一たびは暗きこと天の常なり。乍に現じ、乍に歿すること、聖の権なり。常理尤ち寡く、権道益多し(真理はあやまちがなく、方便は人々を利益することが多い)、
遂に乃ち永貞元年歳乙酉に在る極寒の月満を以て、住世六十、僧夏四十にして法印を結んで摂念し、人間に示すに薪の盡るを以てす。嗚呼、あわれなるかな、天、歳星を返し、人、恵日を失ふ。筏、彼岸に帰りぬ。溺子、一何せん。悲しいかな、医王迹を匿す。狂児誰に憑いてか毒を解らむ。嗚呼痛いかな、日を建寓(けんいん)の十八に簡び(正月十七日をえらび)、つかを城邙(せいぼう)の九泉に卜す(墓を長安城の北に定めた)。腸を断って玉を埋め、肝を爛らかして芝を焼く。泉扉永閉じぬ。天に愬ふれども及ばず、荼蓼(とりょう・にがたで)嗚咽して火を呑んで滅ず。天雲鯵鯵(さんさん・うすぐろ)として悲しみの色を現はし、松風飋飋(しつしつ・秋風の様)として哀しみの声を含めり、庭際の菉竹(りょくちく・みどりの竹)は葉故の如し。隴頭(りょうとう・丘のほとりの墓地)の松檟(松とキササゲの木。ともに墓に植えられる)は根新たに移す。烏光激廻して(日輪が早くめぐるにつけても)恨みの情切なり。蟾影斡転して(せんえいあってんして・月輪が速やかにめぐり)攀擗(はんへき)新たなり。
嗟呼痛いかな、苦しみを奈何せん。弟子空海桑梓(そうし・故郷)を顧みれば即ち東海の東、行李を想へば即ち難中の難なり。波濤萬萬、雲山幾千也。來ること我力に非ず、歸ること我志に非ず。我を招くに鉤を以てし、我を引くに索をもってす。舶を泛べし之朝には數ば異相を示し、歸帆之夕には縷しく宿緣を説く。和尚掩色之夜、境界中において弟子に告げて日く、「汝未だ知らずや、吾と汝と宿契之深乎。多生之中、相共に誓願して密藏を弘演す。彼此に代る師資となること口だ一兩度のみにあらざる也。是故汝が速涉を,勸めて我が深法を授く。受法ここに畢りぬ。吾願も足りぬ。汝は西土にして我が足を接す。吾は東生して汝が室に入ん。久しく遅留すること勿れ。吾前に在って去ん」と。
竊にこの言を顧みるに進退和賀能くするに非ず。去留我が師に随ふ。孔宣は怪異の説に泥む(孔子は怪力乱神を語らず、というが)といへども、妙憧は金鼓の夢を説く(仏教では霊妙の教えを説く)、この故に一隅を挙げて同門に示す者なり。詞、骨髄に徹して、誨、心肝に切なり。一度は喜び一度は悲しんで胸裂け、腸断へ罷みなんと欲すれども能はず。豈敢へて韞黙(うんもく・沈黙)せんや。わが師の徳広きことを憑むといへども還って恐る、この言の地に堕ちんことを。彼の山海の変じやすきことを歎きてこれを日月の不朽に懸く。乃銘を作っていはく、
生は無辺なれば 行願極まりなし 天に麗き水に臨んで 影を萬億に分かつ。ここに挺生(ていせい・抜きんでる人)あり、人の形して仏の識あり。 毘尼と密蔵と 呑み幷せて余力あり。所縁尽きて 怕焉として真に帰す(はくえんとして・静かに真理の世界へ帰られた)、恵炬已滅て 法雷何の春ぞ。 梁木摧けたり 痛いかな 苦しいかな 松檟封閉して 何の劫にか更に開ん。」
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