福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

旅僧 泉鏡花 上

2014-02-07 | 法話

旅僧 泉鏡花 上

 去いにし年とし秋あきのはじめ、汽船きせん加能丸かのうまるの百餘ひやくよの乘客じようかくを搭載たふさいして、加州かしう金石かないはに向むかひて、越前ゑちぜん敦賀港つるがかうを發はつするや、一天いつてん麗朗うらゝかに微風びふう船首せんしゆを撫なでて、海路かいろの平穩へいをんを極きはめたるにも關かゝはらず、乘客じようかくの面上めんじやうに一片いつぺん暗愁あんしうの雲くもは懸かゝれり。
 蓋けだし薄弱はくじやくなる人間にんげんは、如何いかなる場合ばあひにも多おほくは己おのれを恃たのむ能あたはざるものなるが、其その最もつとも不安心ふあんしんと感かんずるは海上かいじやうならむ。
 然されば平日ひごろ然さまでに臆病おくびやうならざる輩はいも、船出ふなでの際さいは兎とや角かくと縁起えんぎを祝いはひ、御幣ごへいを擔かつぐも多おほかり。「一人女ひとりをんな」「一人坊主ひとりばうず」は、暴風あれか、火災くわさいか、難破なんぱか、いづれにもせよ危險きけんありて、船ふねを襲おそふの兆てうなりと言傳いひつたへて、船頭せんどうは太いたく之これを忌いめり。其日そのひの加能丸かのうまるは偶然ぐうぜん一人にんの旅僧たびそうを乘のせたり。乘客じようかくの暗愁あんしうとは他たなし、此この不祥ふしやうを氣遣きづかふにぞありける。
 旅僧たびそうは年紀とし四十二三、全身ぜんしん黒くろく痩やせて、鼻はな隆たかく、眉まゆ濃こく、耳許みゝもとより頤おとがひ、頤おとがひより鼻はなの下したまで、短みじかき髭ひげは斑まだらに生おひたり。懸かけたる袈裟けさの色いろは褪あせて、法衣ころもの袖そでも破やぶれたるが、服裝いでたちを見みれば法華宗ほつけしうなり。甲板デツキの片隅かたすみに寂寞じやくまくとして、死灰しくわいの如ごとく趺坐ふざせり。
 加越地方かゑつちはうは殊ことに門徒眞宗もんとしんしう、歸依者きえしや多おほければ、船中せんちうの客きやくも又また門徒もんと七八分ぶを占しめたるにぞ、然さらぬだに忌いまはしき此この「一人坊主ひとりばうず」の、別わけて氷炭ひようたん相容あひいれざる宗敵しうてきなりと思おもふより、乞食こつじきの如ごとき法華僧ほつけそうは、恰あたかも加能丸かのうまるの滅亡めつばうを宣告せんこくせむとて、惡魔あくまの遣つかはしたる使者ししやとしも見みえたりけむ、乘客等じようかくらは二人にん三人にん、彼方あなた此方こなたに額ひたひを鳩あつめて呶々どゞしつゝ、時々とき/″\法華僧ほつけそうを流眄しりめに懸かけたり。
 旅僧たびそうは冷々然れい/\ぜんとして、聞きこえよがしに風説うはさして惡樣あしざまに罵のゝしる聲こゑを耳みゝにも入いれざりき。
 せめては四邊あたりに心こゝろを置おきて、肩身かたみを狹せまくすくみ居ゐたらば、聊いさゝか恕じよする方はうもあらむ、遠慮ゑんりよもなく席せきを占しめて、落着おちつき澄すましたるが憎にくしとて、乘客じようかくの一人にんは衝つと其その前まへに進すゝみて、
「御出家ごしゆつけ、今日けふの御天氣おてんきは如何いかゞでせうな。」
 旅僧たびそうは半眼はんがんに閉ふさぎたる眼めを開ひらきて、
「さればさ、先刻さつきから降ふらぬから、お天氣てんきでござらう。」と言いひつゝ空そらを打仰うちあふぎて、
「はゝあ、是これはまた結構けつこうなお天氣てんきで、日本晴につぽんばれと謂いふのでござる。」
 此この暢氣のんきなる答こたへを聞ききて、渠かれは呆あきれながら、
「そりや、誰だれだつて知しつてまさ、私わつしは唯たゞ急きふに天氣模樣てんきもやうが變かはつて、風かぜでも吹ふきやしまいかと、其それをお聞きき申まをすんでさあ。」
「那樣事そんなことは知しらぬな。私わしは目下いまの空模樣そらもやうさへお前まへさんに聞きかれたので、やつと氣きが着ついたくらゐぢやもの。いや又また雨あめが降ふらうが、風かぜが吹ふかうが、そりや何なにもお天氣次第てんきしだいぢや、此方こつちの構かまふこツちや無ないてな。」
「飛とんだ事ことを。風かぜが吹ふいて耐たまるもんか。船ふねだ、もし、私等わつしら御同樣ごどうやうに船ふねに乘のつて居ゐるんですぜ。」
 と渠かれは良やゝ怒いかりを帶おびて聲高こわだかになりぬ。旅僧たびそうは少すこしも騷さわがず、
「成程なるほど、船ふねに居ゐて暴風雨あれに逢あへば、船ふねが覆かへるとでも謂いふ事ことかの。」
「知しれたこツたわ。馬鹿々々ばか/\しい。」
 渠かれの次第しだいに急込せきこむほど、旅僧たびそうは益ますます落着おちつきぬ。
「して又また、船ふねが覆かへれば生命いのちを落おとさうかと云いふ、其その心配しんぱいかな。いや詰つまらぬ心配しんぱいぢや。お前まへさんは何なにか(人相見にんさうみ)に、水難すゐなんの相さうがあるとでも言いはれたことがありますかい。まづ/\聞ききなさい。さも無なければ那樣そんなことを恐こはがると云いふ理窟りくつがないて。一體いつたいお前まへさんに限かぎらず、乘合のりあひの方々かた/″\も又また然さうぢや、初手しよてから然さほど生命いのちが危險けんのんだと思おもツたら、船ふねなんぞに乘のらぬが可いいて。また生命いのちを介かまはずに乘のツた衆しうなら、風かぜが吹ふかうが、船ふねが覆かへらうが、那樣事そんなことに頓着とんぢやくは無ない筈はずぢやが、恁かう見渡みわたした處ところでは、誰方どなたも怯氣々々びく/\もので居ゐらるゝ樣子やうすぢやが、さて/\笑止千萬せうしせんばんな、水みづに溺おぼれやせぬかと、心配しんぱいする樣やうな者ものは、何どの道みちはや平生へいぜいから、後生ごしやうの善いい人ひとではあるまい。
 先まづ人ひとに天氣てんきを問とはうより、自分じぶんの胸むねに聞きいて見みるぢやて。
(己おのれは難船なんせんに會あふやうなものか、何どうぢや。)と、其處そこで胸むねが、(お前まへは隨分ずゐぶん罪つみを造つくつて居ゐるから何どうだか知しれぬ。)と恁かう答こたへられた日ひにや、覺悟かくごもせずばなるまい。もし(否いゝや、惡わるい事ことをした覺おぼえもないから、那樣そんな氣遣きづかひは些ちつとも無ない。)と恁かうありや、何なんの雨風あめかぜござらばござれぢや。喃なあ、那樣そんなものではあるまいか。
 して見みるとお前まへさん方がたのおど/\するのは、心こゝろに覺束おぼつかない處ところがあるからで、罪つみを造つくつた者ものと見みえる。懺悔ざんげさつしやい、發心ほつしんして坊主ばうずにでもならつしやい。(一人坊主ひとりばうず)だと言いうて騷さわいでござるから丁度ちやうど可いい、誰だれか私わしの弟子でしになりなさらんか、而さうして二三人にん坊主ぼうずが出來できりや、もう(一人坊主ひとりばうず)ではなくなるから、頓とんと氣きが濟すんで可よくござらう。」
 斯かく言いひつゝ法華僧ほつけそうは哄然こうぜんと大笑たいせうして、其そのまゝ其處そこに肱枕ひぢまくらして、乘客等のりあひらがいかに怒いかりしか、いかに罵のゝしりしかを、渠かれは眠ねむりて知しらざりしなり。
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