『(修行した)儂が交通事故にあって痛いのとお前が痛いのとどう違うか?』
これは50年前に上京したての頃当時の井之頭公園にあった武蔵野般若道場で苧坂光龍老師から頂いた公案です。老師は一橋如意団、東大禅会、日本女子大微笑禅会等の師家もしておられたようで真言の山寺生まれの自分にはその凛とした佇まいはとても近寄りがたいものがありました。毎晩公園のボートの櫓の音を音を聞きながら座禅していましたがその時以来この公案には50年後のいまもって答えがわかりません。しかし考えると人生は公案だらけです。なぜ・・なぜ・・どうして・・・ということばかりです。「人生即是公案」というべきかもしれません。
これは50年前に上京したての頃当時の井之頭公園にあった武蔵野般若道場で苧坂光龍老師から頂いた公案です。老師は一橋如意団、東大禅会、日本女子大微笑禅会等の師家もしておられたようで真言の山寺生まれの自分にはその凛とした佇まいはとても近寄りがたいものがありました。毎晩公園のボートの櫓の音を音を聞きながら座禅していましたがその時以来この公案には50年後のいまもって答えがわかりません。しかし考えると人生は公案だらけです。なぜ・・なぜ・・どうして・・・ということばかりです。「人生即是公案」というべきかもしれません。