福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

ゴーン事件の背後にあるもの

2018-11-22 | 法話
ノーベル経済学者アマルティア・センは経済人は「合理的な愚か者」であると喝破しました。まさにゴーン事件はその象徴です。拝金教に染め上げられた市場原理主義者・経済官庁等他のミニ・ゴーンももって他山の石とせよということでしょう。今年は企業の不祥事が相次ぎました。2月三菱マテリアルグループ品質データ改竄。4月ソフトバンクグループ約939億円の申告漏れ発覚。7月文部科学省局長が受託収賄容疑で逮捕。クロネコヤマト約4万8千件の引越代金過大請求発覚。8月日産・スバル・マツダ・スズキ、ヤマハで燃費や排ガスの不正検査発覚。電線大手のフジクラも製品の検査データ改ざん。10月油圧機器メーカーのKYBの免震・制振装置データ改竄露見。そして11月はこのゴーン事件です。
これらの事件の背後には企業や官庁のミーイズム・組織至上主義があります。国益や倫理は自分や自分の組織の金銭的利益の前には邪魔でさえあるという考えです。このミーイズムを「市場原理」「構造改革」「自己責任」という言葉で覆い隠してきたのです。今年は社会的上層部の旧悪が露見する年でもあります。まだまだ官民の上層部の旧悪は露見すると思います。

こういう現象を見ていると官僚も含む「経済人」全体の社会的愚者ぶりの根は深いものがあると言わざるを得ません。こういう現象の続発を見るとき今の教育制度は何なのかとおもいます。しかしよく考えるとこの間違いは既に明治に始まっていました。以下明治の教育制度の根本的間違の指摘を数例を示します。
1、まず「人間教育を忘れた明治の失敗(安岡正篤)」からです。「・・・それはどういうものかと申しますと、つまり幕末にペルリの来航を契機に、日本は西洋近代の科学技術文明に驚嘆した。・・・インフォリオリティ・コンプレックスというものの最も深刻な、最も大規模なものを、明治の人たちが経験したわけであります。・・・そこで、上は大学から下は小学校まで、学校教育は西洋文明の模倣・再現に役立つ知識・技術を習得させる。とこうなったわけです。そこで、人間を養う、徳性を磨くというようなことは、付け足しになってしまった。・・・ところで、人間には二つの要素(本質的要素と付属的要素)というべきものがあるわけであります。・・この人間としての本質的要素が、人間の道徳性、徳性であります。それから、付属的要素の代表的なものが、知識・技能であります。ところが、明治政府の教育方針というものは、知識教育、技能教育一辺倒になってしまって、人間として一番大切な人物・徳性を養うといことは、ほとんどお話しにならないぐらい、うすっぺらなものになってしまった。」

2、 「日本農士学校設立の趣旨(昭和6年安岡正篤)」
「・・人間に取って教育ほど大切なもののないことは言ふまでもない。国家の命運も国民の教育の裡に存すると古人も申して居る。真に人を救ひ世を正すには、結局教育に須たねばならぬ。然るにその大切な教育は今日如何なるありさまであろうか。
 今日の青年は社会的には悪感化を受けるばかりで、その上に殆ど家庭教育は廃れ、教育は学校に限られて居る。そして一般父兄は社会的風潮である物質主義功利主義に識らず識らず感染して、只管子弟の物質的成功、否最早今日となっては卑屈な給料取りたらしめんことを目的に(実は今日それも至難になってきて居る)力を竭して子弟を学校に通はせる。その群衆する子弟を迎へて学校は粗悪な工場と化し、教師は支配人や技師、甚だしきは労働者の如く生徒は粗製濫造された商品と化し、師弟の道などは滅び、学科も支離滅裂となり、学校全体に何の精神も規律も認めることが出来ない。その為に青年子弟は、何の理想もなく、卑屈に陥り、狡猾になり、贅沢遊惰に流れ、義理人情を弁へず、学問や道に対する敬虔の念を失ひ、男児に雄渾な国家的精神無く、女子に純潔な知慧徳操が欠けてしまった。これで我等民族、我等の国家は明日どうなるであろうか。・・」

3、「国家の品格」で数学者藤原正彦氏は宗教心の厚い、品格のある国が栄えると喝破しました。ドラッカーは「経営者は、学習して身につけることはむつかしいがどうしても持っていなければならないものがある、それは品格である」といいました。
4、「実業読本」で武藤三治は「品性・・・私は会社の従業員にはスマイル博士の「品性論」を与え、品性を磨くよう奨励している。品性は人生において最も大切なものであって,・・富の力よりも品性の及ぼす感化が一層社会の円満なる向上発展に貢献するものである。・・ドイツが(第一次大戦を引き起こし敗れたのは、ドイツ人の品性が粗豪驕慢で)全くドイツ国民の品性の低きがためであった。・・、しからざるものは衰亡の運命を免れぬ。・・」と書いています。

しかし思い返すと日本にはこの間まで本当の経済人がいました。
・松下幸之助の信仰深さは有名です。神社仏閣至る所へ寄進しています。高野山大学には松下講堂がありましたし、高野山奥の院には松下電器の企業墓があります。・出光佐三は故郷の宗像大社を30年かけ復興、本社・製油所・タンカーにも分祀しています。・稲森和夫は臨済宗僧侶であり、・世界の精密測定器トップメーカーのミツトヨは浄土宗僧侶沼田 恵範の設立です。「仏教伝道の支援を通じて人々の幸福に寄与する」が社是。仏教伝道協会も設立しています。・銀座三笠会館の谷善之丞も座禅により自殺を思いとどまったとして三笠会館には一番上に禪堂を作っています。
・サントリー・鳥井信治郎は毎朝、般若心経や観音経など一時間の勤行。 その後神棚で柏手を打っていたということです。戦後すぐ炊き出しをし「邦寿会」は1921年に大阪市西成区で無料診療と投薬をはじめ、戦争未亡人のための母子寮「赤川ホーム」を開設したり大阪市内で初の特別養護老人ホーム「高殿苑」(1974年)等を開設して現在に至っています。
・正力松太郎は昭和34年10月号「大法輪」に「私がはじめて座禅を組んだのは24歳帝大2年に進学したばかりのときであった。・・・その後戦争犯罪人として巣鴨に収容されることになった。・・ともあれ私は(学生時代指導された南禅寺管長・勝峰大徹)師のことを思い出して在監1年9ヶ月の間座禅を続けた。」とあります。松太郎は後に「利行は一法」(利他行と自利行は同じ、修証義「利行は一法なり、遍く自他を利するなり」より)に目覚めたと言われています。のち36年に松太郎は興禪護国会会長もつとめています。
・旧安田生命社長の竹村吉右衛門は、安田銀行に入行したが出世競争の中で、「一日除目(辞令)を見れば終身道心を損ず」(唐、姚合の詩)をみて、「胸中の一物を放下せよ」という境地に到達したといいます。母から観音様が守り本尊と聞かされていた吉右衛門は「浅草寺朝参会」を作り、月刊仏教書『心の糧』を発行、「仏教振興財団」も設立しています。
・ダスキン創業者 鈴木清一は金光教、一燈園経をて「道と経済の合一」を説いています。朝礼時には般若心経を社員と共に唱和しました。


ではどうすればよいのか。結論です。経済行為の意味(経済活動それ自体は目的ではなく、あくまで利他行としての手段であること)を再度、家庭や学校・マスコミで根本から問い直す運動をすべきである、ということに尽きると思います。
中古天台の口伝法門では『日月の光から草木国土に至る迄、一切の自然物が人に利用されうるのは、ことごとく仏の慈悲である。草木は精神をもたないが、他者である人間を利する働きをもっているから、すでに仏となっているのである。財は人間の利他の行為をわれわれの分身となって助けてくれる手段なのである。経済行為である職業は修業であって悟りを開く道である。・・』としていたということです。
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