「己が罪悪の自覚もない、さらに煩悶もない、寂莫の思いもない、このような自分で自分の身の上が知られぬようでは『如来』ということも『お慈悲』ということも『救済』ということも全く無意義である。・・
人生は五十年の問題にすぎぬが信仰は永劫の問題である。眼前の救済でなくて、永劫の救済である。・・・人生問題とはやがて消滅すべき空なる事物の真理にすぎぬ。これに反して信仰問題とは永劫不滅の実在の処理である。・・」
人生は五十年の問題にすぎぬが信仰は永劫の問題である。眼前の救済でなくて、永劫の救済である。・・・人生問題とはやがて消滅すべき空なる事物の真理にすぎぬ。これに反して信仰問題とは永劫不滅の実在の処理である。・・」