福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

秘藏寶鑰7

2013-08-20 | お大師様のお言葉
藏寶鑰卷第中
第四唯蘊無我心

若し夫れ鉛刀終に莫耶之績無し。泥蛇豈に應龍の能あらんや。燕石珠に濫じ、璞鼠(ばくそ)名渉る。(鉛の刀に名刀師のつくった莫耶という名剣の妙用なく、泥蛇に空飛ぶ龍の力なきがごとく、瓦石と珠相交じり、磺石と干鼠を混同している。)名實相い濫すること由來尚し。

然れば則ち勝數が諦の名、梵延が佛の號、長爪が實相、犢子が絶言、徒勞に解脱の智を労して未だ涅槃之因を知らず。(そのため勝諦外道による6諦や数論外道の二十五諦が仏教の四諦と混同され、外道が梵天や那羅延天をもって覚宝とすることが仏教と混同し、長爪外道が実相といい、犢子外道が絶言というそれらが仏教の言葉に混同される。しかも彼らは邪知を労するのみで涅槃に至る真理を知らない。)

是故に大覺世尊此羊車を説いて、三途之極苦を拔出し、八苦の業縛を解脱したまう。
其爲教たらく(その声門乗の教えは)
三藏廣く張り、四諦普く觀ず(教えとしては三蔵を広く宣揚し、苦集滅道の四諦を観じ)、
三十七品は道の助けたり。四向四果は即ち人の位なり(声門乗の修行徳目である、四念所、四正断、四神足、五根、五力、七覚支、八正道の三十七道品は涅槃へ赴くための助として修行し、預流向 ・ 預流果・一来向 ・ 一来果・不還向 ・ 不還果・阿羅漢向 ・ 阿羅漢果の四つの道と果をひらいてそのひとの位を示す。)

識を言えば唯六にして七・八なし。(この声門乗の人はただ六識をたてるのみで第七の未那識第八阿頼耶識を知らない。)
成を告ぐれば三生・六十劫、非を防ぐは則ち二百五十(この声門乗の人は成道には利根のものは三生、鈍根のものは六十劫かかるとす る。また非行を防ぐには二百五十の戒律が必要とする)。

善を修するは即ち四念八背なり(また身は不浄、受は苦、こころは無常、法は無我とする四念所観とむさぼりを捨てるための八背捨観を修行し)、

半月に罪を説いて持犯立ちどころに顯われ、一夏意に隨って凡聖たとまち別る(半月毎にに布薩会をおこなって罪を懺悔して戒の持犯をあきらかにし、一夏九旬の安居ののちには自しをおこなって凡聖をあきらかにする)。(第四唯蘊無我心は続)
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