福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

地蔵菩薩三国霊験記 5/14巻の7/17

2024-08-02 | 先祖供養

地蔵菩薩三国霊験記 5/14巻の7/17

七、母、女(むすめ)の方便に依りて往生の事。

津國難波津に栖ける尼公侍りき。山の井小宰相知平と云の後室なり。極めて悪人にて人の悪をいふことをよろこび他の善を見て嫉む。日用彝倫(いりん・人倫)だも此の如し。況や佛法の道とて露欣求の心なし。されば家貧にして旦夕の煙もたへだへなんり。然るに彼の女(むすめ)一人ありしが常に地蔵尊を信じき。積累の感應あらはれて富家に配合しぬ。さるから母も餘慶を蒙り安く渡世しにけり。されども彼の母元より無道の質にて平生女(むすめ)と僻て和顔をもみせず。動(ややもすれば)未来の業果を招くはたらきばかりなり。女この事をひたすら哀みて思ふやう誠に我等のはごくみにて如是に世を送り玉ふとていかにかやうに我を悪(にく)み給うふぞや。若しも老少不定の習ひ我身に後れて居玉はば誰か一口の食を施し申すものあらむ。一佛の名号をも唱へさせ奉らんとたくみけるほどに、或時申しけるは、何事も乏しき事はなけれども世の中に何ともこらへがたき事四つ侍る。此の四のことのなき里に住ばやと願ひ侍るといひければ、母何事やらんと打和らぎて問はれければ、女の云く夏になれば虚(そら)に鳴る雲と地蔵の名号を唱る音と、雲間の電光と、袈裟かけたる人と、此の四なり。いつ゛れにをろかは侍らねども別して袈裟打ちかけて南無地蔵大菩薩と唱ふ声を聞くこそ心憂候へ。増して四五辺十辺なんど申さんはいかばかり否に侍るとぞ申しける。尼公能(よ)きことをも聞きたるものかなと黙して居られしが、袈裟思ふ侭に用意して女の意に逆らはんと思ふときは袈裟肩に打ちかけて高声に南無地蔵大菩薩と唱ふる事数百辺にをよべり。女は此れを嫌う躰にもてなし、目を閉じ耳ををさへて衣かつ゛き伏しければ弥よ声を限りに唱へける。女の皈りしあとまでもつぶやきて地蔵の名号を唱へけり。誠に有難き方便なり。角(かく)ありてより斎日などには常に来りてひがみあいて久しく居ければ件の如くしけり。されば星霜つもり尼公の老の山の雪も漸や消へなんとするとき、さすが恩愛の名残なれば女を近く召し寄せ今生の別を惜しむ。女いたましく詮方なければいかにもして念佛を勧めたく思ひ耳の際に口さしあて、例の僻事を言かければ急ち高声に南無地蔵と唱へて息絶へぬ。されば一端不孝に似たりといへども救ふに道を以てせば何ぞ常道に違ふべき。況や棄恩入無為こそ(四分律刪繁補闕行事鈔「流転三界中 恩愛不能断 棄恩入無為 真実報恩者」)真の孝と有るをや。薩埵の恵などかなからんや。其の後夢中に、我は地蔵菩薩に助けられて永く三途の業を出たりと云々。女いよいよ肝に通して本願經を書寫し尊像を造立し奉り念比(ねんごろ)に追善を修しける。成等正覚何の疑かあらん。

引証。本願經に云、閻浮の衆生、此の大士に於いて大なる因縁あり。是を諸の衆生菩薩の名を聞き菩薩の像を見て乃至是の經三字五字或は一偈一句を聞く者現在殊妙の安楽あらん、未来の世百千万生常に端正を得て尊貴の家に生じ云々(地藏菩薩本願經如來讃歎品第六「地藏菩薩有如是等不可説百千萬億大威神力利益之事。閻浮衆生於此大士有大因縁。是諸衆生聞菩薩名見菩薩像。乃至聞是經三字五字或一偈一句者。現在殊妙安樂。未來之世百千萬生。常得端正生尊貴家。」)又此の病人の為に高声に一佛の名を念ぜば是の人五無間罪を除き餘の業報等悉く消滅するを得云々(地藏菩薩本願經稱佛名號品第九「若有臨命終人。家中眷屬乃至一人爲是病人高聲念一佛名。是命終人除五無間罪。餘業報等悉得銷滅」)。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 口角を上げていれば運気がア... | トップ | 今日は神泉苑において祈雨の... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

先祖供養」カテゴリの最新記事