福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

天皇陛下の即位灌頂について・・5

2019-03-05 | 講員の活動等ご紹介

 弘法大師の時に至り、即位灌頂が出てきます。慈雲尊者の「『四海領掌大事』口伝」の内容を記述します。「先師曰く弘法大師弘仁七年六月十九日、上表七月八日、勅許を得て高野山を以て入定のところとし、一棟の草庵を作り、高雄の旧居を去ってここに移り入て住す。時に弘仁十四年(824年)七月嵯峨上皇勅して大師を召し、高雄より暫く中務省に寓す。時々御物語あり、ある夜近習を避けて大師一人を御座近く召して曰く『師遠く蹌踉を超へ、明師に値遇し秘密曼荼羅を伝承す。是我が国宝祚長久の吉兆にして万民豊饒の祥瑞なり。しかるに朕、前時代より承伝する即位の大事あり。師が伝へし法中にも王者の印契ありや。』大師答えていわく『密教もとより即俗而真世間相常住の法門にして、外金剛部神祇灌頂の式あり。人中王者四海領掌の印契あり。』天皇曰く『朕の相承せし処を師が伝えし法門に照らし看ばいかん』大師曰く『固より願うところなり。王法仏法久住して国家を光輝し、安穏万民豊楽大大吉瑞なり。』天皇相伝の印契を示したまひ、大師伝承の秘奥を開きたまふに、誠に符節を合わせたるがごとし。このとき天皇感涙にたえさせたまはず、大師歓喜の涙にむせびたまひ、この夜お互いに言の宣ぶるべきをしらずわが朝神道灌頂ここに開けたりといふことなり。」

こうして嵯峨天皇は東寺を弘法大師に下されるとき、「代々の国王を以て、我が寺(東寺)の檀越(だんのつ=檀家))となせ、若し伽藍復興すれば、天下また復興し、伽藍衰弊せば、天下また衰弊せん」とまで御起請文を下されています。

 また仁明天皇は承和二年三月二十一日大師後入定されるや勅使訪問して「真言洪匠 密教宗師 邦家その護持を憑む。動植其の摂念を荷す・・」等と哀悼の二を表されたとあります。(続日本後記巻四「承和二年(八三五)三月丙寅【廿一】》○丙寅。大僧都傳燈大法師位空海終于紀伊國禪居。承和二年(八三五)三月庚午【廿五】》○庚午。勅遣内舍人一人。弔法師喪。并施喪料。後太上天皇有弔書曰。『眞言洪匠。密教宗師。邦家憑其護持。動植荷其攝念。豈圖未逼。無常遽侵。仁舟廢棹。弱喪失歸。嗟呼哀哉。禪關僻在。凶聞晩傳。不能使者奔赴相助茶毘。言之爲恨。悵悼曷已。思忖舊窟。悲凉可料。今者遥寄單書弔之。著録弟子。入室桑門。悽愴奈何。兼以達旨。』


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