華厳経・普賢菩薩行品に「一切の世界は一毛道に入り一毛道は一切の世界に入る。一切衆生の身は一身に入り、一身に一切衆生の身が入る。不可説の劫は一念に入り。一念に不可説の劫が入る。一切の佛法は一法に入り。一法は一切佛法に入る。不可説の處が一處に入り、一處は不可説の處に入る。不可説の根が一根に入り、一根は不可説の根に入る。一切の根に非根が入り、非根に一切の根が入る。一切の想は一想に入り、一想は一切の想に入る。一切の言音は一言音に入り、一言音は一切の言音に入る。一切の三世は一世に入り、一世は一切の三世に入る。」とありました。
ここから、「不生不滅」「不垢不浄」「不増不減」という般若心経の世界も分かります。時間も時代も相互に入り組んでいるのですから過去現在未来は一緒で従って、死者と生者の間の隔たりはないし、また全てが一緒であるから是は清い是は汚いという差も無いわけです。そして自分のお金が減って、他人のお金が増えるということも無いわけです。我々一人一人が宇宙全てであり、時間も富も宇宙もすべては我々一人一人に入っているのです。我々一人一人がパーフェクトな存在だったのです。・・・理論的にはこうなります。
ここから、「不生不滅」「不垢不浄」「不増不減」という般若心経の世界も分かります。時間も時代も相互に入り組んでいるのですから過去現在未来は一緒で従って、死者と生者の間の隔たりはないし、また全てが一緒であるから是は清い是は汚いという差も無いわけです。そして自分のお金が減って、他人のお金が増えるということも無いわけです。我々一人一人が宇宙全てであり、時間も富も宇宙もすべては我々一人一人に入っているのです。我々一人一人がパーフェクトな存在だったのです。・・・理論的にはこうなります。