地蔵菩薩三国霊験記 5/14巻の5/17
五、尼僧徹の事
并州(紀元前106年(元封5年)、前漢の武帝が全国を13州に分割し各州に刺史を設置した際、山西省の大部分と河北省・内モンゴル自治区の一部(今日黄土高原が広がる地域)を并州とした)後代に長安に世を厭ふて出家せり。物をあわれみて敢えて瞋る事の色をみず。常に念佛を業として往生を願ふのみなり。母念佛を信ぜず。更にたもつ事なし。尼つねに此をすすむ事たびたびなり。母瞋りて曰、汝不孝の子也。我を捨て出家するだにもあるに我は神に仕へり。此の國の人ならず。汝が父に付いて此の國に来れり、何ぞ更に念佛を勤むべきや。とかく云て隨ふ事なし。其後母病を受けしとき、重ねて念佛をすすむ。病重き故に若し助かりもやとせんと思ふ。心を改め一日一夜念佛を勤む。やまひすこし快氣を得たり。弥よ丹誠をなして西に向かひ絲を佛の御手にかけ其の末をとりて終わりぬ。尼世の無常なることを思ひ悲嘆に堪へず、水をだにも飲まず七日と云ふに世を去りぬ。見る者之を哀れみ面に水を灑ぎさまざまあつかふ。日中を経て生活(よみがへり)て云く、我遥かに西方浄土に至る。一人の僧云く、我は地蔵菩薩なり、我が本願は孝養の人を助く。なんじ母をすすめて浄土の正因を得しむ。此の故に十方の佛、汝が功徳を讀(ほむ)今七年の後此の國に生ずべし。汝が母は花の中に在りて十小劫をへて花開きて此の因縁を聞くべしと言はふ。此の事を聞きおはりて生き返りぬと云へり。其の後七年を経て尼世を去ると云々。