御大師様の先祖供養についてのお考え・・14
・大師の「大夫笠左衛佐、亡屋のために大日の楨像(ちょうぞう、絹の上に描く像)を造る願文
「恭んで聞く、嚩曰羅(ばざら)は智なり。鉢納麼(はんどま)は理なり。智はよく物を照らすに功あり。理は摂持して乱るることなし。摂持の故に大身法界を孕んで外なし。光照の故に廣心虚空を呑んで中なし。理智他にあらず、すなわちこれわが身心なり。一三の法(一法界心と三自一心。釈摩訶衍論の説、弁顕密二教論では第八住心と第九住心にあてるが共にまだ迷いの位とする)、外に求むるは迷癡なり。塵体の不二に達し、滴心の如一(衆生の心は海滴の如く無数であるが同じく識大所成のものあり一如平等である)を覚るは、いわゆるわが大師薄伽梵摩訶毘盧遮那薩他怛掲多(ばがぼんまかびるしゃなたたぎゃた、世尊)その人なり。またそれ至剛なるものは天下の柔に馳せ、至柔は天下の剛に逐う。因縁唱え随って(夫唱婦随)合散する(離合集散)は物の理なり。
惟んみれば亡藤五嬢(亡くなった藤原氏の五女)徳容具って合卺(ごうきん、結婚) し、功言備わって醮適(しょうてき、嫁ぐ)。甡甡(しんしん、多い)たる羽(多くの子供)、門戸に満ち、瓞瓞(てつてつ、重なって盛ん)たる葉、庭除(庭と殿の階)に滋し。冀(ねが)うところは東鰈(東海にいるとされる仲良く二匹並んで泳ぐ比目魚)を亀年に比し、西鶼(せいけん、西にいる比翼の鳥)を鶴歳に同じくせむ。豈に図かりきや、生離を千里に哭し、偕老を一期に喪わんことを。数箇の孤雛、巣の中に蜿転(えんてん、泣き叫び転び這う)し、二三の嬰稚、帳の裏に匍匐す。油雲たちまちに斂まる(母がたちまちに亡くなった)、蘭菊なんぞ長ぜん。甘沢たちまちに竭きぬ、松桂なんぞ茂からん。嗚呼、哀れなるかな、嗚呼、哀れなるかな。庭玉(愛しい子供)を撫で目汍らん(涙流れる)たり。掌珠を見て情悽愴(せいそう、悲しく痛ましい)す。哀れなるかな、悲しいかな。霜露消え易く、電影駐りがたし。日薄り、星廻りて碁斎(一周忌)たちまちに臨めり。
謹んで天長四年五月二十二日を以て焭霊(亡妻の霊)を済わんがために、大日一印の曼荼羅一鋪五幅を図し奉り、ならびに広眼の法曼荼羅(大日経)一部七巻を写す。兼ねては神護寺について聊か法席を肆のべて大日経を講ず。松澗虚しくして鐘馨響く(老松の生えた谷は広くて大きく、鐘馨響く)桂嶺高くして日月明らかなり。朝雲幔を舒べ、夕霞幄を張る。竹風吟じて秋かと疑う。滝水灑いで雨に似たり。飛錫の徒(遊行僧)森羅し、写瓶の衆(弟子たち)幅湊す。法界の浄体、日輪に乗じて儼然たり。摂供の侍者、金蓮をささげて宛爾たり(四摂と八供養の菩薩は金剛の蓮華をささげて宛然たり)。字は法然の文(大日経)を写し、義は無尽の旨を明かす。伏して願わくは、この良縁に乗じてかの焭魂を資せん。法雷は永蟄の仏性を驚かし(煩悩で覆い隠されている仏性を驚かし)、甘露は樹王の根葉に灌ん。覚眼を除蓋に開き、心月を定観に朗らかにせん。五大の所造、一心の所遍(精神界)鱗角羽毛の郷、飛沈走躍の県、同じく四生の愛輪を破して共に一真の覚殿に入らん。」
・大師の「大夫笠左衛佐、亡屋のために大日の楨像(ちょうぞう、絹の上に描く像)を造る願文
「恭んで聞く、嚩曰羅(ばざら)は智なり。鉢納麼(はんどま)は理なり。智はよく物を照らすに功あり。理は摂持して乱るることなし。摂持の故に大身法界を孕んで外なし。光照の故に廣心虚空を呑んで中なし。理智他にあらず、すなわちこれわが身心なり。一三の法(一法界心と三自一心。釈摩訶衍論の説、弁顕密二教論では第八住心と第九住心にあてるが共にまだ迷いの位とする)、外に求むるは迷癡なり。塵体の不二に達し、滴心の如一(衆生の心は海滴の如く無数であるが同じく識大所成のものあり一如平等である)を覚るは、いわゆるわが大師薄伽梵摩訶毘盧遮那薩他怛掲多(ばがぼんまかびるしゃなたたぎゃた、世尊)その人なり。またそれ至剛なるものは天下の柔に馳せ、至柔は天下の剛に逐う。因縁唱え随って(夫唱婦随)合散する(離合集散)は物の理なり。
惟んみれば亡藤五嬢(亡くなった藤原氏の五女)徳容具って合卺(ごうきん、結婚) し、功言備わって醮適(しょうてき、嫁ぐ)。甡甡(しんしん、多い)たる羽(多くの子供)、門戸に満ち、瓞瓞(てつてつ、重なって盛ん)たる葉、庭除(庭と殿の階)に滋し。冀(ねが)うところは東鰈(東海にいるとされる仲良く二匹並んで泳ぐ比目魚)を亀年に比し、西鶼(せいけん、西にいる比翼の鳥)を鶴歳に同じくせむ。豈に図かりきや、生離を千里に哭し、偕老を一期に喪わんことを。数箇の孤雛、巣の中に蜿転(えんてん、泣き叫び転び這う)し、二三の嬰稚、帳の裏に匍匐す。油雲たちまちに斂まる(母がたちまちに亡くなった)、蘭菊なんぞ長ぜん。甘沢たちまちに竭きぬ、松桂なんぞ茂からん。嗚呼、哀れなるかな、嗚呼、哀れなるかな。庭玉(愛しい子供)を撫で目汍らん(涙流れる)たり。掌珠を見て情悽愴(せいそう、悲しく痛ましい)す。哀れなるかな、悲しいかな。霜露消え易く、電影駐りがたし。日薄り、星廻りて碁斎(一周忌)たちまちに臨めり。
謹んで天長四年五月二十二日を以て焭霊(亡妻の霊)を済わんがために、大日一印の曼荼羅一鋪五幅を図し奉り、ならびに広眼の法曼荼羅(大日経)一部七巻を写す。兼ねては神護寺について聊か法席を肆のべて大日経を講ず。松澗虚しくして鐘馨響く(老松の生えた谷は広くて大きく、鐘馨響く)桂嶺高くして日月明らかなり。朝雲幔を舒べ、夕霞幄を張る。竹風吟じて秋かと疑う。滝水灑いで雨に似たり。飛錫の徒(遊行僧)森羅し、写瓶の衆(弟子たち)幅湊す。法界の浄体、日輪に乗じて儼然たり。摂供の侍者、金蓮をささげて宛爾たり(四摂と八供養の菩薩は金剛の蓮華をささげて宛然たり)。字は法然の文(大日経)を写し、義は無尽の旨を明かす。伏して願わくは、この良縁に乗じてかの焭魂を資せん。法雷は永蟄の仏性を驚かし(煩悩で覆い隠されている仏性を驚かし)、甘露は樹王の根葉に灌ん。覚眼を除蓋に開き、心月を定観に朗らかにせん。五大の所造、一心の所遍(精神界)鱗角羽毛の郷、飛沈走躍の県、同じく四生の愛輪を破して共に一真の覚殿に入らん。」