地蔵菩薩三国霊験記 6/14巻の16/22
十六、 女人信力に依りて蘇生の事(今昔物語集巻十七京住女人依地蔵助得活語 第廿八にあり)
寛弘の年(1004から1012)東の京刀帯町に住みける女性あり。元は東夷の者なりしが故有りて京に居りしに毎月廿四日に六波羅密寺の地蔵尊に参詣しける。されば此の薩埵の本願を聞て信心肝に徹り他佛よりも功の優れる事を思ひ或時宿に皈り我が着したる衣を工にあたへ地蔵の尊像を刻彫してける。されども未だ開眼せずありしに、有為迁流(せんる・遷流)の習い思ざるに病苦に犯されて寛弘五年(1008)二月廿四日に此の世を去りき。一日一夜を過ぎて蘇生して語りけるは一つ野の曠所をさまよひあるきけるに青色の鬼一人来て我をいましめ追立行く時に小僧一人忽然として出来て我を留め玉ふ。彼の鬼と暫く論談往復してありしについに鬼一巻の書を開て罪根をあぐるに二種の過失あり。一には説法の中半に堂の中を出て不浄を行ず。一には色を好む。彼是許容しがたしと云々。小僧の云く、此の女は我が母也。罪に代って我苦を受け女人を娑婆に皈し懺悔の法を授けんとて許し玉ふ。汝が罪を消滅の為に土にて塔を造り滅罪の法を修すべしと云々。女人僧に向ていかで我を母とは言(のたま)ふぞ。僧の曰、我は汝造立するところの地蔵也。未だ開眼せざる故に佛眼いまだ開けず、真實に志を致し奉る故に心根を具足して女をすくはん為に爰に来るとの玉ひて出させ玉ふと思へば蘇生したりと語り、やがて雲林寺の僧をかたらひて泥塔をつくりて滅罪の法を修して佛道に廻向し奉りけり。
引証。本願經に云、若し女人ありて女人の身を厭ひ心を盡して地蔵菩薩の畫像及び土石膠漆銅鐵等の像を供養し如是に日日不退に常に華香飮食衣服繒綵幢旛錢寶物等を以て供養せば是の善女人は此一報の女身を盡して百千萬劫更に女人有る世界に生ぜず。何に況んや復た受んをや云々(地藏菩薩本願經・如來讃歎品第六「若有女人厭女人身。
盡心供養地藏菩薩畫像。及土石膠漆銅鐵等像。如是日日不退。常以華香飮食衣服繒綵幢旛錢寶物等供養。是善女人盡此一報女身。百千萬劫更不生有女人世界。何況復受。除非慈願力故要受女身度脱衆生。承斯供養地藏力故及功徳力。百千萬劫受女身」)。
延命經に云、生生の父母世世の兄弟悉く佛道を成ぜしめて後、我成仏せん。(仏説延命地蔵菩薩経「生生の父母、世世の兄弟、悉く佛道を成ぜしめて後、我成仏せん。若し一人を残せば我成仏せず。 若し此願を知りて二世の所求悉く成ぜざれば者正覚を取らじ。」)
亦本願經に云、文殊師利是の地蔵菩薩は過去久遠不可説不可説劫の前に於いて身は大長者の子為り云々(地藏菩薩本願經卷上・忉利天宮神通品第一「文殊師利。是地藏菩薩摩訶薩。於過去久遠不可説不可説劫前。身爲大長者子。時世有佛號曰師子奮迅具足萬行如來。時長者子見佛相好千福莊嚴。因問彼佛。作何行願而得此相。時師子奮迅具足萬行如來。告長者子。欲證此身當須久遠度脱一切受苦衆生。」)