福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

胸中正からざれば眸子眊し

2020-06-14 | 法話

昨日「幹部公務員の不祥事続発は教育の欠陥・信仰心の欠如・・」という趣旨のブログを書きましたが、最近マスコミに出現する政財官界人は正視に耐えない方々ばかりです。なにをもってそうか?行動もそうですがなによりも「目」です。目が濁りきっています。目は口ほどにものをいいともいいます。
孟子に「人を存(み)るには眸子(ぼうし)より良きはなし。眸子はその悪を奄(おお)ふこと能わず。胸中正しければ眸子も瞭(あき)らかに、胸中正からざれば眸子眊(くら)し。その言を聴きて、その眸子を観れば、人なんぞ痩(かく)さんや。」(孟子 離婁上 十五)とあります。
杜甫は「哀江頭詩」で楊貴妃をしのび「明眸皓歯今何処にか在る」と詠いましたが、楊貴妃は論外ですが「明眸」の人材は逢うこと稀になりました。
原因はあとで書きますが、いまの政財官界の連中には死生観がないからでしょう。大震災・異常気象・コロナいずれも我々の時代にも漏れなく死の刻印が打たれていることを繰り返し知らせるものですが、業の深い我々は死ぬまで気が付かないのです。

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